入院から退院して自宅の鍵を回した瞬間、鍵はびくともしなかった。息子夫婦は私が倒れている間に鍵を交換し、家を乗っ取っていたのです。玄関先に現れた嫁は、私の顔を見て平然と言いました。「もうお母さんの家じゃありませんよ。私たちの家です」と。500万円かけてリフォームした、夫との思い出の家。そこには息子夫婦と嫁の両親が住み着き、私の荷物はたった3箱のダンボールに詰められていました。71歳の私を追い出…
息子の嫁、カナが放った言葉に、私は耳を疑った。 「もうお母さんの家じゃありませんよ。私たちの家です」 入院している間に、家の鍵を勝手に交換されていた。息子の大輔まで、霊園のような冷たい目で言い放った。 「ここは俺たちの家だ。母さんはもう帰ってくるな」 500万円かけてリフォームした、私と夫の思い出の家を、息子夫婦と嫁の両親が完全に乗っ取ってしまったのだ。71歳の私を甘く見た代償を、彼らは思い知ることになる。 私は田村幸恵、71歳。2年前に夫のひろしをすい臓がんで亡くしてから、この一軒家で一人暮らしをしていた。ひろしの介護を少しでもしやすくするために、500万円をかけて全面リフォームした家だ。バリアフリー設計にし、手すりを各所に設置し、お風呂も車椅子で入れるようにした。キッチンも最新式に変え、温水洗浄便座も取り付けた。ひろしは結局1年後に旅立ったが、「幸恵、本当に綺麗な家にしてくれてありがとう」と最後に言ってくれた。私たち夫婦が45年間大切に守り抜いた、思い出の家だ。 私は元々看護師として40年間勤務していた経験があり、現在は地域の高齢者サロンでボランティアをしている。年金と夫の残した貯金のおかげで、経済的には余裕のある生活を送っていた。何よりの生きがいは、9歳の孫娘・はるかだ。息子の大輔と嫁のカナの娘で、月に2回は必ず我が家に招いて、手作りの料理でもてなしていた。 「おばあちゃんの家、白いみたいで大好き」 はるかはリフォーム後の家を見るたびに目を輝かせた。 「おばあちゃんの作る卵焼きが世界で一番美味しいの」 そんなはるかの笑顔が、私の一番の宝物だった。 大輔も昔は素直で優しい子だった。小学生の頃は毎日「お帰りなさい」と玄関まで迎えに来てくれて、私の手を引いて今日あった出来事を嬉しそうに話してくれたものだ。しかし最近の大輔一家の住環境は、心配になるほど劣悪だった。築40年のボロアパートで2DK、家賃は5万円。冬は隙間風が入り、夏は猛暑でカビ臭い。そんな古いアパートでの生活を余儀なくされていた。カナの両親である田中夫妻も同じような境遇で、68歳と65歳での年金生活。特に田中家は雨漏りがひどく、梅雨の時期には住めない状態になってしまう。 ある日曜日の午後、大輔とかナ、はるかの3人が揃って我が家を訪れた。 「母さん、俺たち家族の将来について相談があるんだ」 大輔の表情は珍しく真剣だった。 「実は今のアパートがもう限界で。家を買う資金のために家賃を節約したくて、一時的にでいいから一緒に住まわせてもらえないかと思って」 「一時的にこちらに住まわせていただけませんか。もちろんお母さんにご迷惑をかけるつもりはありません。母さん1人では何かあった時に心配だし、俺たちと一緒に住まないか」 大輔の提案に、カナが続けた。 「お母さん1人じゃしんどいことも、私たちがお手伝いできますし、家事も分担してお母さんには楽をしていただきたいんです」 「おばあちゃんと一緒に住めるの? やった!」 はるかが大喜びする姿を見て、私の心も温かくなった。さらにカナが続けた。 「実は私の両親のことでもお願いがあって。両親のアパートも雨漏りがひどくて住めない状態なんです。両親も一緒に住まわせていただけないでしょうか?」 「ご両親も?」 私は驚いた。経済的に余裕がないので、アパートを探すまでの間だけでも、とカナは懇願した。 「母さんの家は広いし、リフォームしたばかりで住みやすい。みんなで支え合って暮らせばお互いに助かると思うんだ」 大輔も同調した。1人暮らしの寂しさを感じていた私にとって、家族みんなで住めるという提案は魅力的だった。特に孫のはるかの健康と、息子家族の困窮を見ていると心が痛んだ。 その夜、私は夫の遺影に向かって話しかけた。 「ひろし、私はどうしたらいいでしょう? 家族なんだから、困った時はお互い様よね。でもあなたならどうする?」 翌日、私は息子夫婦に電話をかけた。 「みんなで一緒に住みましょう。家族で支え合いましょう」 電話の向こうから、大輔とかナの嬉しそうな声が聞こえてきた。 同居が始まったのは3月のことだった。引っ越し当日、カナの両親である田中夫妻も一緒にやってきた。 「よろしくお願いします」 田中父は形式的な挨拶の後、家の中をずかずかと見て回り始めた。 「なかなかいい家だな。この家具も高そうじゃないか」 田中父が遠慮なく私の家具を触りながら品定めしている。田中母の言葉は丁寧だったが、その目は家の中の高価なものを物色するように動いていた。しかし、運び込まれた荷物の量に私は困惑してしまった。趣味の釣り竿やゴルフクラブまで搬入されている。一時的な滞在にしては、あまりにも多すぎる。 「お母さん、この部屋は私たちが使わせていただきますね」 それは私の手芸部屋だった。私の趣味の道具や思い出の品々が、カナに勝手に廊下に運び出されていく。夫との写真立てまで押し入れに押し込まれてしまった。 「邪魔だから」 カナのその一言で、私の大切な空間が奪われた。 同居開始から1週間、明らかに家族の態度が変わった。最初は「お母さん、朝食の準備ありがとうございます」と言っていたカナが、「もう7時過ぎてますけど」と文句を言うようになった。田中母も「お疲れ様です」という挨拶から、「今日の夕飯は何? 牛肉が食べたい」という要求に変わっている。食事の準備、洗濯、掃除が全て私の担当になってしまった。手伝うと言っていた約束はどこへやら、むしろ当然という顔をしている。 「洗濯の仕方が悪いんじゃないか。俺の靴下から生乾きの匂いがするぞ」 田中父の文句を聞いていると、私が雇われた家政婦のような気分になる。 「お母さんの作る料理って、すごく味が薄いんです。次からはもっと濃くしてください」 カナの要求も日に日にエスカレートしていく。 「母さん、俺のシャツにアイロンかけ忘れてるよ。これじゃ同僚に舐められるだろう。もうちょっとしっかりしてくれよ」 大輔まで愛想をつかしたように指摘してくる。昔の優しい息子はどこに行ってしまったのだろうか。 さらに辛かったのは、孫のはるかとの関係にも変化が生じたことだった。 「おばあちゃん、一緒にお料理したい」 はるかが私に甘えても、カナが静止する。 「はるか、それよりママのお手伝いしなさい」 以前は自由に私の部屋に入れたはるかが、制限されるようになった。はるかの困惑した表情を見て、私の心は痛んだ。そして経済的な負担も急激に増大した。電気代、ガス代、水道代が同居前の3倍に跳ね上がった。食費も当然のように私が負担することになり、田中夫妻は高級食材をリクエストしてくる。 … Read more