「お母さん、なんで黙ってたんですか?」
突然の電話の向こうで、千春の声が弾んでいた。SNSで見たという、母が購入した家の話。100坪の豪邸だと聞いて、私は驚きと同時に、なぜ自分たちに知らせなかったのかという苛立ちが湧いてきた。
「悪いけど、近づかないでくれる?そこは私が買った私のものよ。あなたたちに関わってほしくないの」
「なんでそんなに冷たいんですか?せめて家の前で写真を撮らせてくださいよ。SNSにアップしたいんです」
「家ならそこら中にあるでしょ。好きにしなさい。それか自分たちで買えばいいじゃない」
「無理ですよ。こんな豪邸、買えるわけないじゃないですか。でも、よく買えましたね。母さんって地味で貧乏な暮らしをしてると思ってたのに、見直しました」
「わざわざ見直してもらわなくて結構よ」
私は、母が貧しい家に生まれ、高校にも行けなかったことを心の底から馬鹿にしていた。でも、今はその母が豪邸を買ったという。悔しさと驚きが入り混じっていた。
「このことは、とかずには話したの?」
「いえ、まだです。SNSを見て驚いて、すぐに連絡したので」
「あの子が知ったら、また面倒なことになりそうね」
「そうですよね。これは家族の問題ですから。とかずにも伝えないといけませんね。きっと、とかずもその家に行きたいと言うはずですから」
「素直に受け入れた方がいいですよ。とかずを怒らせない方がいいですからね」
10分後、とかずから電話がかかってきた。
「母さん、どういうことだ?なんであんな豪邸が買えるんだよ」
「あなたにはもう関係ない話よ」
「おい、実の息子をそんな風に扱っていいのかよ」
「それはこっちのセリフよ」
「いいから教えてくれよ。金なんて全然なかったはずだぞ」
「掃除グッズを昔から作ってたでしょ。それを商品化したら売れたのよ」
「何それ?」
「清の知り合いに生活用品メーカーで働いている人がいて、その人に清が私のことを話したの。そしたら商品化しようってことになって、試作を重ねて発売したらヒットしたのよ。それで家を購入したの」
「実家はどうするんだよ」
「お父さんも亡くなったし、古い建物で70近い私が住むのは負担だったから、取り壊して土地も売る予定よ」
「そうなのか。それじゃあ、その金を俺にくれよ。父さんの土地なら相続する権利はあるだろう」
「あの土地は私が相続したのよ。だからあなたに渡すお金なんて一円もないわ」
「なんだよ、つまんねえな」
「それに、あんたみたいに家族を大切にしない人間には、一円だって渡したくないわ」
「まだ父さんのことを根に持ってるのか。悪かったって言ってるだろう」
「そんな言葉で誰が許せるもんですか?私はもうあんたを家族だとは思ってないから」
「俺は母さんのことを大切に思ってるよ。昔は全く思ってなかったけど、今は何よりも大切な存在になったから」
「お金があるからってだけでしょ」
「そうだよ。俺たちの大切な財布だから」
「ふざけないで」
10分後、清に電話をした。
「さっき、とかずから連絡が来たの」
「え、兄さんが?」
「あなたのSNSを見たんだって。私が家を買ったことを知ったから連絡してきたの」
「兄さんが俺のSNSをフォローしてたのか」
「いいえ。SNSを見たのは千春さんよ」
「ごめん、警察だったよ」
「いいえ、しょうがないわ。SNSのことをよくわからないけど、友たちにバレるとは思わないでしょう。あんな家族のことを何とも思ってない人にね」
「なんか言われた?」
「一応、掃除グッズがヒットしたことは話したわ。それで私のことを財布扱いしてきた」
「あの人は本当に最低だな。どうしてそんな風に言うことができるんだ?」
「もうしょうがないのよ。これからきっと面倒なことを言ってくるよ」
「俺からあの人に言っておこうか」
「いえ、大丈夫よ。最後に会ったのは父さんの葬式が終わってからだったけど、見た目もかなり危ない感じになってただろう。あんまり関わらない方がいいと思うよ」
「LINEもブロックした方が良くない?」
「いいえ、もうそういうことも言ってられないわ。私にも守らないといけないものがあるし、ここでしっかりと決着をつけないといけないと思う。大丈夫、心配しないで。あの人たちと直接会うことはないから。LINEでのやり取りだけだし」
「もしかしたら清も巻き込むことになるかもしれないけど、安心して。俺は俺で腹が立ってるから、あの人に一言言ってやりたいと思ってるんだ」
「そう。それじゃあ、何があっても立ち向かいましょう。きっとお父さんもそれを望んでるはずよ」
「ああ、そうだね」
2週間後、千春からまた電話がかかってきた。
「お母さん、新居での生活はどうですか?」
「そんなのあなたに言う必要はないはずよ」
「そんなつれないことを言わないでくださいよ。私たちにとっても大事なことなんですから」
「何を言ってるの?」
「実は、とかずと話し合って同居しようということになったんです」
「え?」
「だって、お母さんが一人であんな豪邸に住むなんて大変じゃないですか?年齢的にも心配ですし、そういう話をした結果、同居しようということになったんです」
「その話し合いに私は全く関わってないんだけど」
「お母さんの気持ちはもう分かっています。だから二人だけで決めさせてもらいました」
「私の何がわかるって言うのよ」
「お父さんがいなくなって寂しいに決まってます。私たちと同居するってなったら嬉しいでしょう」
「そんなわけないでしょ。誰があんたたちとなんて」
「強がらないでくださいよ。私たちがいないとまともに生活できなくなりますよ」
「何かあったとしても、あなたたちを頼るなんてしないわ」
「そんなこと言わないでください。明日引っ越すことにしました」
「何ですって?明日?」
「はい。今もその準備をしてる最中です。家の住所もちゃんと調べ上げてるので」
「勝手なことをするのはやめなさい。そんなことしていいわけがないでしょ」
「断るんですか?介護しませんよ」
「あなたたちの介護なんて必要ないわ。介護が必要になったらプロにお願いをするから」
「いやいや、介護は家族がやるべき仕事ですからね」
「あなたたちはもう家族ではないわ」
「そんな言葉は通用しませんよ。法的に私たちは立派な家族なんですから」
「そういうことをしてくるのね」
「何がですか?」
「あなたたちときちんと話し合いをしないといけないと思ってたの。諸々のやるべきことが片付いてからやろうと思ってたけど、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないみたいね」
「話し合いって何ですか?」
「とりあえず、とかずにこちらから連絡をするわ」
「そうですか。では、私は引っ越しの準備を続けますね」
3分後、とかずに電話をかけた。
「勝手にうちに引っ越そうとしてるみたいね」
「千春のやつ、行っちゃったのかよ。別にいちいち報告する必要もないのにな」
「勝手なことをしないでもらえる?」
「あの家は俺のものでもあるんだよ。そこに住むことの何が悪い?」
「あなたはあの家に全く関係ないわ」
「あんたの息子なんだから、俺のものだろう」
「あなたはもう私の息子じゃない。自分が何をしたか分かってるの?お父さんが病気で苦しんでたのに、一度も見舞いに来なかった。葬式にすら顔を出さなかった。あんたがうちに来たのは、葬儀が終わって金をよこせって言ってきただけ。それだけじゃなく、あんたはお父さんが大事にしていた時計まで持っていったでしょ」
「あれは交通費代わりだよ」
「ふざけないで。だとしても、息子なんだから相続する権利はあるはずだろう」
「あんなしけた親父だから、大した資産なんてないとは思ってたがな」
「こんなことを言う人は、息子でも何でもないのよ」
「俺のことを拒絶するつもりか」
「当たり前でしょ」
「言っておくが、こっちは住所分かってるんだぞ。もし俺たちを受け入れないとなったら、どうなるか分かってるのか?」
「どうなるっていうのよ?」
「痛い目に会ってもらうぞ。それでもいいのか?一生ネタ切れ状態なんて辛いだろ」
「あんた、私のことを脅すつもり?」
「悪いことをしたんだから、報いを受けるのは当然だ。賢い選択をした方がいいぜ」
「あんたはそこまで人として腐ってしまったのね」
「あんたたちの教育のたまものだよ」
「私たちはそんな風に育てた覚えはないわ。真面目に何でも頑張りなさいと言ったのに」
「黙れ。これ以上俺に口答えをするな。とにかく明日そっちの家に行くからな。家にすぐに入れろよ」
「来れるなら来ていいわよ」
「やった。正直、豪邸の生活にずっと憧れてたんだよ。まさかそれをあんたたちがさせてくれるなんてな。持つべきものはやっぱり親だな」
「もう好きにしなさい」
翌日、とかずから電話がかかってきた。
「おい、これはどういうことだ?」
「ちょっと何よ」
「電話をしつこくかけてきて、うるさくてしょうがなかったわ」
「電話に気づいてたんなら出ろよ」
「いやよ。こっちも色々と忙しいの。それよりも、これはどういうことだ?」
「何?」
「今、あんたの家の前に着いたんだ」
「へえ、よくわかったね」
「住所は分かってるって言ってただろう。でも、いざ来てみたら豪邸がなくなってるんだ。これはどういうことか説明しろ」
「そうそう。そこの家は全部壊しちゃったのよ。老朽化が激しくて住むことはできなかったからね」
「それで壊したのか?」
「そうよ。当たり前でしょ」
「でも、いつの間に解体なんて」
「あのSNSは、あなたたちが気づく少し前にアップされてたのよ。写真を撮ったのは解体前に思い出として残しておきたくて。あれからすぐに解体は始まって、終わったのはつい最近だったから」
「こっちは今日からここに住む予定だったんだぞ」
「知らないわよ。そんなの許可した覚えはないわ。それに、家を買ったからってすぐに住むって、どうしてそんな風に思ったのよ」
「そうするのが普通だろうが」
「だとしても、意味がなさすぎるのよ。それじゃあ、そこにはもう住めないから、さっさと帰りなさい」
「お前がちゃんと説明をしてれば」
「勝手に引っ越しを決めるような人に説明をする義理なんてないわ。こっちはもうマンションを引き払ったんだぞ」
「だから、そんなの知らないって言ってるの。自分でやったことなんだから、自分でどうにかしなさい。私に文句言ってる暇があったら、新しい家を見つけないといけないんじゃないの?」
「実家は?」
「もうないって言ってるでしょ」
「じゃあ、あんたはどこにいるんだ?」
「言うわけないでしょ」
「どこまで俺のことをコケにするつもりだ?」
「それはこっちのセリフよ」
3分後、清に電話がかかってきた。
「清、お前のところに母さんがいるだろう」
「だったら何だよ」
「どこに住んでるのか教えろ。俺たちもそこでしばらくは生活をさせてもらう」
「ふざけるな。勝手なことを言うんじゃない。うちにはあんたたちを住ませるだけの余裕はない。部屋だってもうパンパンなんだ」
「母さんと同じ部屋でいいよ。どうせすぐに出ていくことになるし、ちょっとの間だけなら別にいいだろう」
「無理だ。あんたたちと関わりたくない」
「お前も俺のことを無視するのか」
「被害者ぶってんじゃねえよ。先に俺たちのことを無視したのはそっちだろ」
「俺は別にお前には何もしてない」
「俺の大切な両親を悲しませただろ。それが絶対に許せないんだよ」
「俺が前から父さんと仲が悪かったのは知ってただろう」
「それは知ってるよ。あの人はいつも俺に口うるさくて」
「そりゃ、お前はあの二人に上手に取り入ってたから、俺の気持ちなんて分からないだろうけどな」
「俺は取り入るなんてそんなことしてるつもりはない」
「兄さんは、勉強や部活がうまくいかなくなってから、どんどん悪い奴らと付き合うようになっただろう。帰るのが遅くなったり、学生なのに飲酒喫煙とか、非行までされて悪い方に行ってたじゃないか。父さんはそんな兄さんを救い出したかったんだ。父さんだって厳しくしたかったわけじゃないよ」
「うるせえ。知ったような口を聞く」
「出来損ないは出来損ないの道しか歩けねえんだよ」
「そんな決めつけるなよ。努力すれば、別の道もあっただろう」
「努力なんてしたって意味ねえんだよ。俺は何をやっても身につかなかったし」
「俺の知る限り、あんたは何も努力してないよ。ただ父さんに怒られないように、努力してるふりをしていただけだ。それに、自分が得意なことを見つける努力もあんたはしていなかった」
「何があってもコツコツ真面目に頑張れって父さんが言ってたのに、あんたは一切耳を貸さなかった。それでも父さんは兄さんを見捨てず、一人前になってほしくて厳しく言ってたんだよ」
「お前は何でも器用にできるからいいよな。俺だって色々我慢はしてたよ。両親はいつも俺のことよりも、あんたのことを思ってた。一度、そのことで父さんと言い合いしたこともあった」
「何それ?」
「相手にされてないように感じて、そのことをぶちまけたんだ。そしたら父さんは俺に謝ってくれたよ。俺よりも兄さんが心配だったから、相手する余裕がなかったんだってね。それくらい、父さんやもちろん母さんだって、あんたのことを気にかけていたんだ」
「じゃあ、なんで俺を見捨てるようなことをするんだ?こんなに俺は困ってるんだぞ」
「愛想を尽かすようなことをしたのはそっちだ。あんたがどうなろうと知ったことじゃない」
「そんな待ってくれよ。俺たちのことを見捨てないでくれ」
「嫌だね。頼むから俺たちに関わらないでくれよ」
「母さんを脅すようなことを言ったんだろう」
「あれは思わず言っただけだ」
「だとしても、そんなことを言う奴は家族でも何でもない。俺は母さんを守る義務がある。だから、あんたをこの家に受け入れるなんてことはしない。自分でどうにかしてくれよ」
10分後、千春からまた電話がかかってきた。
「お母さん、あなた最低ですね」
「最低?何がよ」
「あなたのせいでこっちは大変なんですよ。今、とかずは何とかして新しい家を探してます。これは全部あなたのせいですよ」
「私は何もしてないわ。あなたたちが勝手に誤解をしただけでしょ」
「必ず私たちはその家に住みますからね」
「まだ諦めてないんだ」
「当たり前でしょ。どうせ新しい家を建てて帰るつもりなんですよね。その家が完成したら必ず行きますから。私たちにバレないと思わないことです。逐一そちらの土地を見に行って確認しますからね」
「そう。好きにしたらいいわ。でも、あなたたちは住むことはできないわよ」
「何を言ってるんですか?嫌なら無理やりにでも住んでやりますよ」
「そんなことは不可能なのよ。あそこの土地には、私が住むための家を建てるつもりはないから」
「は?あそこの土地には集合住宅を建てるつもりなの?」
「集合住宅?そう。経済的に大変な人とか、色々な事情で家がなくて困ってる人たちが住めるような施設にするつもりなの」
「じゃあ、私たちも住んでいいですよね。ありがとうございます。私たちのための集合住宅。ラッキー」
「あなたたちは人を困らせてる側でしょ。そんな人に住む資格はないわ。私は人助けのためにやりたいのよ」
「はあ。意味わかんないわ、マジで。そんなくだらないことのためにあの土地を買ったんですか?」
「そうよ」
「なんで」
「私が生まれ育った家が貧乏だったのは知ってるでしょ。それで高校にも進学できなかったの。でも、中卒の私にまともな仕事なんてなかなかなかった。そんな時に、知り合いの伝を辿って住み込みで家政婦をすることになったの。そして、私が働いていたのがあそこの家だったの」
「え?」
「資産家のご夫婦が住んでてね、二人とも私にとっても優しくしてくれたわ。特に奥様には本当にお世話になってね。勉強や社会で生きていくための知恵も教えてくれた。実は掃除グッズもあそこで思いついたものなのよ。それを二人ともとても褒めてくれて嬉しかったの。今も覚えてるわ」
「それから、私は18まであそこで仕事をして、別のところに就職をしたの。離れたところで生活をするようになったから、なかなか行けなかったけど、手紙のやり取りはずっとやってた。後に二人とも亡くなってからは、家の買い手が見つからなくてずっと放置されてたの。だから、私が買い取って、あの二人がしてくれたように人助けに利用したいと思ったのよ」
「そんなことしたって、何の身にもならないでしょ」
「はい。お金があるのなら、もっといい暮らしができるのよ。豪邸でブランド物を身につけて、誰もが羨むような暮らしをしたいと思わないの?」
「そんなのに興味はないわ」
「お母さん、今からでも遅くないんです。そんなことはやめて、豪邸を建ててください。そこで私たちと一緒に暮らしましょう」
「いやよ」
「お願いです。もう周りの友達に自慢しちゃったんです。家に招待するとまで約束したんですよ」
「なんでそんなバカなことを」
「私のことをずっと地味だと馬鹿にしてきた連中を見返すチャンスなんです。あいつらの鼻を明かしたいんです。協力してください」
「くだらないわ。そんなものに私は協力しない。見返したいのなら、自力でどうにかしなさい」
「せっかく金持ちになったのに」
「私がお世話になったご夫婦は、決して派手な生活をしていたわけじゃなかった。でも、内面は誰よりも気高く美しくて光輝いていたように私には見えていたわ。だから、私もあの二人のようになりたいと思ってるの。その気持ちはあなたには分からないでしょうけどね」
10分後、とかずから電話がかかってきた。
「舐めたことをしやがって。まさか自分たちが住む気もないのに土地を買うなんて」
「目論見が外れて残念だったわね。これに懲りたら、人に頼るような情けないことはやめなさい」
「ふざけるな。だったら言ってくれればよかっただろう」
「言う前に、あなたたちが勝手に引っ越しを決めたのよ。それに、私はそもそもあなたたちと縁を切ったつもりだった。だから説明する義理なんてないと思ったのよ」
「俺が父さんの見舞いや葬儀に行かなかったことを、そんなに怒ってたのかよ」
「当たり前でしょ。私がどれだけ会いに来てってお願いした?お父さんは亡くなる直前であなたのことを心配してたし、会いたがっていたのよ。そのお父さんの気持ちを踏みにじるようなことをした。それだけじゃなく、あんたはお父さんの形見まで持っていってしまった。そんな人を、私は息子だなんて思えないわ」
「そうかよ」
「私は心の中であなたと縁を切ったけど、直接言ったことはなかった。それはきっと心の奥底であなたのことを信じていたからかもしれない。いつか改心して全てを謝罪して、お父さんの眠っているお墓に手を合わせてくれるかもしれないってね。そうなったらまた家族として迎えたいって思ってたから、直接伝えることを避けていった。でも、今回のことであなたにその余地がないってことがよくわかったわ。だから、こうやって縁を切るって伝えられてよかった。あなたと私はもう家族でも何でもありません。どうぞお好きになさってください」
「は、別にいいぜ。縁を切られたって何の問題もない。あんたがあの世に行ったら、俺はあんたの遺産で悠々自適に暮らさせてもらう。だから心の中であんたが早く死ぬのを願ってるぜ」
「あなたらしい最低の言葉ね。もう怒りを通り越して呆れ果てるわ。でも残念ね。あなたが遺産をもらうことはないから」
「はあ?何を言ってんだ。絶縁なんて口約束なんだよ。法的な効力は何もない。息子である以上、俺はあんたの遺産をもらう権利があるんだ」
「私があの世に行く前に、生前贈与で清と事前団体に全て渡すって決めてるから。困ってる人のために私はお金を使いたいと思ってる。だって、私はもう十分幸せな人生を歩ませてもらったから。愛する家族がそばにいてくれて、これ以上何も求めないわ。だからこそ、資産は困ってる人のために使いたいの。これは清も了承してくれてる」
「ふざけるな。俺の金だぞ」
「そんなわけないでしょ。あんたには一円も渡さないって言ったでしょ。だから遺産を当てにするのはやめなさい」
「なんで俺ばっかりこんな目に会うんだよ。俺は何も悪いことなんてしてないのに」
「お父さんを見捨てたでしょ」
「あいつがうるさかったから悪いんだ。母さんだって俺の味方をしてくれなかった。俺は何の才能もなくて、何もうまくできなかったんだ。そんな奴が努力したって時間の無駄だろう。だから俺はやらなかっただけだ」
「それだけならまだ良かったわよ。そこからあんたは悪い人たちと付き合って、どれだけ周りに迷惑をかけた?その度に私やお父さんはあなたの代わりに謝りに行ったり、警察にあなたを引き取りに行ったりしないといけなかった。それでもお父さんはあんたを見捨てずに更正させようと厳しく接していたのよ。なのに、あんたはそのお父さんの気持ちを無視してた」
「今更、普通の生活なんて俺には無理だったんだよ」
「そんなことない。勝手に思い込んでただけ。そうやってあなたはいつも目の前の困難から逃げていった。向き合おうとはしてこなかった。だから、あなたは今そんなことになってるのよ」
「俺が悪いって言うのかよ」
「少なくとも、家族に迷惑をかけていい理由にはならないわ。これ以上あなたに面倒をかけられるのはごめんよ。私は清一家と同居して楽しい人生を歩むつもりなの。だから、それを邪魔するようなことはしないでよね。このLINEもブロックさせてもらうわ」
「マジかよ」
「私を痛い目に合わせるって言ってたけど、これから痛い目を見るのはあなたの方だからね。覚悟して生きていきなさい」
その後、とかずたちはしばらくマンションで生活していたが、安いアパートを見つけてそこで暮らすようになった。ただ、引っ越しの費用などで貯金が底をついたので、二人揃ってとかずの悪友たちと一緒に窃盗品の転売をする事業を始めた。これで一発逆転を狙ったみたいだが、そんなうまくいくわけもなく、すぐに足がついて、夫婦揃って逮捕されてしまった。辛いことから逃げて楽な道ばかりを選んだ結果、犯罪に手を染めて転落するというのは、いかにもとかずらしい。私たちの思いが伝わらなかったのは残念だが、しっかり罪を償ってほしいものだ。
一方の私は、清たちと楽しく生活している。念願だった集合住宅施設も無事に完成して、NPO法人の方たちと協力して、できるだけ多くの困ってる人たちの手助けになればと動いている。とかずのように手を差し伸べても分かってくれない人はたくさんいる。それでも、私は多くの人を助けられるように手を差し伸べ続けたいと思っている。



