父の49日が終わった夜、兄がダンボール箱を私の前に置いてこう言いました。「俺たちが母さんの面倒を見る。だからお前はこの家を出ていけ」。8年間、父の看病を全部ひとりでしてきたのは私なのに、母は兄の肩を持ちました。「あなたはもうこの家には必要ないの」。私は静かに答えました。「分かったわ。それなら何があっても私を頼らないでね」。彼らはまだ知りません。自分たちが喜んで引き受けたものが、財産なんかじゃ…

父の49日が終わった夜、兄がダンボール箱を私の前に置いてこう言いました。「俺たちが母さんの面倒を見る。だからお前はこの家を出ていけ」。8年間、父の看病を全部ひとりでしてきたのは私なのに、母は兄の肩を持ちました。「あなたはもうこの家には必要ないの」。私は静かに答えました。「分かったわ。それなら何があっても私を頼らないでね」。彼らはまだ知りません。自分たちが喜んで引き受けたものが、財産なんかじゃ...

父の49日が終わった夜、兄の光一が私の前にダンボール箱を置きました。

「俺たちが母さんの面倒を見る。だからさち子、お前はこの家を出ていけ」

父が病気になってから8年間。病院への送迎も薬の管理も夜中の付き添いも、全部私がしてきました。兄夫婦はお正月に顔を見せる程度でした。それでも母は兄の隣で満足そうに頷きました。「やっぱり高一は頼りになるわ。この家を守るのは長男の役目ですもの」

私は3人の顔を見回し、一度だけ尋ねました。「本当にそれでいいのね。お父さんの通帳とこの家の状態は確認した?」

兄は鼻で笑いました。「愛想を取られたくないから脅してるのか?」

母も冷たく言いました。「負け惜しみはやめなさい。あなたはもうこの家には必要ないの」

家を追い出されることよりも、8年間そばにいた私ではなく、何もしてこなかった兄を母が選んだことが苦しかった。私はダンボール箱を抱え、静かに答えました。「分かったわ。それなら何があっても私を頼らないでね」

3人はまだ知りませんでした。自分たちが喜んで引き受けたものが、財産などではなかったことを。

私の名前は高山さち子。49歳。小さな会社で経理の仕事をしています。兄の高一は5つ年上です。母は昔から「この家を継ぐのは長男」が口癖でした。私が学校で賞を取っても「女の子が目立っても仕方ない」と言いました。兄がちょっと手伝っただけで「さすが高一」と褒めました。兄が私のものを壊しても叱られるのは私。食卓でも兄には大きな魚の切り身。私には端の小さな部分。

幼い私は何度も「どうしたらお母さんに認めてもらえるのだろう」と考えました。そんな私を唯一可愛がってくれたのが父でした。母に内緒で図書館へ連れて行ってくれたり、欲しかった色鉛筆を買ってくれたり。母に怒鳴られた時は必ず私の前に立ってくれました。「さち子は悪くない」。その言葉に何度救われたかわかりません。

大学卒業後、私は実家を出るつもりでした。けれど、その頃から父が心臓の病気で入退院を繰り返すようになりました。母は病院の手続きが苦手だと言い、ほとんど動きません。兄はすでに結婚し、「俺には俺の生活がある」と実家へ寄りつかなくなりました。私は父を1人にできず、実家から通える会社へ就職しました。

朝、父の血圧を測る。仕事帰りに病院へ寄る。食事の塩分を計算し、薬を1袋ずつ箱へ分ける。夜中に息苦しそうな父を救急外来へ連れて行くこともありました。

母はそんな私を見ても「娘なんだから当然でしょ」と言うだけ。それどころか父が病気になってからも高価な服やバッグを買い続けました。「私だってお父さんの看病でずっと我慢しているの」と。実際に看病していたのは私でしたが、母に何を言っても聞く耳を持ちません。

経理職の私は父に頼まれて家計も確認していました。治療費、入院費、古い実家の修繕費、母のカード利用。1つ1つ数字を追うたび、預金が減っていくのが分かりました。

父は何度も私に謝りました。「お母さんのことまで背負わせてしまってすまない」。

「お父さんが謝ることじゃないよ」

私はそう答えました。けれど父は自分の死後を心配していました。「この家は見た目ほど価値がない。雨漏りもあるし、配管もそろそろ変えなければならない。高一たちはそれを分かっていないだろうな」

私は冗談めかして答えました。「欲しいって言うなら、全部任せればいいじゃない」

父は寂しそうに笑いました。「さち子はそれでいいのか?」

その問いに、私はすぐ答えられませんでした。家が欲しいわけではありません。ただ心のどこかで「ここまで父を支えた私を、いつか母が認めてくれるかもしれない」と期待していたのです。

しかし父は80歳で静かに息を引き取りました。最後に私の手を握り、「ありがとう」と言いました。それだけでした。

その後の手続きをしている間、母と兄は何も手伝いませんでした。葬儀の準備、役所の手続き、親戚への連絡。全部私がやりました。49日が終わったその夜、兄がダンボール箱を置いたのです。

私はその箱の中身を見ることなく、実家を出ました。部屋には私が集めた本や父と買った色鉛筆の絵だけを入れました。新しいアパートは静かで、8年ぶりに自分のための時間がありました。夜中に電話が鳴ることも、血圧の記録をつけることもありません。

3か月後、私のスマホに母の着信が何度も入りました。私は出ませんでした。翌日、今度は兄からです。それにも出ませんでした。1週間後、兄が私の会社の前で待っていました。顔色が悪く、目が虚ろでした。

「さち子、頼む。家を売ることにした。手続きを手伝ってほしい」

私は立ち止まりました。「お父さんの通帳と家の状態は確認した?」

兄は唇を噛みました。「……まさか、あそこまでひどいとは思わなかった。修繕費も固定資産税も払えない。母さんもカードの支払いが溜まってて」

私は首を振りました。「私はもうこの家には必要ないでしょ」

兄は何も言えませんでした。私はそのまま歩き出しました。母からの着信は止まりませんでしたが、私は出ませんでした。

あれから1年。私は今も小さなアパートで暮らしています。時々、父と買った色鉛筆の絵を広げて眺めます。あの時、父が言った言葉が思い出されます。「さち子はそれでいいのか?」

私は今なら答えられます。「いいのよ。だって私はあなたの娘だから」と。

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