「ゆい、今すぐ実家に戻ってきてくれ」
電話の向こうの父の声は、いつもよりずっと沈んでいた。
「え? もしかして、お母さんに何かあったの?」
「そうだ。容態が急変したんだ」
「嘘でしょ? この前お見舞いに行った時は、すごく元気そうだったのに」
「実は綱渡り状態だったんだ。とにかく、今すぐ病院に来てくれ」
「助かるのよね?」
「わからない。でも、二人で祈ろう」
「わかった。すぐに行くから」
電話を切って、私は夫のたやに連絡をした。
「たや、ちょっと話があるの」
「なんだよ。こっちは仕事中だぞ。仕事中の私的な連絡は禁止って言われてるんだ」
「お願い。大事な話だから聞いてよ」
「何?」
「お母さんの容態が急変したの」
「え? この前元気だったって言ってなかったか?」
「そうね。とても元気そうだったのに。さっきお父さんから連絡があって、ずっと入院してたんだって」
「そうなのか。それで、話って何だよ?」
「今から実家に帰るから、夜は自分でご飯を買ってきてほしいの」
「ああ、そういうことか。俺は別にいいけどさ」
「じゃあ、お願いね」
「ちょっと待てよ。これは母さんには伝えてるのか?」
「いいえ。あなたに伝えておけば、別にいいでしょ」
「だめに決まってるだろう。母さんはお前に家事を任せてるんだから。急にいなくなったら怒るに決まってる」
「前に実家に帰った時は、お母さんも普通に許してくれたじゃない」
「それはたまたまだよ。さすがにこんな連続で帰るってなったら、母さんだって怒るはずだ。だから、その前に母さんにも事前に連絡をしておけよ」
「私はすぐにでも実家に帰りたいんだけど、軽く連絡をするだけでいいんだよ。とにかく、母さんを怒らせるようなことはするな」
「事情が分かれば、理解してくれると思うけど」
「ちゃんと筋は通せよ。お前のせいで俺が母さんに叱られるんだぞ」
「あなたいくつなのよ」
「俺たちの生活を支えてるのが母さんだって忘れるな。母さんは化粧品メーカーを一人で大きくしたんだ。だから俺たちは母さんの立てた家で生活して、母さんの会社で俺は働けてるんだぞ。その母さんに見捨てられたら、大変なことになるって考えたら分かるだろう」
「あなただって仕事を頑張ってるんだし、そこまで必死にならなくてもいいと思うけど」
「俺たちがいい暮らしをできてるのは母さんのおかげだって、感謝してるんだよ。だからお前もちゃんと母さんに話をしてくれ。それは最低限の礼儀だって」
「分かったわよ」
私は義母に電話をかけた。
「お母さん、突然の連絡、申し訳ありません」
「何? 忙しいから手短にして。こっちは今、大型プロジェクトの準備をしてるの。あなたにかける時間はないのよ」
「実は母の容態が急変したので、実家に帰らせてもらいます」
「あなたの母親は確か白血病だったわよね」
「はい。そうです」
「それだけ重い病気なら、容態が変わることもあるでしょう。なのに、それでいちいち帰ってたら、我が家のことがおろそかになるでしょ」
「それは、帰るなってことですか?」
「そうよ。この間帰ったばかりなんだから、今回はだめよ」
「ですが、危険な状態なんですよ。それだけ重たい病気なのよ」
「それくらいのことは、これからいくらでもあるわ」
「あなたは医者か何かですか?」
「はあ?」
「どうして何も知らないのに、そんな偉そうに言い切れるんですか?」
「私に逆らうの? 誰のおかげで生活ができてるか分かってる?」
「お母さんには感謝してますよ。でも、私をここまで育ててくれたのは私の母ですから。その母が危険な状態なら、私はそばにいてあげたいと思ってるんです」
「それこそ、あんたは医者かなんかなの? そばにいて病気が良くなったりするのかしら?」
「もしかしたら、もう会えないかもしれないんですよ。それでも行くなと言うんですか?」
「私は仕事をおろそかにするなと言ってるの。あなたの仕事は我が家の家事よ。専業主婦ってことは、家事をしないといけないの。それをサボるなんて許されることじゃないわ」
「帰ってきたら、ちゃんとやりますから」
「これがあなたのわがままを聞く最後だと思いなさい。そして、ことが済んだのなら、すぐに帰ってきなさいよ。今日一日だけ特別に休みにしてあげるから」
「できるだけ早く帰りますよ」
その日の夜、母は息を引き取った。
私は義母に電話をした。
「お母さん、先ほど母が天国へと旅立ちました」
「あら、そう。なんとか最後に会えてよかったです」
「何それ? 私が止めてたら、それもできなかったって嫌味を言ってるの?」
「そんなつもりはないですよ」
「それで、明日になったら帰ってこれるんでしょ?」
「ちょっと、そんなわけないじゃないですか。明後日には母の葬儀が執り行われます。私はその準備を父とやりますので、お母さんたちにも参列してほしいと思って連絡をしたんです」
「はあ。ふざけるな。こっちは忙しいのよ。葬儀なんて行けるわけないでしょ」
「そんな、せめてたやだけでも」
「たやもうちの社員として忙しくしてるの。そんなことで休ませるわけないわ」
「それはたやが決めることだと思います」
「あなたが決めることじゃない。確か忌引きみたいな制度がありましたよね」
「そんなものを私が認めるわけないでしょ。たやがいつ休むのかは私が決めるの。あの子は私の息子で、うちの社員なんだから」
「たやはあなたの操り人形じゃないですよ」
「私が手塩にかけて育てたんだから。あの子の意思決定権は私にあるのよ」
「そんなのおかしいですよ。それよりも、あんたは何を普通に家事をサボろうとしてるのよ。一日だけしか休みは与えないって言ったはずよ。もしかして、帰ってこいと言ってるんですか?」
「当たり前でしょ。約束は守りなさい」
「私はそんな約束をした覚えはありません。あなたが勝手に押し付けてきただけですよ。それに、大事な母が亡くなった葬儀なんですよ。どうしてそれをほっぽり出して帰れるんですか?」
「母親の葬式とか関係ない。あんたはこの家の嫁。葬儀出てる暇があるのなら家事をやれ。今すぐ帰ってこい」
「あなたには人の心ってものがないんですか? 親の葬儀を無視して帰れるわけがないでしょう」
「私に口答えをするな。これ以上私の言うことが聞けないなんて、嫁失格よ」
「それとこれとは別ですよ。私はたやと結婚してるんです。あなたにとやかく言われたくありません」
「全く、どうしてこんなわがままになったのかしら。両親から相当甘やかされて育ったようね。もっとたやのように素直な子なら良かったわ」
「たやを素直とは言いませんよ。それに、私の親は決してただ甘いだけの人ではなかったですから」
「だとしても、あんたの親は本当に迷惑な人よ。あんたは我が家に嫁いだのよ。それなのに、何度も何度も実家に帰るなんて」
「病気だったんだから、仕方ないですよね」
「そんなの関係ない。我が家でお世話になってるんだから、私たちのことを最優先にするべきよ」
「そんなの変ですよ」
「変じゃない。まあ、でもこれで足かせが一つなくなったんだから。これからはより私たちのお世話に集中できるでしょ。そういう意味では良かったじゃない」
「何を言ってるんですか? もしかして、母が亡くなったことをそう言ってるんですか?」
「そうよ。決まってるじゃない。あんたの父親の時は、絶対にお見舞いにも葬式にも参加させたりしないから。その覚悟は今のうちからしておきなさい。それが私の下につくってことだから」
「ふざけないでくださいよ。そんなことが許されるわけないでしょう」
「口答えをするな。さっさと帰ってきなさい。じゃないと、我が家での立ち位置がどんどん悪くなるわよ」
「もういいです」
私はたやに電話をした。
「たや、母が亡くなったの。葬儀が明後日にあるから、来れるわよね」
「母さんにはその伝えたのか?」
「ええ、来ないと言われたわ」
「だったら、俺も無理だよ」
「お母さんには逆らえないってこと?」
「そうだよ。お前だってそれは分かってるだろう」
「あなたがお母さんのことを大事にしてるとは思ってた。そこも素敵だなと最初は思ってたわ。でも結婚してみて、全然違うって分かった。あんたは大事にしてるんじゃない。ただ顔色を伺ってるだけだって分かった。もう三十超えてるのに、本当に情けない人ね」
「うるさい。お前も母さんの言う通りにしろよ。お前のせいで俺まで叱られるんだぞ」
「もうそうなることもないわ」
「頼むよ。早く帰って来てくれよな」
私は義母に最後の確認の電話を入れた。
「お母さん、最後の確認です。葬儀には来られないでいいですか?」
「だからそうだって言ってるでしょ。上から偉そうに何なのよ」
「そうですか。わかりました」
「それであんたはいつ帰ってくるのよ」
「帰るわけないでしょ。母が亡くなったんですよ。どうして帰ると思ってるんですか? ちょっと頭がどうかしてるんじゃないですか」
「何ですって?」
「私はそちらの家に嫁いだかもしれませんが、私にとって母の存在は何よりも掛け替えのないものです。その母の葬儀の準備などがあるので、帰ることはできません。とても悲しいですが、しっかりとお見送りしたいと思います」
「どこまで私のことをコケにするのかしら」
「自分の親としっかりお別れができないなんて、おかしいです」
「私のおかげであんたは生活ができてるのよ」
「一緒に住み出して一年間だけですけど、そのことに関しては感謝してますよ。ですので、私なりに家事でお返ししてたつもりです」
「そんなの誰でもできることよ。あんたである必要はないの。家政婦を雇ったっていいんだから。あんたの仕事は家事をやることじゃないのよ」
「どういうことですか?」
「私の指示通りに動くのがあんたの仕事。家事をやれと言えば家事をやって、帰ってこいと言ったら帰ってくるのがあんたの仕事」
「私の意思は関係ないってことですか?」
「当然でしょ。あんたは私の駒。私の指示に従っていればいいだけよ。だって、私のおかげであんたは食えてるんだから」
「なるほど。それと同じことをたやにさせてたんですね。たやは確かにあなたに従ってましたから」
「そうよ。だって、あの子は私が女手一つで育てたの。私がいないと今のたやはいないんだから。だから私の言いなりになるのは当然よ。まあ、それなりにいい駒に育ってくれたわ。なのに、まさかこんな女と結婚するなんてね」
「もしかして、私たちだけじゃなくて、社員の人たちのことも酷使してるんですか?」
「そうよ。決まってるじゃない。私の会社なのよ。私が売上を出してるの。そのおかげで社員たちは生活ができてるんだから。だったら駒として動くのは当然よ。私の思い通りに動けない人間なんて、我が社にも我が家にもいらないからね」
「やっぱりあなたはおかしいです。変ですよ」
「どこがよ。間違ってないわ。私はそうやって成功を収めたんだから。とにかく、あんたは今すぐにこっちに帰ってこい。じゃないと、もう二度といい暮らしは送れなくなるわよ。あの豪邸での暮らしをなくしていいと思ってるの?」
「そんなのは必要としていません。私にも実家がありますから」
「みすぼらしい家での生活がそんなにいいの? しょうもない父親の稼ぎで暮らすのなんて嫌でしょ」
「あなたの暴言は父にも伝えてあります」
「ええ、そうなんだ」
「父がガチ切れしてますが、大丈夫ですか?」
「はあ。だから何よ。あんたの父親なんて底辺の人間でしょ。そんな人間が私に怒れる資格なんてないのよ」
「そうですか。分かりました。おそらく父から連絡があると思いますので」
「そんなの無視するに決まってるでしょ」
「とにかく、私の気持ちは変わりませんので」
五分後、たやから電話がかかってきた。
「たや、もう限界よ」
「なんだ? 家にはもう帰ったのか?」
「帰るわけないでしょ。葬儀の準備があるんだから」
「おいおい、母さんに反抗するなって」
「あんたは一度も私の味方にはなってくれないのね」
「俺はお前の味方だよ。けど、母さんに逆らったっていいことなんて何もないんだ。だから反抗するなんてアドバイスをしてるだろう」
「母親の葬儀から帰ってこいなんて命令を聞けるわけないでしょ。そんなことしたら、とんでもないことになるぞ」
「別にもう何でもいいわ。あなたたちとこれ以上関わる気はないから」
「どういうことだ?」
「もうあんたとは離婚するから」
「え? 何を言ってんだ? 離婚?」
「そうよ。決まってるでしょ?」
「ちょっと待てよ。母さんにむかついてるのは分かるよ。でも、どうして俺と離婚なんだよ」
「それじゃ、あなたは私の味方になってくれるの? 私はその家を出て、二人だけで暮らしたいわ。仕事も当然やめてもらうことになるけど、それを聞き入れてくれる?」
「いや、それはさすがに金銭的にやばいだろう」
「私も働くわ。それならいいでしょ」
「無理だよ。母さんになんて言われるか」
「ほらね。あんたは結局お母さんの言いなりなの。そんな人と結婚生活なんて続けられないわ」
「だって俺は母さんにここまで育ててもらったんだぞ。その恩返しをしないとだめだろう」
「私は両親と離れて暮らしてたけど、それは親不幸ってことになるの?」
「そんなわけないでしょ。元気に幸せに生活してたら、それが一番の恩返しよ」
「母さんには逆らえないって。母さんはとても厳しい人なんだ。母さんの要求に答えられないと、俺はもう息子でいられない。父さんからは捨てられて、母さんからも見捨てられたら、俺はもう立ち直れないよ」
「お父さんから捨てられたの? そんな話は聞いたことないわ」
「母さんからそう言われたんだよ。俺がいられるのは、母さんが見捨てないでいてくれたからなんだ。だから俺はそんな母さんのためにも、従順な息子でい続けないといけないんだ」
「そうだったら、そうしてたらいいわ。でも、私は別にお母さんのおかげで生きてこられたわけじゃない。だから、あなたに付き合う必要はないわよね」
「待ってくれよ。俺はお前のことを愛してるんだ」
「愛してるのなら、味方になってよ。私が最愛の母の葬儀から帰れと言われてるのよ。愛してるというのなら、こんな時くらい味方になってよ」
「それよ」
「ほら、それがあんたの答えよ。別に間違ってるなんて言わないわ。あなたの選択だから。でも、私は付き合ってられない。だから、さようなら」
一週間後、義母の家に一人の男性が訪ねてきた。
「お久しぶりです。ゆいから連絡先を教えてもらって、連絡をさせてもらいました」
「ゆいさんのお父様ですか?」
「まずは自分から名乗るのが礼儀だと思いますよ」
「これは失礼しました。ゆいの父の山田公平です」
「それで、何かご用でしょうか? ゆいさんとたやは離婚をすることになっていて、もう関係はないと思いますよ」
「そうですね。ですので、最後にご連絡をと思いまして」
「余計な時間を取らせないで欲しいですね。こちらは仕事が色々と立て込んでまして」
「分かりました。実は私は劇場火星という会社の社長をやってるんです。この名前はあなたも知ってますよね」
「劇場火星? それって化粧品の原料を取り扱ってる会社の?」
「そうです。あなたの会社と今度取引をするように相談を進めさせてもらってましたが、そちらは白紙とさせてもらいます」
「ちょっと待ってよ。そんなの嘘に決まってるわ」
「証明はすぐにできますよ。こちらの担当者からそちらに白紙にすると連絡をさせますから。それがあったら、私の発言を信用してくれますよね」
「本当に劇場火星の社長さんなのだから、そうだと言ってるじゃないですか」
「だって、別にいい暮らしはしてなかったじゃない。劇場火星なんてとんでもない大手企業よ」
「私たちは身の丈にあった暮らしをしてただけです。会社が業績を上げてるのは、あくまで社員のおかげです。それなのに贅沢な暮らしなんてできませんから」
「何よそれ。それで私があんたの娘を怒ったから、契約を白紙にするってこと?」
「怒っただけではそんなことはしませんよ。ただ、内容があまりにもひどかったのでね」
「でも、これは素敵なことでしょ。それで会社の取引にまで口を出すなんて、経営者としてどうかと思うけどね」
「そうかもしれませんね。だとしても、こっちにも許せないことだってあるんだ」
「どういうことよ」
「そもそもうちの会社は、自然由来の成分で化粧品の原料を作ることにこだわってきました。それが今は多くの人に使ってもらえるようになってます」
「そんなの知ってるわよ」
「ですけど、この会社を作った最初の理由は妻のことを思ってだったんですよ」
「え?」
「私の妻は昔から肌が弱くて、当時市販されていた化粧品を使うことができなかったんです。ですが、妻もみんなと同じように綺麗にメイクをしたいと考えていました。だから私は肌に優しい成分を使った原料を作ろうと思ったんです。全ては妻のためだったんです。私にとって妻は何よりも大切な人だった。一度会社を潰してしまってどん底になった私を、妻は見捨てずに支え続けてくれた。そんな妻への恩返しのために会社を起こして、仕事を頑張っていたんです。それほどまでに大事な妻をあんたは侮辱した。そんな人間と取引なんてできるわけがないだろう」
「いや、あれは別に奥さんをバカにする意味では」
「どんな意味であろうとも、私はあんたを許さない。もちろん、大切な娘を馬鹿にするのだって許せない。そんな人間とは二度と仕事はしない」
「私たちの大型プロジェクトは、あなたの会社との契約ありきで進めてたんですよ」
「まだ本契約の前でしたので、会社に不利益が出る場合は契約はもちろんしませんよ。私は会社を守る責務があるんですから」
「不利益って、別にそんなのは何もないでしょ」
「こちらとしては、今回の件を知って色々とそちらの会社を調査させてもらいました。その結果、契約をしないという結論に至ったんです」
「何が分かったっていうの?」
「そのうち身を持って知ることになるでしょう。とにかく、婚約破棄、我が社、そして唯ならぬようにしてください」
十分後、義母から電話がかかってきた。
「あんた、なんてことをしてくれたのよ」
「え、何ですか?」
「あんたの父親が劇場火星の社長なんて」
「そうですね。仕事の関係でややこしくなるので、黙っておこうと父に言われてました」
「ふざけるな。そのせいでこっちは大変なのよ」
「そうですか。ですけど、もう私には関係ありませんから」
「今からあんたの父親を説得しなさい」
「嫌です。それよりも、あなたはもっとご自身の立場を気にした方がいいですよ」
「何よそれ」
「私はたやとそのお友達と何度か遊んだことがあったんですよ。そのお友達っていうのは、そちらの会社の社員さんたちです。それが、その社員さんたちにあなたがこばわりしていたと伝えました」
「は?」
「遊んでいた時に、あなたの応対にどう対応したらいいかと相談されたことがあったんですよ。ですので、真実を伝えないといけないと思ったんです。そしたら、そう思われてるのは感じていたと返事が返ってきましてね。仲間であるはずの社員たちにそんなことを言わせるなんて、最低ですよ」
「それが何なのよ」
「それは良くないと思ったので、彼らに労基に行くように助言をしました。社長の態度が改善することはないから、労基に対処してもらった方がいいとね。労基に言えば色々と動いてくれますからね。もしひどい内情が表に出たら、株主たちも黙ってないので、代表取締役を解任できるかもと伝えました」
「はあ。解任?」
「そうです。誰かが責任を取らないといけないので」
「ふざけるな。そんなこと誰が許すもんですか?」
「あなたに許す許さないの権利はありません」
「本気でそんなことになるの?」
「あなたがやってきたことは、それだけひどいことです」
「それで会社は売上を伸ばしていたのに」
「あなたがひどいことをしたからではないです。優秀な社員さんたちがたくさんいたからですよ。父の教えですが、会社は社員で動いてるんです。彼らをいかに働きやすい環境で働かせるかが社長の仕事だそうです。そして、あなたはそれをやっていなかった。だから解任されるとしたら、それは当然のことです」
「待って。私だって一人で頑張ってきたの」
「それはすごいと思いますよ。やり方は全然褒められたものじゃなかったです。他人を酷使して利用するなんて」
「私だって同じような経験をしたことあるわ」
「どういうことですか?」
「夫が私のことを裏切ったのよ」
「え?」
「私を働かせて、それで金だけ持って他の女のところに行きやがったの。私のことを利用するだけ利用して、最終的に捨てたの」
「それが何なんですか?」
「だから私は利用される側にならないために、利用する側になったってだけ。私は自分の身を守るためにやっていたの。それがそんなに悪いことなの?」
「自分の身を守るのは悪いことじゃないですよ。でも、そのために他の人を傷つけたりするのは絶対に間違ってます。利用された時に辛い思いをしたのであれば、自分はそうしないようにするべきですよ。自分がやられて嫌なら、相手にしないのは普通です。あなたは間違ってるんです。できれば今回の経験を通して、お母さんが学んでくれることを望みます」
「あんたが今から父親を説得してくれれば、会社はかなりの売上を残せるわ。そうしたら株主や社員たちだって納得するでしょ。高い給料を払えば黙らせられる。それに協力しようって気はないの?」
「嫌です。それに、こんなことをしている暇ありますか? パワハの件に対してすぐにでも対応しないと、会社での立場がどんどん悪くなってしまいますよ」
その後、義母のパワハが明るみに出たことで、会社は信用を失い、業績が下がった。パワハの事実が表に出ないように、長らく人事などにも圧力をかけていたらしい。結果、それらの責任を取る形で解任ということに。それから会社への損害賠償や社員への慰謝料を支払ったことで、貯めていた資産は底をついた。そこから生活のためにコンビニでアルバイトをしていたが、慣れない仕事で店長や客から叱責を受け続けたことで精神的に病んでしまい、家から出られなくなった。自分だけがどうしてこんな目に、と恨み言を言っているらしいが、あなたが今までやってきたことですよ、と言いたい。
ちなみに、たやは母親のこともあり会社にいづらくなり、退職した。会社を辞めた初期は母親の世話をしていたが、度重なる八つ当たりを受けて精神的に追い込まれたことで、母親に暴力を振るってしまった。結果、母親は現在大怪我をしたことで入院し、たやは警察に逮捕されてしまった。
実はお互いに依存し合ってたのかもしれない。どちらかがしっかりと大人になれていれば、こんな結末にはならなかったのかもしれない。
一方の私は実家で生活している。父に甘えるのは嫌だったので、ちゃんと仕事をするようになった。また別のところで一人暮らしをするという選択肢もあったが、母を亡くしたばかりの父が心配なので、一緒に住むことにした。父は母のために会社を起こしたりして、家族を守り続けていた。そのことを今回の一件で知り、そんな父を私はとても尊敬している。だからこそ、父のように家族を守れるような存在になりたいと思う。



