「絶対に葬儀場に来るな。逃げるんだ。後で説明するから、とりあえず実家に避難しろ」
大好きだった義姉が突然亡くなった。悲しみに暮れる葬儀当日、夫からまさかの電話がかかってきた。私は井口涼子、27歳。夫のりやは28歳で、同じ職場の上司だった。1年ほどの交際を経て結婚し、同じ職場だと気を使うから私は退職して別の会社で働いている。結婚生活は順調で、夫は優しく、休日は2人で出かけ、祝い事には少し豪華な食事に連れて行ってくれた。
義母は息子を取られたと思っているのか、夫にべったりで、小離れできない感じだった。夫も義母を大切にしているように見えた。夫には姉がいて、私と義姉は初めて会った時から気が合い、頻繁にショッピングや2人で旅行に行くほど仲良くなった。私には実の姉がいるが、義姉とは正反対の性格で、義姉と一緒にいる方が居心地がいいと感じるほどだった。
しかし、大好きだった義姉は病を患っており、長い闘病生活で入退院を繰り返していた。少しでも元気でいてほしくて、私は入院中も頻繁に会いに行っていた。それなのに、義姉は少し前に亡くなってしまった。知った日、大きな悲しみと喪失感に襲われ、しばらくは食事もできず涙が止まらない日々を過ごした。
一方、夫は実の姉が亡くなったのに悲しむ様子もなく、いつもと変わらない生活をしていた。以前義姉に聞いた話では、夫と義姉はあまり接点がなく、話す機会も少なかったらしい。義母も夫にべったりで義姉には関心がないように感じると、義姉は寂しそうに話していた。その一方で、義父は義姉を大切にしてくれているとも言っていた。だからだろうか、義姉は私といる時はいつも楽しそうで笑顔だったが、義母といる時は少し寂しそうな顔をしていた。
最後のお別れとなる葬儀では笑顔で見送れるように、それまではたくさん泣いても許してねと思いながら眠りに着いた。葬儀当日、夫は家族でやることがあると言い、私は人足先に会場へ向かうつもりだった。手伝いたいと申し出たが、夫に断固拒否され行けなかった。
葬儀の時間が近づき、そろそろ家を出ようと思っていたところに、慌てた様子の夫から突然電話がかかってきた。「絶対葬儀場に来たらだめだ。後で説明するから、とりあえず実家に避難するんだ」
仲の良かった義姉との最後のお別れをしたい気持ちは大きかったが、夫の切羽詰まった声にただ事ではないと感じ、実家に行くことにした。実家に帰ると、葬儀に行っているはずの私に両親は驚き、どうしたのかと尋ねてきた。私も何があったのか分からなかったが、夫に言われたことを伝えると、父が納得したように頷いた。
夫の親族だという男から電話があったらしく、私のことを散々人でなしだと罵倒し、慰謝料を請求した挙句、要求に答えなかったら家に火をつけると言われたそうだ。電話口で興奮し、声を荒げていることを不審に感じ、詐欺だと思い録音しておいたそうだ。
そんな話を聞いていると、息も絶え絶えの夫がやってきた。夫は礼儀正しく両親に深く頭を下げ、夫の親族の行動を詫びた。どういうことか夫に確認すると、義姉の遺言に私の悪口としてあらゆることが長々と書かれていたそうだ。詳しく聞くと、義姉は私に暴力を振るわれ、ひどいことを言われていたという内容で、この話を間に受けた親族が私の実家に電話をしたという流れらしい。その親族は私を恨んでいるそうで、葬儀に来たら大変なことになっていたとのこと。私の自宅に乗り込む勢いだったので、実家へ避難するように夫は急いで電話をしてくれたそうだ。
しかし、私と義姉は仲が良く、亡くなる数日前まで会っている。義姉も私のことを本当の妹みたいだととても可愛がってくれていた。そんな義姉が私の悪口を書くはずがないし、もちろん暴力や暴言などあったはずもない。とても信じることのできない内容に私は呆然とし、ショックでその場にへたり込んでしまった。
両親も姉も私が義姉と仲がいいことを知っている。何やらおかしいと皆が思っていた。夫や親族に不審感を抱いたが、遺言書の捏造や書き換えなんて簡単にできるものではないはず。詳しくは知らないが、遺言書を偽造すると罪になると聞いたことがある。偽造された遺言書は認められるはずもなく、偽造を行った人物は相続人の資格を失い、一切の財産を相続できなくなる。
両親には興奮した夫の親族が何をするか分からないから気をつけるように伝え、納得のいかないまま私と夫は自宅に戻ることにした。自宅に帰ってからしばらく、夫も落ち着かない様子でいる。親族が自宅に来て危害を加えてくるかもという不安もあったが、義姉を失ったこと、さらには最後のお別れさえもできなかったことで、私は悲しみに暮れていた。
騒動があった3日後、私は心配で実家の様子を見に行くことにした。夫は義姉の遺品の整理などをするとのことで義実家へ向かっている。実家に近づくと、何やら騒がしい怒鳴るような声が聞こえてきた。尋常ではない大きな声に嫌な予感がした。急いで向かうと、玄関先では知らない中年の男女が姉に向かって怒鳴っている。ドアが開けられた玄関には、父が大切にしていたゴルフドライバーが折れて転がっており、母の植木や置き物が散乱し、割れた破片も散乱していた。
姉を見てみると、頬を叩かれたのだろう、痛々しく赤くなっていた。私が急いで間に入ると、中年の男女2人は驚いた表情をしていた。どうやら姉のことを私だと勘違いしていたようだ。しかし次の瞬間、男性が私に向かって威嚇するように手を振り上げる。私はとっさに手で頭を守る姿勢を取ったが、後ろから父の怒声が聞こえ、鬼のような形相で駆けつけてきた。
父は男性の手を掴み、「先日のブレーな電話はお前だな」と言いながら怒った顔で睨みつけている。姉に暴力を加えたこと、さらには私にも手をあげようとした行動に怒り心頭のようだ。普段は優しい父だ。こんなに怒りを露わにした父を私は初めて見た。
相手の男性は葬儀での遺言を間に受けているようで、私が義姉にひどいことをしたから病気が悪化したと思っているようだった。詳しく聞くと、葬儀では義母と夫が親族の前で遺言を読み上げていたそうだ。そんな話は一言も夫から聞かされていない。夫が関わっていることに不審感が増し、夫に電話をすることにした。そして姉が夫の親族に暴力を受けたので警察に連絡することを伝えると、夫は焦りながら「そんなことはしなくていいから、危ないからその場から逃げろ。警察には俺から連絡するから」と慌てて変なことを言い出した。
悲しむそぶりもなく、今まで様子がおかしかった理由が分かった気がする。先ほどの慌てたそぶりを間に受けて、夫が何かを企んでいると確信した。おそらく夫と義母が遺言を自分たちの都合のいいように書き換えたのではないだろうか。しかし今夫にそのことを話してもごまかされるだけだろう。
私は夫の言葉を理解したと告げ、一旦電話を切った。どちらにしても暴力を受けた姉に家のものを壊されている現状、警察に連絡するなというのはおかしな話だ。警察を呼ばれると都合が悪いのだろう。自分が疑われるのを避けているに違いない。警察に調べてもらえば詳しいことは分かるはずだ。
「警察に連絡しないわけにはいかないので私から電話します。もしかしたら逃げないといけないのはあなたかもね」
LINEのメッセージを送ると、何度も夫からの電話が鳴るが、私は着信拒否をして警察を呼んだ。夫の親族は警察が来るなり大人しくなって、事情聴取のためパトカーに素直に乗っていった。
私は叩かれた姉に何度も謝罪をする。何の関係もない姉が痛い思いをしてしまったのだ。父も姉を守れなかったことに責任を感じているようだった。しかし姉は何度も謝る私にいつもの調子で答えてくれた。
「なんであんたが謝るのよ。あんたは悪くないでしょ。私はあなたがお姉さんと仲良くやっていたのを知ってる。それにこれって障害者だよね。きっちり償ってもらうから」
姉のいつもの態度に私は救われた。殴られて恐怖を感じたはずなのに、私に気を使って平気を装っている姉を尊敬し、ありがたく感じる。私のことを信じてくれている姉がとても頼もしかった。
そんな姉にひどいことをした夫の親族を許すことはできない。私は実家に泊まり、夫には後日話し合いをしようと連絡をした。また夫の親族が来るのではないかと不安だったが、さすがに警察沙汰にまで発展しているため実家にはもう手を出さないだろう。
話し合いの場を設けることになり、私と両親と姉、夫と義両親と親族のおじ夫婦の計9名が夫の実家に集まることになった。数回義実家に来たことはあるが、相変わらず立派な家で、大人が9人入っても広々としている。
叔父は自分の立場を理解したようで少し大人しくなったが、遺言を信じているので自分たちが悪いことをしたとは思っていないようだ。「義姉に対する嫌がらせの行為などを認めたら勘弁してやる。被害届けも出すな」などと偉そうに言ってきた。そんなおかしな提案などもちろん受け入れられるわけがないし、勘違いだとしても他人に暴力を振るうなんて許されない。被害を受け恐怖を感じたのも姉だ。
私はもう我慢できず言い返そうと口を開きかけたが、姉が手で止めた。すると姉が「300万で被害届けは出さずに我慢してあげる」と発言した。叔父は「一発殴っただけで300万円も払うバカはいない」と息を荒げて怒鳴ってくる。女性の顔を殴って反省すらしていないことに驚き、私が反論しようとすると、姉は続けて冷静に話を続けた。
「殴られたことへの恐怖と痛みで仕事にも集中できない毎日を過ごしているんです。あなたは家のゴルフクラブや置き物など多くのものも破壊していますよね。私たちの精神的なショックも大きいんです。簡単に許せると思わないでください」
この言葉を聞いた叔父は何も言えずに押し黙ってしまった。そして「可愛い姪っ子の遺言を聞いて怒りを抑えることができなかった」と消え入りそうな声で呟いていた。この人たちもある意味被害者なんだとは思ったが、暴力を振るったことは事実だ。しっかり反省してもらわなくてはいけない。
私は遺言について夫と義母に問い詰めた。すると2人してビクっと肩を震わせ、明らかに挙動がおかしくなる。私は警察に遺言の話もしたことを伝えると、観念したのか、義姉が残したであろう遺言書を出してきた。そして2人で遺言書を偽造し、親族たちを信じ込ませていたと白状したのだ。
この2人の対応が義姉に疎外感を感じさせていたんだと思うと、怒りが込み上げてくる。何も知らなかった義父は今にも泣きそうな顔で何度も私たちに頭を下げた。多くは語らなかったが、義姉を本当に愛していたのだろう。義父の顔には悲しさや悔しさ、情けなさ、全てが出ているように見えた。
辛そうに言葉を詰まらせながら、「2人には罪をきっちり償わせると約束をしてくれ、叔父とおばにもきっちり300万円を支払うように伝えている」と義父は言った。真実を知った叔父とおばは自分たちの勘違いでとんでもないことをしてしまったと謝罪をし、300万円を支払うことを約束してくれた。
夫と義母は泣きながら警察には世話になりたくないと私たちに許しを乞いすがりついてきた。しかし、亡くなった義姉の気持ちを踏みにじり、私たち家族に被害を及ぼした行為など許せるはずがない。優しい夫だと思っていたが、身内の不幸をも利用する非道さが信じられなかった。裏切られて悲しい気持ちは少しもなく、こんな人だと気づかなかった自分が恥ずかしい。
私は夫に離婚届を出し、その場で記入するようペンを渡した。
「仕方がなかったんだ。俺は母さんの言う通りにやっただけなんだよ。許してくれ」
「私に責任を押し付けるつもりなの?あなたのことを思ってやったことだし、あなたも進んでやってたじゃない」
夫と義母は反省しているそぶりもなく、見苦しい責任の押し付け合いをしている。このやり取りを見た義父が「いつまでも情けないことをせず、自分たちが犯した罪を反省するよう」叱った。義父の声に驚いた2人は言い争いをやめ、夫はしぶしぶ離婚届を記入する。
夫から離婚届を受け取り、義父に一礼をして、私たちは義実家を後にした。一刻も早く夫と縁を切りたくて、その足で離婚届を提出しに行った。
後日、義父から連絡があり、会うことになった。元夫と義母には遺言書を偽造したことを警察に自首しに行かせたそうだ。義父からは何度も謝罪をされ、義姉が書いた本当の遺言書を私に渡してくれた。そこには私のことが大好きで、短い人生を彩ってくれたとても大切な人だということ、私への感謝の気持ちが書かれている。そして義父たちには十分すぎる財産があるので、遺産は全て私に相続してほしいと明確に記されていた。
元夫と義母は義姉の遺産が私に渡るのが許せなくて偽造をしたのだろう。私はこの遺言書を抱きしめて、声が出るほど泣いてしまった。義父は申し訳ないことをしてしまったと何度も謝罪をしてきた。そして私に一言、義父の思いを伝えてくれる。
「可愛い娘を失ってしまい、私も毎日喪失感と悲しさを感じている。あなたと娘の関係はよく知っているよ。娘の残したものをあなたに大切に使ってもらいたい」
そう言い、落ち着くように私の肩を優しくポンポンと叩いてくれた。その日から私は義姉を思いながら少しずつ笑えるようになっていった。
月日は流れ、姉と元夫の親族は300万円で示談が成立した。そして義母を信じられなくなった義父は離婚をし、元夫とも縁を切ったそうだ。義父と私は連絡を取り合い、一緒に義姉のお墓参りに行ったりしている。義父は私を本当の娘のように接してくれており、私も第2の父と思っている。
元夫と義母はどうしているかと言うと、悪行が親族やご近所さんに知れ渡り、田舎へと逃げるように出ていった。義姉の気持ちを踏みにじり、自分の家族を利用した義母と元夫は許されない。財産もない状態で今は細々と2人で生活しているだろう。
私は私の幸せを最後まで願ってくれていた義姉を思いながら、これからの人生を幸せに過ごしていきたいと思っている。



