玄関に飾ってあった水蓮の絵が、ある日突然消えていた。聞くと、息子の嫁のみさが「あの絵、売りましたよ」と、まるで天気の話でもするように言った。「え?」「玄関にあんな素人っぽい絵を飾ってたら、恥ずかしいじゃないですか」私は言葉を失った。あれは半年前に亡くなった母が、病室で震える手で少しずつ描いてくれた、最後の形見だった。「みささん、あれは母の形見なのよ」すると彼女は腕を組んで言い返した。「お母さ…

玄関に飾ってあった水蓮の絵が、ある日突然消えていた。聞くと、息子の嫁のみさが「あの絵、売りましたよ」と、まるで天気の話でもするように言った。「え?」「玄関にあんな素人っぽい絵を飾ってたら、恥ずかしいじゃないですか」私は言葉を失った。あれは半年前に亡くなった母が、病室で震える手で少しずつ描いてくれた、最後の形見だった。「みささん、あれは母の形見なのよ」すると彼女は腕を組んで言い返した。「お母さ...

玄関に飾ってあった絵のことか。水連の絵だな。あの絵なら、この前売りましたよ。息子の嫁のみさが、当たり前のように言った。売った? はい。玄関にあんな絵を飾っていたら、恥ずかしいじゃないですか。

私は言葉を失った。白い水面に浮かぶ紫色の水蓮。半年前に亡くなった母が、病室で震える手を動かしながら色鉛筆で描いてくれた絵だった。みささん、あれは母の形見なのよ。知ってます。返事は一瞬だった。でも素人の絵でしょ。価値が上がるようなものじゃないですよ

胸の奥で何かが切れた。いくらお嫁さんでも、人のものを勝手に売っていいわけがないでしょう。するとみさは腕を組んだ。お母さん、自分の立場分かってます? 将来介護が必要になったら、面倒を見るのは私ですよ。またそれだ。私は静かに聞き返した。だから、え、将来の介護を理由に、今の私を好きにしていいと思ってるの? みさの顔から笑みが消えた。でも私はもう引かなかった

なぜなら、翌日私はこの家を出ることにしていたからだ。私の名前はさち子。六十三歳。夫の正と結婚して三十八年。一人息子の直を育て、工場で短時間のパートをしながら、ずっと家のことを担ってきた。三年前、直がみさと結婚してからは四人暮らし。みさも働いていたが、家事はほとんど私だった。朝食から洗濯、掃除はもちろん、夕食から買い出しまで。最初は家族だからそう思っていた。でも気づけば、「ありがとう」より「やっておいて」の方が多くなっていった

夫の正は家庭のことには無関心だった。直もみさが言うことには逆らえない。しかもみさが私のものを勝手に処分したのは、これが初めてではなかった。古いから、使ってないから、場所を取るから——そう言って、私の食器や服まで勝手に片付けられたことがあった。直に訴えても、「みさが家を綺麗にしてくれてるんだからいいじゃん」とそれだけだった

その度に、私は小さなことだから、家族だから、そう飲み込んできた。でも母が描いてくれた水蓮だけは、小さなことにはできなかった。母がその水蓮を描いたのには、わけがあった。私が子供の頃のこと。夏になると母は近所の植物園へ私を連れて行ってくれた。池に咲く水蓮を見ながら、「さち子花ってね、泥の中からでもちゃんと咲くのよ」と笑っていたのだ

入院してから母は、その時の写真を病室へ持ち込んだ。もう長く鉛筆を握ることもできなかったのに、何日もかけて少しずつ、少しずつと色を重ねてくれた。最後に私へ渡した時、「上手じゃないけど、さち子の家に飾って」と笑った。だからあの絵はただの絵ではなかった。母が最後まで私を思ってくれた、その時間そのものだったのだ

そして半年前、母は亡くなった。母は私へ生命保険金も残してくれていた。大金持ちになれるような額ではない。でも小さな家を一件買って、残りを老後のために置いておけるくらいだった。私は決めた。もう一度、自分のために暮らそう。正とは長い間、夫婦というより同居人だった

「私、家を出ることにしたわ」そう伝えると、正は新聞を見たまま「好きにすればいい」とそれだけだった。ところが直とみさは違った。「母さんが出ていったら、誰が家事するんだよ」それが第一声だった。寂しいとか、心配だとかではない。家事だ。みさも続けた。「保険金が入ったなら、家族のために使うべきじゃないですか」直まで、「俺にも少しくらい分けてくれても良かったじゃん」と言った

私は二人を見た。「母が私に残してくれたお金を何に使うかは、私が決めます」その時から、二人の機嫌は目に見えて悪くなった。そして引っ越し前日、みさは母の水蓮の絵を売ったのだ

翌朝、私は荷物を積み、一人で新しい家へ向かった。LDKの小さな平屋。広くはない。でも玄関を開けた瞬間、息がしやすい——それだけで嬉しくなった。「ただいま」誰もいない部屋へ、そう言った

その日の夜、近所に住む友人の里見が夕食へ招いてくれた。「これから何しようかな?

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」私が言うと、里見は笑った。「何でもすればいいじゃない。誰にも聞かなくていいんだから」その言葉が、妙に胸に残った。誰にも聞かなくていい——何を食べるか、何時に寝るか、何を飾るか、全部私が決めていい

ただ一つ、新居の玄関を見る度、胸が痛んだ。本当ならそこには母の水蓮を飾るつもりだったからだ

新生活を始めて一ヶ月ほど経った頃、直から電話があった。「母さん、俺たちもそっちに引っ越すから」何? 「みさと話したんだけどさ、母親の家なんだから、俺にとっては実家だろう」思わず笑いそうになった。「違うわよ」何が? 「ここは直の実家じゃありません。私の家です」直は引っ越す気満々で、私の話を聞かない。「一部屋余ってるだろう。俺たちがそこ使うから」そして——「母さんはリビングで寝ればいいじゃん」

一瞬、言葉が出なかった。自分のお金で買った家で、私がリビングに寝る——「嫌です」「でも俺たちはもう決めたから」誰が? 「俺とみさ」「私は決めてないわ」「親子だろ?

」親子なら、母親の家へ勝手に住んでいいの? 直とは黙った。でも最後には「とにかく行くから」と、そう言って電話を切った

翌日、朝も早よから、玄関前に大きなダンボールが二つ置かれていた。「来月引っ越します。先に置いておいてください」という置き手紙付きで。中には高そうなバッグや腕時計、洋服に靴——勝手に処分できないものばかりだった。母の絵は勝手に売るのに、自分たちのものは、私が捨てられないように高価なものを置いていく——私は箱を閉じた

そして直へ連絡した。「一週間以内に取りに来てください。来なければ、着払いで返送します」返事はなかった。代わりに日曜日になると、引っ越し業者のトラックが本当に家の前へ止まった。「母さん開けて」玄関の外には直とみさ、そして大量の荷物

私は戸を開けた。ただし、二人を中へは入れなかった。「みさが眉を潜めた」「何してるんですか? 荷物入れますよ」「入れません」「は? 」「ここには住ませません」直が呆れた。「母さん、いい加減にしてよ。ここ俺の実家なんだから」私はゆっくり言った。「違う——ここは母が私に残してくれたお金で買った、私の家です」みさが苛立った声を出した。「じゃあ将来、誰がお母さんの介護するんですか?

私はみさを見た。「あなたには頼みません」え? 「必要になったら、自分でサービスを探します。施設だって考えます」だから——私は一歩前に出た。「介護を切り札にして、今の私を支配しようとしないで」みさの口が閉じた

直が言う。「母親が息子を追い返すのかよ」「追い返すんじゃないわ——最初から入れてないだけ」その一言で、引っ越し業者の方も状況を理解したようだった。「ご本人の承諾がないのであれば、こちらでは搬入できません」そしてトラックの扉が静かに閉まった

直が慌てる。「ちょっと待ってくれよ」私は玄関横に置いていた二つのダンボールを指した。「これも持って帰って」みさが私を睨んだ。「お母さん、こんなことして後悔しますよ」私は笑った。「後悔なら——今まで十分しました」自分のものを大切にしなかったこと、自分の時間を大切にしなかったこと、嫌なのに家族だからって我慢し続けたこと——そして私は静かに扉を閉めた

それからしばらくして、里見と買い物へ出かけた時のことだ。小さな喫茶店の前で、私は足を止めた。窓際の壁——そこに見覚えのある絵があった。白い水面に紫色の水蓮、右下には母の小さな署名。「お母さんの水蓮だ」声が震えた

店に事情を話すと、近所の人からフリマアプリで買った絵だと教えてくれた。私は買い取らせてくださいとお願いした。でも店主は絵を外しながら笑った。「こんな大切なものなら、持ち主のところへ帰った方がいいでしょう」私は何度も、何度も頭を下げた

帰り道、母の絵を胸に抱えながら、涙が止まらなかった

今、水蓮の絵は新しい家の玄関にある。高価な絵ではないし、有名な画家が描いたものでもない。でも私にとっては、どんなブランド品より大切だ

直から一度だけ、「みさと家事のことで揉めてる——母さん少し話聞いてよ」と電話があった。私は答えた。「自分たちで選んだ生活でしょ——それだけ」もう二人の家事を背負うことも、介護を人質にされることもない

朝、玄関を通るたびに、私は母の水蓮を見る。そして思うのだ——母が私に残してくれたものは、保険金だけではなかった。「この先の人生を、自分のために使っていい」という、最後の許可だったのかもしれない

この家では、誰を迎えるかも、何を飾るかも、どう生きるかも、私が決める。母が残してくれた絵も、母が残してくれたお金も——そしてこれから残っている、私の時間も——もう誰にも、勝手に使わせない