玄関のドアを開けた瞬間、二十四年間娘として育ててきたナナが、スーツケースを引いて冷たい目で俺を見ていた。「今日でこの家を出るから。あと、おじさんは結婚式に来ないでね」明日が結婚式だった。二十年前、親友夫婦が交通事故で亡くなり、四歳だったナナを引き取った。血の繋がりはない。それでも必死に育ててきた。なのに式の前日、彼女は「他人だからに決まってるじゃない。あんたなんか、父親と思ったこと一度もない…

玄関のドアを開けた瞬間、二十四年間娘として育ててきたナナが、スーツケースを引いて冷たい目で俺を見ていた。「今日でこの家を出るから。あと、おじさんは結婚式に来ないでね」明日が結婚式だった。二十年前、親友夫婦が交通事故で亡くなり、四歳だったナナを引き取った。血の繋がりはない。それでも必死に育ててきた。なのに式の前日、彼女は「他人だからに決まってるじゃない。あんたなんか、父親と思ったこと一度もない...

結婚式の前日、玄関に大きな荷物を置いたナナが、冷たい目で俺を見た。

「今日でこの家を出ていくから。あと、おじさんは結婚式には来ないでね」

二十年間、我が子のように育ててきた娘の口から出た言葉とは思えなかった。斎藤拓也、四十六歳。血の繋がらない娘ナナと二人で暮らしてきた。ナナが俺の養子になったのは四歳の頃だ。それから二十年、俺は彼女を父親として育ててきた。

ナナの両親は高校時代からの親友だった。二人とも施設で育ち、頼れる親族がいなかった。だからこそ、ナナが生まれてからは何か手伝えることはないかと、頻繁に家に通うようになった。親友夫婦とナナと過ごす時間は、仕事の疲れを癒してくれる、俺にとって何より大切な時間になった。

ナナはすぐに俺に懐いた。親友たちは「俺たちに何かあった時はナナをよろしくな」とふざけて言うこともあった。まさかそれが現実になるとは、あの時は思ってもみなかった。

ナナが四歳の誕生日を迎えてから数ヶ月後、病院から一本の電話が入った。親友夫婦が交通事故で亡くなったという知らせだった。頭が真っ白になり、立ち尽くすしかなかった。ナナは無傷で無事だと言われ、俺は無心で病院へ向かった。

病院で見たナナは、知らない大人に囲まれて不安そうな顔をしていたが、俺の姿を見ると駆け寄ってきた。その時、俺はナナを育てる決意をした。

誰がどう見ても血の繋がらない赤の他人の俺が引き取るのは無茶な話だった。子育てもしたことがない。それでも、俺に笑顔を向けたナナを守りたいと思った。親友たちも安心してくれるだろうと思った。

それから、俺とナナの二人だけの生活が始まった。二十代で稼ぎも多くなかった。両親もいたが、俺の勝手な判断で迷惑をかけるわけにはいかないと、一人で頑張ると決めた。

初めは両親がいない寂しさでナナは涙を流した。だが、大きくなるにつれて、何も言わなくなった。俺にわがままを言うこともなく、本当にいい子だった。そんなナナを幸せにすることだけを考えて、必死に育ててきた。

それから二十年の月日が流れ、ナナは二十四歳になった。社会人としてしっかり働いている。ナナが中学生になった時、引き取った経緯を説明したが、ナナは特に何も言わなかった。何事もなくここまで育てられたことを、俺は嬉しく思っていた。

仕事から帰宅したナナが、真剣な顔で「話がある」と言ってきた。何事かと構えていると、結婚するのだと言う。突然の報告に驚いたが、すぐに「おめでとう」と声をかけた。今まで味わったことのないような嬉しい気持ちになった。親友たちの顔が浮かぶ。ナナにもいつか幸せになってほしいと願っていた。それが叶うのかと思うと、涙が溢れそうになった。

相手はエリート会社員で、将来有望な人らしい。一度合わせてほしいと言ってみたが、ナナははっきりしない返事だった。結婚が決まったばかりで、挨拶をせかすのも良くないかと考え、俺は待つことにした。

しかし、数ヶ月経っても、相手や相手の両親と会える話は一切ない。不安になって、もう一度ナナに会わせてほしいと言ってみた。

「彼も彼のご両親もすごく忙しいの。エリートとはほど遠いおじさんには分からないと思うけど」

少し不機嫌そうなナナから返ってきたのは、そんな言葉だった。俺を見下すような嫌味は、今まで一度も言われたことがなかった。よっぽど挨拶をせかすのが不快だったのかと反省した。ナナの結婚に俺が口を出して、嫌な気持ちにさせてはいけない。どうせ結婚式の日には会えるのだ。ナナが選んだ相手なら、心配することもないだろう。

そう思って、ナナを信じることにした。

それから数日後の結婚式前日、仕事終わりのスマホにナナから連絡が入った。「大事な話がある」と。あの日からあまり会話をすることもなく、今日まで過ぎていた。嫌な予感がした。

家に帰ると、大きな荷物を持ったナナが部屋から出てくるところだった。

「どうしたんだ、その荷物。大事な話って何なんだ」

慌てて質問攻めにする俺に、ナナは冷たい視線を向けた。

「今日でこの家を出ていくから。あと、おじさんは結婚式には来ないでね」

何が何だか分からず、言葉を失った。ナナが家を出ていくことは、結婚の報告を受けた時から想像していた。だが、具体的な予定は何も聞かされていなかった。そして何より、結婚式に来ないでと言われたことに驚いた。

「どうしてそんなことを言うんだ」

俺がそう聞くと、ナナは馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なんで自分が参加できると思ってるの? スーツも新調しちゃって、バカじゃないの?」

ナナの結婚式のために奮発して買ったスーツを横目で見ながら、ナナはそう言った。二十年間、娘のように大切に育ててきたナナの結婚式に、自分が出席できないなど思ってもみなかった。結婚式の日を教えてもらってから、毎日カレンダーを確認して日付を数えていたほどだ。

「どうして結婚式に行っちゃいけないんだ」

怒りを抑えながら冷静に聞くと、ナナはきっぱりと言った。

「他人だからに決まってるじゃない。あんたなんか、父親と思ったこと一度もないわ」

他人という言葉に、俺は何も言えなくなった。怒りを通り越して、悲しみが襲ってきた。追い打ちをかけるように、ナナは俺への不満をぶちまけた。今までの質素な暮らしに嫌気が差していたという。エリート一家に、俺のようなただの会社員がいない方がマシだと言った。

「おじさんと家族だなんて知られたら、結婚がなくなっちゃうわ」

ただただ大切に思ってきたのに、どうしてここまで言われなければならないのか。決して贅沢はさせられなかったかもしれない。だが、普通の暮らしができるように精一杯頑張ってきたつもりだった。どんな生活でも、ナナが幸せそうに笑っていればそれでいいと思っていた。しかし、そう思っていたのは俺だけだったのだ。

鋭い目つきで俺を睨みつけながら、不満をぶつけ続けるナナ。俺は顔を俯かせて、時間が過ぎるのを待った。

やがて暴言は収まった。それでも、俺の中にはまだナナの花嫁姿が見たいという気持ちが残っていた。

「ナナがそんな風に思っていたことに気づけなくて、ごめんな。それでも俺は、ナナの花嫁姿が見たいんだ」

優しい口調で話しかけると、ナナは冷たく言い放った。

「何度も言わせないで。他人は来るな。もう二度と関わらないで」

ナナはそう言って、家を出ようと動き出した。

「でも、一緒に暮らしてきた家族じゃないか」

「家族? 気持ち悪いからやめてよね。もし付きまとうようなことをしたら、警察呼ぶから」

そう言われて、俺は「そうか」と言うしかなかった。

ナナはそれ以降、一言も言葉を発することなく、家から出ていった。

俺の二十年間が、こんな風に終わってしまうなんて。まさか最後の言葉があんな言葉になるなんて、悲しすぎる。出ていってから何時間が経っただろうか。新調したスーツを見ながら、色々なことを考えた。二十年前のあの日、病院でナナを育てる決意をしたのは間違いだったのかもしれない。天国にいる親友たちに、静かに謝罪した。

悲しさや虚しさしか残らなかったが、これがナナの幸せなのだと、俺は必死に言い聞かせた。

ナナが出ていってから、数年が過ぎた。あの頃を思い出すと、今でも胸が痛む。結婚式当日に連絡が来るのではと期待していたが、連絡は一切なかった。それでも俺は前を向いて、これからは自分のために生きようと頑張っていた。

そんなある日、見知らぬ番号から着信が入った。出てみると、電話越しに懐かしい声が聞こえてきた。

「おじさん、助けて」

ナナだった。弱々しい声だった。

今更何を、と思ったが、冷静に何があったのか聞いてみた。ナナはボソボソと今の状況を説明した。結婚相手は会社経営者だった。結婚前は業績も良く、収入も安定していたようだが、結婚して少し経った頃から経営状況が悪化していった。ナナの旦那はその現実を受け入れられず、仕事を放棄するようになったらしい。そして多額の借金を残し、会社は倒産。両親に助けを求めても、全ての責任はナナにあると言って助けてくれなかったそうだ。ナナは旦那の借金を返済するため、必死に働くしかなくなった。そして、俺しか頼れる人はいないと思い、電話をしてきたのだ。

自分勝手な発言に、だんだんと腹が立ってきた。

「おじさんが助けてくれるなら、家族だって認めてあげたっていいわよ」

最初の声は弱々しかったものの、すぐにあの日のように俺を見下すような口調になった。

「いい年して、一人ぼっちなんでしょ」

ますます腹が立ったが、もう何も話すことはないと冷静に伝え、そっと電話を切った。

自分自身も驚いたが、ナナを心配する気持ちは自分の中に少しもなかった。二十年、家族として一緒に過ごして俺を裏切ったナナを助ける気になれるはずもない。ただ、もう連絡が来なければいいと思うだけだった。

しかし、それから数日後、ナナは直接俺の家にやってきた。玄関の扉を開けると、ナナは開いた口が塞がらない様子だった。

「なんでこんな家に住んでるの?」

ナナが驚くのも無理はない。あれから俺は結婚して、新しい家を建てていた。ナナが驚いてしまうほど立派な家だと、自分でも思う。

俺が結婚した相手は、取引先の社長の娘だった。彼女は何年も俺に好意を抱いてくれていた。しかし、その頃の俺はナナの子育てで忙しく、それどころではなかった。それでも彼女は諦めることなく思い続けてくれ、ナナがいなくなった時もそばで支えてくれた。彼女の両親も俺のことをすごく気に入ってくれた。親友の子供を二十年間育てていたことを、心から尊敬すると言ってくれた。彼女と彼女の両親だけが俺を認めてくれたような気がして、本当に嬉しかったのを今でも覚えている。この立派な家は、俺に何かしてあげたいと彼女の両親がプレゼントしてくれた家だ。

「なんでこんな豪邸に住んでるくせに、助けてくれないの?」

俺の言葉を聞こうともせず、ナナはまた勝手なことばかり言ってきた。呆れて言葉も出ず、ただため息が出てしまう。俺の様子を見て、ナナはまずいと思ったのか、今度は哀れに訴えかけるように話し始めた。

「私にはおじさんしか家族がいないの。お願い。ずっと二人で生きてきたじゃない」

必死になっているナナの姿を見て、俺は思わず笑えてきてしまった。今更そんなことを言って、許してくれるとでも思っているのだろうか。

俺はナナが出ていった時にかけられた言葉を思い出した。

「俺はナナの家族ではない他人だ。もう二度と関わらないでくれ」

冷たく言い放つと、ナナは驚いたように目を見開いた。

「なんでそんなひどいことが言えるの?」

あの時、自分が俺に向けて言った言葉だと気づいていないのだろう。これ以上何も話すことはないと思った俺は、「今度来たら警察を呼ぶから」と言って、ナナを家から追い出した。

あれからナナが俺を尋ねてくることはなかった。一度だけ俺の両親に連絡をしていたようだが、俺の両親も冷たく対応したと言っていた。その時に聞いたナナの状況は、俺が聞いた時よりももっと悪化していたようだ。結局、旦那は働かなくなってしまったらしい。旦那の両親も金銭的に余裕がなく、勝手にナナのものを売ったりしたようだ。何もなくなってしまったナナは、行く当てもなく一人で働き続けているようだ。

ずっとナナの幸せを願っていた俺が、全く何も思わないわけではない。これからも助けるつもりはないが、幸せに生きてほしいと今でも願っている。

俺はずっと支えてくれていた妻と幸せな家庭を築き、これからは自分のために生きようと思う。

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