「あんたが帰ってこないと、強化に濡れ衣を着せるぞ」——義母のその言葉を聞いた瞬間、私は凍りついた。強化は私が一番可愛がっていた後輩で、8年以上連絡も取っていないはずなのに、なぜ義母がその名前を知っている?しかも義母は脳梗塞で寝たきりのはずなのに、防犯カメラには近所を歩く姿が映っていた。私は介護要員として義母の家に戻ることを決めた。強化の真実を知るまでは離婚もできない。でも、その先に待っていた…

「あんたが帰ってこないと、強化に濡れ衣を着せるぞ」——義母のその言葉を聞いた瞬間、私は凍りついた。強化は私が一番可愛がっていた後輩で、8年以上連絡も取っていないはずなのに、なぜ義母がその名前を知っている?しかも義母は脳梗塞で寝たきりのはずなのに、防犯カメラには近所を歩く姿が映っていた。私は介護要員として義母の家に戻ることを決めた。強化の真実を知るまでは離婚もできない。でも、その先に待っていた...

病院で「うつ」と診断された。先生にはとにかく休めと言われた。でも義母は言った。「メンタル弱すぎでしょ。気合いを入れれば吹き飛ぶわよ」

結婚して8年。起き上がるのも辛くて吐き気もひどい。それでも義母は笑い飛ばす。「私が若い頃はそんなの病気じゃなかった」

「お母さん、私がこうなった原因、分かりますよね」

「まさか私のせいだって言うの?」

8年間ずっと耐えてきた。顔を見るたびに容姿をけなし、野菜の切り方が悪いと手を叩かれ、風呂に入れば電源を落とされる。それが「愛の鞭」だと言う。「立派な嫁になれるよう教育してあげたのよ。感謝しなさい」

「休む?誰があんたの代わりに家事をやるの?」

「私たちは家族じゃないですか?こういう時に支えてくれないんですか?」

「甘えるのもいい加減にしなさい」

夫は海外赴任中で頼れる人もいない。実家に帰ると言えば「許さない」と言われた。

「分かりました。薬飲んで頑張ります」

翌日、父から電話があった。「そろそろ母さんと仲直りしたらどうだ?」

「別に喧嘩したわけじゃないよ。お母さんが勝手に怒ってるだけ」

「全然帰ってきてないじゃないか。あれからもう3年も経つんだぞ」

「実は母さん病気なんだ。明日から入院することになった」

「なんで言ってくれなかったの?」

「みほには言うなと言われた」

「いつまで怒ってるのよ?」

「それは違う。母さんは怒ってなんかないよ」

「私は2度と帰ってくるなってお茶までぶっかけられたのよ」

「あれはわざとだ」

父は話してくれた。あの日まで私は頻繁に実家に帰っていた。それが姑の気に食わなかったらしい。姑が母に電話をかけてきた。「実家に帰ってばかりで困ってる。そのせいで子供もできないし、嫁としての自覚がなさすぎる」と。母は言い返した。「娘が実家に帰るくらい構わないだろう」と。すると姑は脅した。「だったら娘さんのことをたっぷり可愛がってあげないといけませんね」と。

だから母はあの日、突然「もう帰ってくるな」と言ったのだ。

「あんたのご飯作るのめんどくさいとか散々言われたけど、全部嘘だったってこと?」

「不器用な女なんだよ。大事な娘を遠ざける方法なんて分からなかったんだ」

「お父さんも知ってたならもっと早く教えてよ」

「俺が聞いたのは昨日だよ」

母は手術に備えて、もしものことがあればと父にへそくりとこの件を伝えたらしい。

「お前が姑に大事にしてもらえるなら、会えなくなっても構わないと思ったんだろう」

「飛んだひねくれ者だよ」

「本当だよ。母さんは後悔してる。3年間話したいことがたくさんあったのに忘れちゃったわって怒ってた」

「私だっていっぱいあったのに」

「病院に顔を出してやれ。きっと喜ぶぞ」

「もちろんよ。必ず行く」

「お父さん、私も正直になるね」

「どうした?」

「うつになったの」

「え?」

「詳しくは帰ってから話す。ただ体調があまり良くないから、明日すぐには行けないかも」

「修平君は帰ってこれないのか?」

「あの人は私に無関心よ。お母さんのことで相談しても、そっちのことはそっちで解決しろっていうの」

「イギリスに行ってもう何年だ?」

「5年は経つかな?」

「ついていけば良かっただろう」

「母さんが心配だから頼むって言われたの。それを間に受けて今日まで来ちゃった」

「真面目で優しい自慢の娘だよ」

「お父さんありがとう」

「こっちは心配いらない。まずはゆっくり休め」

数時間後、義母が来た。「まだ寝てるの?吐き気が強くなってきて」

「ちょっと辛いだけで心が壊れるとか、弱い嫁ねえ」

「いびった時が覚醒するんですね」

「やいよ。誤解に決まってるわ」

「必要であれば診断書を頂いてきます」

「金の無駄」

「今日の夜は友達呼んで飲み会するから、つまみくらい作っておいて。昨日から暇さえあれば寝てるんだし、元気になったでしょ」

「その前に聞きたいことがあります」

「何よ。メニューなら任せるわ」

「違います。3年前、うちの母に電話しましたね」

「そんなの話、覚えてるわけないじゃない」

「脅したと聞いています」

「あのバカ、黙ってろって言ったのに」

「父から聞いたんですよ」

「旦那にも言うなって言ったのに。口の軽い女ね」

「脅す方が最低じゃないでしょうか。娘を人質に取られたら身を引くのが親心でしょう」

「子供も産めない女が偉そうに」

「チャンスは夫が帰国した時だけです。妊娠できなくても無理はありません」

「あんたやっぱりうつじゃないわね」

「はい。それだけ言い返すってことは元気な証拠じゃない」

「話をそらさないでください」

「子供なんてもうどうでもいいわ。もう36歳だし、子供を産む年でもない。諦めて今後は私たちのために尽くせばいいの」

「私は家政婦ですか?」

「随分と自己評価が高いのね。家政婦はお給料が発生するけど、あなたは無給。どちらかといえば奴隷かしら」

「お気持ちはよくわかりました。しばらく実家に帰らせていただきます」

「具合悪いんじゃないの?」

「おつまみを作るより、タクシーに乗って実家に帰る方が楽です。母とも和解できそうですし、何の問題もありません」

「そんなの許さない。タクシーでいくらかかると思ってるのよ」

「父に出してもらうのでお気になさらず」

「うつ病使って出ていくとかふざけるな」

「許可は必要ないです。では失礼します」

1ヶ月後、義母から電話があった。「私の状況、姑に聞いたんでしょ?はい。脳梗塞で倒れたそうですね」

「なのに帰ってこないなんて正気?」

「それは自分の息子さんに言った方がいいのでは?」

「あの子は仕事で忙しいから簡単に帰国なんてできないの」

「私の連絡も無視するほど忙しいそうです」

「ふざけんじゃないわよ。こっちは寝たきりなのよ。さっさと戻ってこい」

「離婚するつもりです」

「は?」

「予想できませんでしたか?」

「あんなにいびっておいて、よくもまあ」

「8年も一緒にいたんだから、この先もずっといるって思うじゃない」

「8年で限界を迎えたんです。むしろよく耐えた方だと思いますよ」

「あんた絶対うつ病だわ」

「そう思われても仕方ないですね。そちらの家を出た途端、すこぶる調子が良くなったので」

「そんなの単なる言い訳じゃないの」

「ご飯も美味しいし、空も青く感じます。不思議なものですね」

「みほさん、私はあなたが可愛くて教育していただけなのよ」

「急に猫なで声を出しても無駄ですよ」

「戻ってきてくれるわよね。介護お願い」

「離婚するので介護をする理由がありません」

「この卑怯者!いいから黙って介護しろ」

「失礼します」

数日後、父から電話があった。「みほ、大丈夫か?怪我はないよな」

「リビングの窓ガラスが2枚割られた。でもたまたまキッチンにいて無事」

「俺はまだ病院なんだ。今から先生の話があって戻れない」

「大丈夫。業者さん呼んだから夕方には交換してくれるって」

「一体誰の仕業だ。こんな風に恨みを買った覚えはないんだが」

「私はとっさに義母かなと思ったんだけど、寝たきりで動けないから無理だもんね。誰かに頼んだのかもしれない」

「いくら何でもここまでするか」

「あり得るよ。人を傷つけることを何とも思わないから」

「今までずっと辛かっただろう」

「慣れって怖いよね。辛いけど、またかとか、前よりマシだなとか、感覚が麻痺してしまってたの」

「良くないな」

「うん。それで体が悲鳴をあげるんだね。人間ってよくできてるなって思った」

「笑い事じゃない。母さんがどれだけ心配してると思ってるんだ」

「お父さんのおかげでやっといい気分になった。ありがとう」

「こんなことになったのはあいつらのせいだ」

「お母さんにまた明日行くって伝えて」

「ああ、きっと喜ぶよ」

「プリンかシュークリーム、どっちがいいか聞いといてね」

「あまり食わせるな。これ以上太ったら終わるぞ」

「明日、食べた分やめろ」

翌日、義母が父に電話をかけてきた。

「ご無沙汰しております。みほの父です」

「あら、ご病気になられたそうですね。お見舞い申し上げます」

「どうも。うちの妻も病気になりましてね」

「らしいですね。毎日病院に通うのは大変ですが、こういう時しか妻孝行はできませんからね」

「よろしいですわね。私は結婚してすぐに離婚して1人で子供を育ててきましたから、奥様が羨ましいです」

「世間話はこのくらいにしておきましょうか」

「昨日、我が家の窓ガラスが割られました」

「物騒な世の中ですね。ええ、本当に」

「それはお気の毒ですが、私には関係ありません。そんなことより娘さんに早く戻ってくるよう伝えていただけないですか?」

「娘は自分の意思で実家に戻ってきています。その原因もご存知ですよね」

「誤解ですよ。私は常識の範囲内で嫁を教育してきただけです」

「うつになったのはそちらの教育の問題ではないですか?」

「うちは嫌なことを我慢する必要はないと教えています」

「ああ、なるほど。だからすぐに逃げ出すような根性なしのお嬢さんに育ったんですね」

「1年も耐えたことを褒めて欲しいくらいですが、あなたは随分と厳しい嫁教育をなさるんですね」

「このくらい普通ですよ。私は要介護状態です。みほさんの力が必要なんです。戻って介護するよう伝えていただけません?」

「すると本気で思うか?」

「え?」

「あんたの介護をさせるために娘を大事に育ててきたわけじゃない」

「なるほど。自分たちだけ良ければいい。そういうことですか?」

「違う。娘が幸せであればそれだけでいいんだ」

「勝手ですね。とにかく離婚が成立していない以上、まだうちの嫁なんです。返していただきますよ」

「冗談じゃない。娘は私が守ります」

「ではみほさんに伝えてください。帰ってこないと、きかちゃんに濡れ衣を着せるぞって」

「はあ。誰ですか?」

「それは言えば分かりますよ」

数日後、父と話した。

「義母は手強いな。出ていって正解だ」

「癖がすごいでしょ」

「だな。想像以上だった」

「ところで強化って誰だ?」

「え?なんでお父さんがその名前を知ってるの?」

「帰ってこないとその子に濡れ衣を着せるぞって言ってたが、一体どこの誰なんだ?」

「私が働いてた職場の後輩よ。もうとっくに退職してるわ」

「姑も知り合いなのか?」

「知ってるはずがない。結婚前の知り合いだし、家に呼んだこともないわ。私ですら連絡なんか8年以上取ってないのよ」

「じゃあなぜ?」

「私が1番可愛がっていた後輩なの。妹と姉のような関係だった」

「そうか」

「でもある日突然会社に来なくなった」

「なぜだ?」

「それが分からないの。突然退職願いが送られてきて、私が修平との結婚を決めたくらいだったかな」

「なんでそんな昔の知り合いの名前が義母から出てくるんだよ」

「分からない。不気味すぎる」

「今日、強化に電話してみたらどうだ?」

「今してみたけど、もう使われてない番号だった」

「そうか」

「ちょっとお母さんと話してみる」

「間違っても戻ったりしないよな」

「大丈夫、信じて」

数分後、義母に電話した。

「窓ガラスを割った件は一旦隅に置いておきます」

「あんたの父親からも連絡があったわ。親子して寝たきりの私を疑うなんて、本当どうかしてる」

「その件はいいです。それよりもお母さんがなぜ強化を知ってるのか教えてください」

「簡単な話よ。修平の元彼女だもの。まあ、元婚約者って言った方が正しいかしらねえ。あなたとの結婚が決まったから去ってもらったの」

「待ってください。元々強化と修平が婚約してて、私が奪ったことになってるってことですか?」

「まあ、見る人によってはそうなるね」

「なんで強化はそのことを言わなかったんでしょう?」

「結婚を邪魔したら許さないって厳しく言いつけておいたからよ」

「え?強化に対してもそんな態度だったんですか?」

「あの女は修平に惚れていたからね。何でも私の言いなりだったわ」

「何もかもが気に入らなくていびってばかりなのに、なぜ私を選んだんですか?」

「総合ポイントが高かったから。実家の太さ、容姿、貯金額、全てを総合したらあんたに軍配が上がったってわけ。良かったわね」

「何ですかそれ?」

「どんなにきついことを言っても逃げないし。介護要員くらいにはなると思ってたのに、逃げちゃったけど」

「許せるかどうかは別として、事情は分かりました。ただ私ですら強化とは連絡が取れません。濡れ衣を着せるとはどういう意味でしょうか?」

「そのまんまよ。あの女は今でも修平を想って独身を貫いてる」

「連絡が取れるんですか?」

「もちろん。たまに生存確認のために連絡してるわ」

「まさか修平とも会ってないわよ。海外にいるんだから無理でしょ」

「何のために繋がってるんですか?」

「予備ってところね」

「意味が分からない」

「もし修平が離婚するようなことがあれば、強化に返してあげると言ってあるの。あいつはそれを信じて一生待ち続けてるってこと」

「何ですかそれ?人の人生を何だと思ってるんです?」

「別にあいつが好きでそうしてるんだからいいでしょ」

「強化の連絡先を教えてください」

「だめ」

「どうしてですか?」

「めんどくさいことになりそうだから」

「お願いします。介護でも何でもしますから」

「言ったわね」

「はい。戻ればいいんですよね」

「さっさとしなさい。待ちくたびれたわ」

数分後、父に電話した。

「ごめん、お父さん。家に帰ることにした。当面離婚もできない」

「なんでだ?」

「強化のことが分かるまでの辛抱よ」

「だからって」

「介護要員が欲しくて仕方ないんでしょ。どんな手を使っても私を呼び戻そうと必死なのよ。どこまで卑怯なんだ」

「義母の言うことがどこまで本当か分からない。ただ私のせいで強化の人生が狂ったとしたら、向き合いたいの」

「具合は大丈夫なのか?」

「うん。実家でお父さんの愛情に癒されたおかげで、すっかり体調が良くなったよ」

「無理はするな」

「お母さんのことお願いね。たまに顔を出すって伝えて」

「分かった」

「何かあればすぐに連絡しろ。迎えに行くから」

「うん。ありがとう。お父さんに1つだけお願いがあるの」

「何でも言ってくれ」

「病院から帰ってきたら話すね」

「分かった」

翌日、義母からLINEが来た。「ゼリー買ってきて。ぶどう味」

「さっき店を出たところなんですが」

「だったら今すぐ戻りなさい」

「両手が塞がってるんです」

「嘘つけ。LINE打てるじゃない」

「すぐに返信しないと怒るから、荷物置いただけですよ」

「私の言うことを全部聞く約束でしょ。一体何しに戻ってきたの?私の介護するためでしょうが」

「分かりました。戻って買ってきます」

数日後、義母が言った。「マッサージの時間よ。どこにいるの?」

「お母さんに頼まれたお菓子を探しています。5件も回りましたが売っていません」

「もういい。戻りなさい」

「そろそろ強化の連絡先を教えていただけないでしょうか?」

「私を舐めるんじゃないわよ。教えたらその途端にまた出ていくつもりでしょ」

「そんなことは」

「嘘ね。あんたの誠意が育つまでは教えない」

「戻ったら教える約束でしたよね」

「いつとは言ってない」

「1つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「何よ?」

「脳梗塞で倒れて自宅療養中なんですよね」

「そうよ」

「なのにお薬の袋が一切見当たらないのはなぜでしょう?」

「はあ」

「祖父が同じ病気になったのを思い出したんです。母がしばらく介護していましたが、薬と言ってたのを思い出したんです」

「飲んでるわよ」

「どこにありますか?」

「隠してるの?」

「なぜでしょう?」

「あんたが薬を入れ替えたりするかもしれないでしょ」

「そんなことしません」

「早く帰ってきて。寝たきりで腰が痛いのよ」

「かしこまりました」

数日後、探偵から連絡が来た。「強化さんの居場所が分かったぞ」

「本当?」

「お前の家から徒歩15分の距離にいる」

「え?そんなに近くに?」

「ただ気づかなくても不思議じゃない。お前からもらった写真とは別人だからな」

「どういう意味?」

「金髪で随分と派手な格好してる」

「強化が?」

「そうだ」

「あの子はアレルギー体質でヘアカラーもできないのよ」

「何かおかしいな。何がどうなってるのかさっぱりだ」

「義母の説明もいまいちよくわからないし。強化の家の住所を教えてくれる?」

「それはいいんだが、別の問題が浮上した」

「何?」

「お前に頼まれていた近所の防犯カメラの映像を手に入れた。3件分ある」

「ありがたいわ。誰が映ってた?」

「問題はそれだ。自分の目で見た方がいい」

「分かった。データ送って」

「そうするよ。大丈夫か?そっちに戻って体調は悪化してないか?」

「なんだろうね。いつでも実家に戻れるという安心感か、症状は明るくなってるの」

「そうだ。お前には俺と母さんがいる。いつでも俺たちは味方だからな」

「うん。必ず終わらせてくる。困ったらまた助けて」

「もちろん」

数日後、ポストにLINEのIDが入ってた。

「みほ、お久しぶりです。今日か元気にしてた?」

「なぜうちが分かったんですか?」

「ごめん。ちょっと調べさせてもらった。携帯の番号変えたんだね」

「はい」

「どうして言ってくれなかったの?修平と付き合ってたこと」

「結婚が決まったら報告するつもりでした。でも先輩も結婚が決まったって聞いて、その相手が修平さんで」

「修平と付き合ってたのは本当なのね」

「はい。姑のお母さんからも反対されたので、結婚は諦めました。先輩が幸せになるならそれでいいと思って」

「こんなの慰めにもならないと思うけど、結婚しなくて良かったと思う。夫はずっと海外に行って一時帰国すらほとんどしない。きっと女がいるんだわ」

「そんなことはないかと」

「義母には8年間いびられた」

「そうだったんですね」

「近所に住んでるって聞いたけど本当?」

「はい」

「随分と派手なヘアカラーにしてるらしいね。アレルギーは平気なの?」

「ああ、あの、ウィッグです」

「なんで?」

「先輩に見つからないように」

「そっか」

「今まで連絡できなくてすみません。素直にお祝いできる気がしなくて逃げました」

「もういいよ。嘘つかなくて」

「え?」

「イギリスにいるんでしょ?」

「いや、何の話ですか?」

「少なくとも海外赴任って、奥様がついていくパターンが多いの。そして現地では妻のコミュニティができる。偶然その中に私の大学の同級生がいたの」

「そうですか」

「あなたは妻としては振る舞ってないようだけど、しっかり目撃されてるわ」

「私じゃありません」

「先輩も知ってるんですよね。近くのアパートに住んでいます。あれは妹さんでしょ?」

「適当なことを言わないでください」

「義母を騙すために妹に偽装させたの?」

「違うって言ってるじゃないですか」

「義母から来る定期的なLINEに返信するようスマホを預けたのね」

「いいえ、違います」

「LINEのIDのメモが入ってたことも妹から知ったんでしょ」

「さっきからずっと何を言ってるんですか?」

「家賃は負担するから自分のふりをして住んでてほしいって、あなたが依頼したと妹さん本人が言ってるわよ。直接話したの。妹さんに嘘をつくメリットは特になさそうだけど」

「すみませんでした」

「いつから?」

「5年前です」

「修平が転勤してからずっと」

「はい」

「諦めきれなかったんです」

「だったら人の旦那に手を出していいの?」

「いや」

「海外という目の届かない場所でこっそり夫婦ごっこしていいのかって聞いてんの」

「申し訳ないと思ってます」

「思ってる割にはしないわね」

「はい。言い訳もできません」

「あんたがそっちで仲良くやってる間、私は姑の嫁いびりに耐えてたの。心が壊れるまでずっとよ」

「はい。すみません。私もイギリスについて行きたかった。でもあの人は母親の面倒を私に押し付けて、昔の彼女を連れてったのね。何なのこの仕打ちは」

「ずっと後悔してました」

「ずっとという割に5年も経ってるけど、大人しいふりして大した女ね。あんたの失敗をかばって私の失敗にしたことも、取引先を怒らせて一緒に謝りに行ったことも、全部やるんじゃなかったわよ」

「ごめんなさい」

「どうせ謝ってるだけなんでしょ」

「思ったらすぐに帰国しなさい」

「当たり前でしょ。すぐにその生活を捨てろと言ってるの」

「それはできないの?」

「修平さんの食事の世話とか色々あって」

「それを心配するのは妻である私の仕事なのよ」

「はい、分かってます。でも仕方ないじゃないですか」

「開き直ったわね」

「彼が私を選んだんです」

「だから何?」

「負け犬は黙っててください」

「言うじゃない」

「すみません」

「謝るくらいなら立てつくんじゃないわよ」

「じゃあ言わせていただきます。修平さんは渡しません。私が一生支えます」

「じゃあ義母もよろしく」

「それは無理です」

「私はあんたに旦那を奪われて離婚が確定した。もう義母の面倒を見る義理はないわ」

「でも私を見てて分からない?あんたが嫁になった途端、修平は日本に送り返す。母の面倒を見て欲しいって最初は優しく言うでしょうね。そしてまたそっちで新しく女を作るの」

「待ってください。修平さんは浮気なんてしません」

「現にしてるじゃない。あんたは2番手よ」

「そうですか」

「いや、3番かな?4番かな?」

「どういう意味ですか?」

「うん。なんでもない」

「負け惜しみならかっこ悪いですよ」

「そうだね。今は私の負けでいいや」

「引っかかる言い方しないでください」

「じゃあ慰謝料だけよろしく。修平とは話す気もないから伝えておいて。離婚は弁護士を挟むから、2度と連絡しないで」

「分かりました。修平さんのことは任せてください」

「よろしくね」

数分後、義母に電話した。

「お母さんも私もまんまと騙されましたね」

「何のことよ」

「強化は日本にいません」

「はあ」

「近所にいてお母さんからのLINEに返信してるのは、強化の妹です」

「え、でもたまに頼み事したらちゃんと玄関に荷物置いてくれたりするわよ」

「それも妹さんです」

「じゃあ強化はどこにいるのよ?」

「イギリスです」

「修平と同じ国なんて、そんな偶然がある?」

「偶然なんかじゃありません。一緒に行ったんです」

「はあ」

「浮気してたってこと?」

「現在進行系でしてるみたいですよ」

「なんて女なの?」

「まあ、無理やり別れさせて殺そうとしてた人が言えることではないですが」

「最低腹立つわ」

「お母さん、私かわいそうじゃありません?」

「うん。確かに。初めてあんたに同情するわ」

「私だって同じ女よ。男の浮気は仕方ないとして、相手が悪すぎるわね」

「ですよね。本当辛くてたまらないです」

「分かる。元気を出しなさい」

「本当に分かってくれます?」

「もちろんよ」

「良かったです。じゃあ今日で出ていきますね」

「え?」

「何を驚いてるんですか?気持ち分かってくれるんですよね。これ以上結婚生活続けられないの当然ですよね」

「そりゃ分かるけど、それはまた別の話じゃない」

「強化はお母さんのために帰国するつもりはないそうです。勝手なことで申し訳ありません」

「いや、ちょっと待ってよ。私はどうなるの?」

「普通に自分のことは自分ですればいいじゃないですか。歩けるんだから」

「は?」

「私も防犯の映像を見て驚きましたよ。脳梗塞で寝たきりのお母さんが、うちの近所を歩いてたんですから」

「何言ってるのよ。そんなわけないでしょ」

「じゃあ病院教えてください。お医者様と話します」

「それは個人情報だから」

「くだらない言い訳はもう結構です」

「本当よ。私たち家族はおじいちゃんの最後を見取りました。歩けないことでどんどん弱っていって、趣味の山登りもできなくなって、口癖のように山に行きたいなって言ってたんです」

「だから何?」

「本当に真面目に病気と向き合ってた祖父を知ってるから。冒涜されたみたいで腹が立つって言ってるんですよ」

「だってしょうがないでしょ。いくら言ってもあんたが帰ってこないのが悪いのよ」

「だからって病気を偽称するなんて、人として終わってます」

「うるさい。私に説教するな」

「最後に言わせてもらいますよ。私のうつ病ですら仮病だと笑い飛ばしたのに。仮病だったのはお母さんでしたね」

「ちょっと待ってよ。本当に見捨てる気?」

「はい。健康な後期高齢者なので、特に罪悪感もございません」

「そんなこと言わないで。8年も家族だったじゃない」

「8年間いびられた記憶しかないです」

「全部謝るわ。ごめんなさい」

「2度と会わずに済むなら謝罪はいりません」

「私、今更家事なんてできないわよ」

「私は逃げますが、次の嫁候補は私の可愛い後輩です。どうかたっぷりと可愛がってあげてください」

その後、義母は器物損壊で書類送検され、罰金刑となりました。この年で前科がついて、近所の笑いものだそうです。私は弁護士を通して修平と強化に慰謝料請求。無事離婚は成立しましたが、修平は案の定強化と再婚し、2人はめでたく結ばれました。しかし私が知り合いの妻から聞いたのは強化の件だけではなかったのです。修平が普段から連れている女性は他に複数名おり、もはやどれが本命かも分からないとか。しかし浮かれた強化は修平のためならと日本へ戻り、義母の世話をすることになり、かつての私の二の前になっているそうです。そんな噂を聞いてご飯が進む私は性格が悪すぎますね。母も無事退院し、今は空白の時間が嘘だったと思えるほど仲良く暮らしています。裏切りの連続でたくさん痛い思いをしたけど、父や母のそばで親孝行できる毎日も悪くありません。来週は3人で温泉に行ってきます。久しぶりに子供に戻って甘えてこようと思います。

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