「中卒が最終面接?話を聞く価値もないな。無能のおっさんは帰れ。」…
「中卒が最終面接?話を聞く価値もないな。」 人事部長の沢は、机に履歴書を放り投げ、口の端を持ち上げた。 「本当になんで最終面接まで残ったんだ。この経歴じゃどうせ落ちるのに。タイパが悪すぎますよね。」 隣の採用担当の白瀬も、タブレットを抱えたまま涼しげに目を細めていた。 「それがあなた方の答えですか?」 机の向こうに座っていたのは、地味な背広をまとった50歳の男だった。 「ああ、そうだよ。無能のおっさんは帰れ。」 「無能のおっさんね。なるほど。では、そのおっさんから一言申し上げます。」 「なんだ?もういいから出ていけよ。」 男はゆっくり立ち上がると、静かに口を開いた。 「私、次期社長ですが。」 「はあ?」 凍りついた沢の顔の前で、白瀬の手からタッチペンが床に落ちた。 学歴で人を見下したこの人事部長の人生は、その日を境に音を立てて崩れ始めた。 これは、たった一人の「無能のおっさん」を笑った会社が、完全に再生を遂げるまでの物語。 なぜ次期社長が面接の席にいたのか。時計の針は、その数日前へと静かに巻き戻っていく。 黒木健二の一日は、いつもと変わらぬ朝食から始まった。こんがり焼いたトーストと、淹れたてのコーヒーをゆっくりと口へ運ぶ。年は重ねていたが、手入れの行き届いたごく普通の一軒家に住んでいた。今年で50歳になるが、その暮らしぶりには華やかさがなかった。高級車もブランド物の時計も、健二には縁がなかった。 そこへスマートフォンが短く震えた。画面に表示されたのは、専務の平井の名前だった。 「社長。いえ、まだそうお呼びしてはまずいですね。」 「電話じゃ構わんよ。どうした?」 「例の結びフーズの件です。本当にお一人で行かれるおつもりですか?」 「ああ。傾いた会社を立て直すんだ。まず、人事が人をどう扱っているか、この目で見ておきたい。」 「しかし、新社長が応募者のふりをして潜り込むなど、前代未聞ですよ。」 「就任を公表する前じゃなきゃできないことだ。それに、放っておけない手紙を読んでしまったからな。」 「あの手紙ですか?」 「ああ。現場の人間が学歴だけで数字みたいに切られてる。そう書いてあった。」 通話の間、健二の脳裏には、前任社長から渡された会社の資料にひっそりと挟まれていた一通の手紙が蘇っていた。会社が傾いた原因はこれだ。胸の奥で、その思いが静かに沈んでいった。 「俺はな、平井。学歴だけで人を切る会社がどうしても許せないんだ。」 「はい。存じております。」 「昔、俺を拾ってくれた人がいた。柏木正一さんっていう食堂の親父だ。家を飛び出して彷徨ってた15の俺に、黙って飯を食わせて、働くかと言ってくれた。あの人は俺の履歴書も学歴も何一つ聞かなかったよ。」 通話を切った後も、正一の声はまだ耳の奥に残っていた。 「人の値打ちはな、履歴書には書いてねえんだよ。」 その夜、そう言って笑った顔を、健二は今も忘れていなかった。ただ、その恩を返せないまま、健二は正一を見送ってしまっていた。 「結局、俺はあの人に何一つ返せなかった。」 やがて健二は、古びた背広に静かに袖を通した。肩書きも身分も全て伏せ、一人の転職希望者として、その会社の本社をこの目で確かめるつもりだった。 「行ってくる。」 誰にともなくそう呟くと、健二は静かに家を出た。 同じ頃、結びフーズ本社の人事部では朝礼が開かれていた。人事部長の沢高幸は、その朝いつになく機嫌が良かった。 「いいか。これからの採用も人員整理も、全て数字でやる。上に流されるな。」 見習う部下を見回しながら、沢は得意げに言い放った。今の彼の頭を占めているのは、執行役員への昇格。ただそれだけである。その椅子のためなら、現場で働く人間の暮らしなど、沢にとっては取るに足らないものだった。 「使えない人間に椅子はない。学歴も経歴もない人間をいつまでも抱えておく余裕は、うちにはないんだ。」 採用評価担当の白瀬香が、タブレットを操作しながら涼しい顔で頷いた。 「データが最適解を出します。費用対効果の低い層から整理する。極めて合理的ですよ。」 「ちょうどいい。今期、現場の契約は何人切れる?」 「学歴フィルタにかければ9人。いずれも現場の評価は高いそうですが、代わりはいくらでもいます。」 「結構。現場評価なんていくらでも調整が効く。要は見せ方だ。」 「現場が反発したらどうします?」 「反発?有名大卒を入れれば即解決だ。嫌ならやめればいい。それだけだ。」 二人にとって、現場で汗を流す人間など、画面に並んだ数字のただの一に過ぎなかった。だが、その数字の一行の中にこそ、契約社員の柏木ゆいはいた。気づけば28歳。中卒で結びフーズの製造現場に入り、もう5年が経っていた。 「ゆいちゃん、また残ってるの。ほどほどにしときなよ。」 「あと少しだけ。ここを頑張ると、私が約束した分なので。」 同じ現場の先輩、戸田舞子が呆れたように笑った。 「約束したことは守りたいんです。仲間にも取引先にも。」 ゆいは、そう言って笑った。その手仕事は誰よりも丁寧で、そして誰よりも早い。ゆいの作るものに手抜きが一度もないことを、現場の誰もが知っていた。それでも、その確かな腕は、人事部の画面の上では何の意味も持たなかった。 昼前、ゆいは契約更新の面談に呼ばれ、人事部のドアを叩いた。沢はゆいの顔も見ず、手元の書類に目を落としたまま淡々と切り出した。 … Read more