「正直、母さんより、お母さんの方が大切なんだ」 血の繋がった実の息子が、母の日の前日の食卓で、私にそう言い放った。嫁の実母を褒め称え、私の料理は脂っこいと笑い、15年間捧げてきた月15万円の援助や毎日の家事を、まるで邪魔者のように扱った。 72歳の私は、その時、静かに微笑んだ。「そう、分かったわ」と。彼らは私が怒ると思っていた。でも、私の心の中では、ある決意が固まっていた。…
血の繋がりなんて、そんなに大事じゃないんだよ。 息子の言葉に、私は手に持っていた箸をそっと置いた。今夜も私は、朝から仕込んだ煮物、焼き魚、炊き込みご飯を、72歳の体に鞭打って作り続けてきた。息子家族の健康を思ってのことだった。 「お母さんの料理の方が上品で美味しいんだよね」 嫁の歩美が、挑発するように言う。 「それに、お母さんは私たちのことを本当に理解してくれるの。お母さんみたいに口うるさくないし」 息子の洋兵が頷きながら続けた。 「正直、母さんより、お母さんの方が大切なんだ。血は繋がってないけど、歩美の母親だし、俺たちにとっては家族なんだよ」 食卓の空気が凍りついた。 15年前に夫を亡くしてから、私は息子家族のために全てを捧げてきた。月15万円の生活費援助。孫の教育費。そして毎日の家事。なのに、私は怒らなかった。悲しみも見せなかった。ただ静かに微笑んだ。 「そう、分かったわ」 私の予想外の反応に、息子夫婦は顔を見合わせ、明らかに困惑していた。きっと、泣いたり怒ったりすると思っていたのだろう。でも、私の心の中では、ある決意が固まっていた。 ――明日、あなたたちは知ることになる。本当に大切なものを失うということを。 思い返せば、息子家族との同居が始まって5年。最初は「お母さんがいてくれて助かります」と言っていた歩美の態度も、時と共に変わっていった。夫が残してくれた家に息子夫婦を迎え入れ、私は2階の小さな部屋に移った。広いリビングも台所も、全て息子家族のために。 月々の援助は15万円。息子の給料では住宅ローンと子供の教育費でいっぱいだからと、私の年金と貯金から出し続けてきた。その都度、私は黙ってお金を渡してきた。35年間小学校教師として働いて貯めたお金、夫の生命保険金。全ては息子家族の幸せのためだと思っていた。 一方、歩美の実母はどうだろう。年に2回、誕生日とお正月に顔を見せる程度。孫のお小遣いは5000円。家事の手伝いなど一切なし。それなのに、歩美は実母が来ると大喜びで高級レストランに連れて行き、「お母様は品があって素敵」と褒めちぎるのだ。 私には「お母さん、また同じ服着てるの。その髪型、古臭いわよ」と、毎日のように言われた。でも私は笑顔で受け流してきた。息子の幸せが私の幸せだからと。 でも、昨夜の一言で全てが変わった。 息子夫婦の態度が露骨に変わり始めたのは、3年前の出来事がきっかけだった。歩美の実母、つまり息子にとっての義母である佐藤さ子さんが定年退職したのだ。 「お母様、これからはゆっくり過ごしてくださいね」 歩美は実母を敬愛し、月に1度は必ず高級レストランでの食事会を開くようになった。 「今日はお母様の好きなフレンチにしましょう」 「いえいえ、お母様のためなら2万円のコースでも安いものです」 一方、私の誕生日はどうだっただろう。 「あ、母さん誕生日だったっけ? ごめん。忙しくて」 ケーキもなし。プレゼントもなし。「お母さんは地味な服好きでしょう」と、歩美は言い訳した。 孫の運動会での出来事は、特に胸に突き刺さった。 「お母様、ここが特等席です。匠がよく見えますよ」 歩美は実母を最前列の椅子に案内した。 「お母さんはあっち側でお願いします。席が足りないので」 私は後方の立ち見席に追いやられた。それでも我慢した。孫の晴れ姿が見られれば、それで十分だと自分に言い聞かせて。 家事の分担も、いつの間にか不公平になっていった。 「お母様がいらっしゃる時は、私がお料理しますから」 歩美は実母が来る日だけは張り切って料理を作る。でも普段は「お母さん、今日の夕飯まだ? お腹空いた」「朝ご飯、もっと早く作ってよ」と言う。 朝5時起きで朝食の準備、洗濯、掃除。昼食を作り、買い物に行き、夕食の支度。私は文句も言わずにこなしてきた。なのに、息子夫婦は言う。 「お母さんの作る料理って、脂っこいのよね。濃すぎて健康に悪いわ」 でも、文句を言いながらも毎日3食きっちり食べる。実母が作った料理は「さすがお母様、プロ級です」と大絶賛するくせに。 経済的な負担もどんどん重くなっていった。 「お母さん、今月も15万円お願い」 「匠の塾代、30万円必要なの」 「床の発表会の衣装代が」 求められるままに出し続けた結果、私の貯金は底を突き始めていた。 最も腹立たしかったのは、リフォームの件だった。 「お母様の部屋を作りたいの」 歩美が突然言い出した。月に1回泊まりに来てもらうために、和室を潰したいという。 「お母さんの部屋、もっと狭い部屋に移ってもらえる?」 私は2階の物置き前の3畳間に追いやられることになった。リフォーム代50万円も、なぜか私が出すことに。「だってこの家の持ち物でしょう。当然じゃない」。 完成した義母の部屋は、8畳の松の木の立派な和室。私の部屋の3倍の広さだ。でも、佐藤さ子さんが実際に泊まったのは、この2年間でたったの3回だけだった。 親戚の集まりでも差別は明らかだった。 「こちら、歩美の母の佐藤さ子です。元銀行員で、とても聡明な方なんです」 洋兵は義母を誇らしげに紹介する。私の紹介はというと、「あ、こっちは僕の母です」――それだけ。まるで付け足しのような扱いだった。 「佐藤さんはお若いですね。とてもお綺麗で」 「いえいえ、もう65歳ですから」 義母より7歳も上の私は、完全に老人扱いされていた。 … Read more