ハワイで結婚式を挙げるって決めた瞬間から、全部が狂い始めた。おばあちゃんが「パスポートはあるから大丈夫」って笑ってくれたのに、式当日、私のドレス姿を見た人は誰もいなかった。け太は「急に仕事が入った」と電話一本で消えた。でも一週間後、彼の母親・みちこがおばあちゃんに言い放ったんだ。「引退したババーに何ができるんですか」って。おばあちゃんは静かに笑って「覚悟しろよ」とだけ返した。それから、け太も…

ハワイで結婚式を挙げるって決めた瞬間から、全部が狂い始めた。おばあちゃんが「パスポートはあるから大丈夫」って笑ってくれたのに、式当日、私のドレス姿を見た人は誰もいなかった。け太は「急に仕事が入った」と電話一本で消えた。でも一週間後、彼の母親・みちこがおばあちゃんに言い放ったんだ。「引退したババーに何ができるんですか」って。おばあちゃんは静かに笑って「覚悟しろよ」とだけ返した。それから、け太も...

おばあちゃんがハワイで結婚式をやるって決めたんだ。おばあちゃんも招待したいんだけど、いいかなって聞いたら、パスポートはあるから大丈夫だって笑ってくれた。本当によかった。すごく楽しみにしてくれてる。

でも、ハワイなんてお金がかかるって思ったのは私だけじゃなかった。おばあちゃんも同じことを言った。全く贅沢だわって。

だから私は言った。費用は自分たちで出すから、おばあちゃんは貯金してほしいって。

そしたらおばあちゃんが怒ったんだ。あんたは昔からお年玉ももらおうとしなかったって。バーばは金を出したいの。経済を回してるんだからいいでしょって。

それでも私が遠慮したら、おばあちゃんはこう言った。

「そんなに気になるなら、結婚式で目いっぱい幸せな顔をして、バーを悔しがらせてみせな」

本当にいいのか聞いたら、金は持ってるやつが使えばいいのって。大体、バーが金を持ってても医療費に消えていくだけだから、少しぐらいめでたいことに使わせなさいって。もう大きな金の使い道なんて、葬式くらいしかないんだからって言うんだ。

演技でもないこと言わないでよって言ったけど、ありがとうって伝えた。私が何を言ってもおばあちゃんは止まらないからねって言ったら、分かってるじゃないって笑ってた。

だからありがたくもらうよ。その代わり絶対に幸せな顔を見せるからねって約束した。

数日後、おばあちゃんのところに一人の女性が訪ねてきた。息子の妻、みちこだった。

「鶴子さん、お久しぶりです。息子から聞いたんですが、結婚式の費用を全額負担してくださるそうで」

「ああ、その話か。私が勝手にやったことだよ。そちらが引け目を感じることもないし、後から引き合いに出すつもりもない」

「そうですか。それにしても、結婚式の費用全額だなんて。まあ、お金持ちは違いますわね」

「別に、ババーの義務だからそうしてるだけだよ。金を持ってる老人が金を落とす方が世のためだからね」

「義務ですか?随分と余裕のあるお言葉で羨ましいですわ。引退されてもそんなに余裕があるなんて」

「人生を引退したつもりはまだないよ。まあ、社会的には引退してるけれどね」

「でも鶴子さんももうお年ですし、あまり無理なさらない方がいいですよ。孫に見栄を張って倒れたりしたら大変ですから」

「ご心配なく。うちは庶民ですから、そんな贅沢はできませんけどね」

「成り上がりの方は派手好きで大変ですわね」

その言葉に、おばあちゃんは何も言い返さなかった。ただ静かに笑っていただけだった。

その頃、私は夫のけ太と話していた。

「ねえ、ちょっとけ太に聞きたいんだけど」

「何、母さん?」

「本当に結婚式はハワイまで行く必要あるの?」

「え、それはまあ国内でもできるけど、弓が楽しみにしてるし、もう入籍したんだから式なんてただのパフォーマンスだろ」

「それなのにハワイだなんて。母さんもハワイがいいって言ってたじゃん」

「場所じゃなくて、あのババーの金で贅沢するなんて恥ずかしくないの?私、あの人嫌いなのよ。金持ちって性格悪いし、見下されてるみたいで。しかも自分のことをババーとか言うのよ。きっとひん曲がった性格してるわ」

「それはまあ、癖は強いよね。確かに、なんか山ん場みたいだしさ」

「そうよ。きっと影で私たちのことを貧乏人だって言って笑ってるに違いないわ」

「でももう決まっちゃったし、さすがに今からは変えられないよ」

「ちょっとそこをなんとかするのがあなたの仕事でしょ」

「無茶言わないでくれよ」

私はその話を聞いて、おばあちゃんに相談した。

「おばあちゃん、あのさ、ちょっと愚痴というか相談なんだけど」

「なんだ?」

「お母さんと仲良くやっていけるか不安なんだ。なんていうか、ほら、やっぱり母親だし、自分の子供が大切なのはみんなそうじゃん。私はよそ者だから」

「そうね。嫁姑問題はあるでしょうけど。まあ、悪い人じゃないんじゃない?」

「そうかな。怖いんだけど」

「大丈夫よ。何かあったらババーに言いなさい。年上だから、まあ話は聞いてくれるわ」

「うん。ありがとう」

次の日、け太が言った。

「ねえ、け太。やっぱりハワイの式はやめなさい」

「え?今更無理だよ。何言ってんの?」

「大丈夫よ。急に仕事が入ったって言えばいいわ。どうせもう入籍してるんだから。式なんて必要ないもの」

「でも弓は絶対反対するって」

「そういうのは面倒くさいし。弓はあんたの嫁なんだから従うべきよ。それにあのババーに恥をかかせてやりましょう」

「なんでそんなに対抗心燃やしてるんだよ」

「あなたね、世の中お金なのよ。式のお金をあのババーが全部出してるなんて、今後私たちにでかい顔をするために決まってる。本当に嫁姑問題ってあるけど、それよりも目上の人がいたらみんな逆らえないのよ。あなた、いいの?ババーにいい顔してて。何でもかんでもババーの顔色を伺わないといけないのよ」

「それは嫌だな。あのおばあさん、気難しそうだし」

「でしょ。でもさすがに式をやめるのはやばくないか?」

「大丈夫。子供ができれば完璧よ」

「子供?」

「そうよ。だから早く孫を作りなさい。そうすれば離婚なんて絶対できないから」

「母さん、離婚って、念のためだよ」

「あのババーが何か言ってきても、子供がいれば強いわ。だってあなたは父親なんだから。発言権は一番上よ。なんせ親なんだから」

「それはそうだけど、金持ちがいればみんなそいつの言うことしか聞かなくなるよ」

「立場が危うくなるわよ。いい?舐められたら終わり。あなたもそれは分かってるでしょ。学校で散々いじめられたのは、あなたが弱々しい態度を取って相手に舐められたからでしょ。あなたが筋トレして相手を喧嘩で負かしたらどうなった?いじめなんてなくなったでしょ」

「うん。確かに」

「最初が肝心なの。舐められないためにも、立場が上だって示さないと」

「そうだな。うん。やっぱり母さんの言う通りだよね。母さんが言うことは全部正しいもん。母さんに言われて強くなったら、俺は幸せになれたし、モテるようになったもんな」

「そうよ。母さんはあんたのために言ってるの。弓さんより母さんの方があんたのこと分かってるんだから」

「やっぱりハワイ式はキャンセルしよう」

結婚式当日。

「弓、ごめん。急に仕事が入っていけなくなった」

「え、今日式なんだけど」

「どうしても外せない仕事があってごめん。本当に急で。また今度にしよう。じゃあ」

「じゃあじゃあないよ。もうみんな来てるよ。仕事って、今日結婚式って伝えてるよね。そんなので仕事が入るわけないじゃん」

「色々あるんだよ。仕方ないじゃんか」

「昨日、仕事が押してるから先行っててって言われたから、ハワイについてるし、あなたも来てるとばかり思ってた」

「ねえ、けん太。けん太、返事してよ。ねえ」

け太からの返事はなかった。連絡しても無視された。

一時間後、私は泣き崩れていた。おばあちゃんが部屋の外から声をかけてきた。

「弓、一体何があったんだい?あんなに泣いて。部屋から出てこないから、みんな心配してるんだよ」

「ごめん、おばあちゃん。け太が来ないって。また今度って言ったっきり、LINEの返信もないの」

「え、け太君が?電話しても出てくれない」

「急な仕事で、また結婚式は今度にしようって」

「なんだい、それは。ありえない。ドタキャンしたってことだろ。幸せな姿を見せるって言ったのに」

「おばあちゃん、ごめんなさい」

「大丈夫、大丈夫よ。そんなの気にするんじゃないわ。ちゃんと心配をしてくれたんだね。ありがとう」

同じ頃、みちこがおばあちゃんの家に来ていた。

「みちこさん、け太君が来てないそうなんだ。あんた、何か知ってるかい?」

「ああ、知ってますよ。もう入籍してるんですし、式なんて無駄でしょ」

「何を言ってるんだい?あんたの孫のハワイ式は、やっぱりキャンセルよ。金を使いたかったんでしょ?ならキャンセル料もそっち持ちね」

「あなた、わざと」

「わざとも何も、当然のことをしただけですよ。孫がドレス姿で号泣してたのよ。うけるわ。親戚が写真を送ってくれたの。あなたも見る?」

「ふざけんじゃないわよ」

「あんた、なんてことを?」

「怖い怖い。でも、引退したババーに何ができるんですか?もうあの子たちは入籍してるんだから、あんたには何の権限もないんですよ。まさか孫の生活にまで口出ししてくるなんて、そんなことしないわよね、いい大人が」

「あんたも口を出しているでしょう。私は母親として子供と接していますから」

「祖母は子育てをせずに、好きなだけ孫を可愛がる存在ですよね。なら、口を出す権利はないですよ。だって育ててないんですから」

その夜、私はおばあちゃんに言われた。

「弓、ちょっといい?」

「うん」

「お母さんに連絡してみたんだけど、け太君はわざと来なかったみたい」

「え、わざと?そんな、どうして?」

「本人たちは入籍しているから式をする意味がないなんて言ってたけど、私が全額のお金を出したのが気に食わなかったんだろうね。ごめんね、弓。ばあちゃんが余計なことしたせいでこんなことに」

「おばあちゃんのせいじゃないよ。大体、そんなことで式をドタキャンって。私、あんなに楽しみにしてたのに。許せない。絶対に許せない」

「弓、バーバーに任せて。これはね、間違いなく私に喧嘩を売ってるの。私の大事な孫を泣かせて、このまま黙ってるほど甘くないわ」

「おばあちゃん、何かするの?」

「ええ、もちろん」

「でも、どうやって」

「バーバーには頼れる人がいるから、心配しないで。無駄に長生きしてるからね。つては多いんだよ」

「ありがとう。今はゆっくり休みなさい。後のことはばあちゃんがやっておくから」

「ありがとう。じゃあ、ちょっと休みたいな」

数時間後、私は倒れた。泣きすぎて何も食べられず、目まいがして、気づいたら倒れてた。おばあちゃんが電話で言った。

「弓、大丈夫かい?聞いたよ。倒れたって」

「おばあちゃん、ごめんなさい。体調が悪くて。式のことを思い出すと涙が止まらないの。何も食べられなくて、目まいがして、それで気づいたら倒れてたらしいの」

「バーバーも今から行くから、今は休むんだよ」

数日後、みちこがおばあちゃんに連絡した。

「ちょっと、鶴子さん。既読無視ですか?まだ返信がありませんね。どうしました?まさかショックを受けてます?これで立場を理解してもらえたかしら?ババーは引退したんでしょ。でかい顔をするからこうなるのよ」

「覚悟しろよ」

「何ができるんですか?年金暮らしのお荷物が偉そうに」

「どうなるか、お楽しみに」

「楽しみにしてますよ」

翌日、け太が私に電話してきた。

「弓、大変なことになった。今日会社に行ったら出勤停止って言われたんだ。理由も教えてくれないんだけど、何これ?」

「今更何よ。何度連絡しても無視してきたくせに。もう連絡してこないで。今はあなたと話したくもない」

「いや、待てって。やばいんだよ。なんとかしてくれよ」

「私に何ができるの?結婚式をドタキャンしたくせに、自分だけ泣きつくわけ?私が泣いてる時に助けもしなかったのに」

「それは、リスケでもいいじゃん。結婚式はまたできるし。それより仕事の方が大変なんだ」

「仕事?」

「親父も兄貴も会社から出勤停止になったらしいし、聞いたらみんな弓のおばあちゃんの名前が出てくるんだ。ああ、そう。多分おばあちゃんがやったんだと思う」

「なんで俺たちが?俺たち何もしてないだろう」

「何もしてない?あなた、式に来なかったよね」

「それは仕事が」

「嘘つかないで。お母さんと温泉旅行に行ってたんでしょ」

「あ、なんでそれを」

「調べてもらったのよ。楽しかったよね。花嫁を放置して家族旅行してさ」

「それは母さんが」

「またお母さんのせいにするの?いい加減、自分で考えたら?」

「でも母さんが式なんて必要ないって。それに、前にお前の友達だって結婚式をリスケしてたじゃん。その後、普通に結婚してたし。リスケなんて普通だろ」

「必要ないって。私、どれだけ楽しみにしてたと思ってるの?」

「それは、ごめん」

「ごめんで済むと思ってるの?それに、あのリスケは新婦が妊娠してるって分かったから日程調整が必要だったの。そういう特別な理由じゃないわよね、私たち」

「そうだったのか。でも、リスケはよくある話じゃん」

「あなた、結婚式を何だと思ってるの?あのね、け太。私、ドレス着て式場で一人で待ってたの。みんなに新郎が来ませんって説明して回ったのよ。どれだけ恥ずかしかったか分かる?」

「それは本当にごめん。ごめんしか言えない」

「おばあちゃんが全額負担してくれた式なのに、おばあちゃんにどれだけ恥をかかせたと思ってるの?」

「だから謝ってるだろう。それより、出勤停止を解除してもらってくれよ」

「最低。もういい。け太、私たち離婚しよう」

「は?離婚?確かにリスケは悪かったけど、これくらいのことで離婚なんて」

「これくらいだと思ってるの?本当にそう思ってる?」

「確かにドタキャンしたけど、俺がしたのはドタキャンだけだろう。お前を馬鹿にしたりもしてないし」

「そういう次元の話じゃないのよ。あなたとお母さん、二人とも信用できない。これくらいのことって認識なら、なおさら無理」

「ちょっと待てよ。俺、会社を出勤停止になったんだぞ。今、離婚とか無理だろう」

「それ、自業自得でしょ。私の知ったことじゃない」

「なんだよそれ。お前、冷たいな」

「冷たい?あなたたちに言われたくないわ。あとは弁護士を通して話そう。もう、あなたに時間を費やすのが無駄に感じるもの」

一時間後、みちこがおばあちゃんに電話してきた。

「鶴子さん、あなた、何をしたんですか?うちの一族全員が出勤停止になったんですけど」

「ええ、私がやりました」

「何の権限があってそんなことを」

「引退はしましたが、発言権は健在ですよ。ああ、あなたは引退や成り上がりと言っていたけど、あれは夫の遺産で生活していると思い込んでいたからよね。だって、私が会社の会長って知らなかったんですし」

「会長?あなたが?」

「ええ、今は別の人間に会社を譲ってるわ。だから、引退したのも間違いじゃないけどね。ババーってな、図々しいんだよ。引退してもでかい顔して指図するくらいの増長もないわ。私を怒らせたことを後悔するんだね」

「私たちが何をしたって言うんですか?」

「弓をドレス姿で号泣させたこと。うけるわって笑ったこと。あの子の大切な日を最悪な日にしておいて、何もしてないだなんてよく言えるね」

「それは、結婚式なんてまたやればいいじゃないですか」

「弓がこんなに傷ついてるのに、また結婚式をあげる?ふざけてるのかい?本当に人を怒らせる天才だね、あんたは」

「でも、もう入籍してるんだから、式はただのパフォーマンスでしょ」

「みちこさん、あなたは大きな勘違いをしているようだね」

「勘違い?何がですか?」

「あんたの意見なんてどうでもいいんだよ。被害を受けたこちらが怒りを抱いている。それだけで十分だろ、理由なんて」

「でも、どうして出勤停止なんてできるんですか?みんな別々の会社に務めてるのに」

「ああ、調べたんですけどね。け太君のお父様が務めている会社、け太君自身が務めている会社、け太君のお兄様が務めている会社、全てうちの子会社なんですよね。私が引退したのは本社の社長職だけ。子会社の人事も私の一言で動きますから」

「そんな、嘘でしょ」

「まあ、かなり大きな会社で細分化されてるから、なかなか全て把握するのも難しいでしょうね。けど、これで終わりじゃない。出勤停止は、これから正式に解雇になります。けん太君もお父様もお兄様も、全員」

「なんで?確かにあなたを怒らせたかもしれないけど、そんな、これは不当解雇だわ」

「不当?ちゃんと解雇理由はあるわよ」

「は?」

「さっきも言った通り、大きな会社だからね。なかなか子会社の声っていうのは届きにくいのよ。そこは改善しないといけないわ」

「何の話よ」

「実は、あなたの一族からパワハラを受けていると被害報告が上がっていたのよ。ちゃんと調査するように言ったんだけどね。どうやら、横のつながりがあったようで、うまく隠してたみたい」

「そ、そんなことあるはずが」

「報告してきた人があなたの旦那さんの後輩だったなんて、今の今まで知らなかったもの。完全に第三者を挟まなかったのはこちらの落ち度ね。でも、なんで今更かって?今回の件でね、私も不安になったんだよ。こんなことを平気でできる一族なら、社員に対して何か問題を起こしてるんじゃないかってね。そして案の定、調査結果が来てた。過去の報告が数百件の中から探すのは骨が折れたけどね」

「骨を折った甲斐があったってもんだよ」

「わざわざ、って言うんですか?」

「ええ。普段は忙しいからね。過去の報告を振り返ることなんて滅多にないけどね。私はこれでも経営者。そういう勘は当たるんだよ。これでも不当解雇って言うなら、正式に会社側に申し立てをするんだね。そんなもん跳ね返せるくらいの証拠は、こっちも集めてるんだよ」

一週間後、け太も、その父も、兄も、全員が正式に解雇された。

「弓、お前のばあちゃんのせいで俺の人生終わったんだぞ」

「おばあちゃんのせい?あなたたちが自分でやったことの結果でしょ?」

「俺たちが何をしたって言うんだよ。確かに悪かったかもしれないけど、人生が終わるようなことしてないだろう」

「私の一生に一度の結婚式を台無しにしたこと、おばあちゃんを笑い物にしたこと、忘れたの?」

「それは」

「もう言い訳はいい。け太、離婚届を送ったから、サインして返送して」

「ちょっと待てよ。話し合おうよ」

「話すことなんてない。もう終わったの。あなたの人生、私には関係ない。それに、今回の件はキャンセルをあなたたちが勝手にしたこと。ハワイの式の全額負担分と慰謝料も請求するから」

「そんな金払えるわけないだろう」

「また結婚式をするつもりだったんでしょ?それなら、そのお金はあったはずだよね。ないのに言ったの?」

「えっと、それは」

「結局、式をあげるつもりなんてなかったんでしょ。でもね、借金になってもキャンセル料は払うべき。大人なんだから責任は取らないと」

翌日、みちこがおばあちゃんの家に来た。

「鶴子さん、夫が離婚届を突きつけてきました。仕事をなくしたのはお前のせいだと。財産も全部渡せって。長男からも慰謝料を請求されて。母さんのせいで人生終わったって言われて毎日です」

「そうですか。それは大変ですね」

「住む場所もお金も、何もかもなくなりそうです。夫は本気で離婚する気で、息子たちも誰も味方してくれません。全員が私を責めるんです。鶴子さん、お願いします。あなたなら元に戻せるはずです。会社に連絡して解雇を取り消してください。そうすれば夫も息子たちも元に戻りますから」

「無理ですね」

「お願いします。私が悪かったんです。何でもします。だから助けてください」

「助ける?面白いことを言いますね。こんなババーに何ができるのやら」

「本当にごめんなさい。反省してます」

「あなたが反省しているのは、弓を傷つけたことではなく、自分が困ったからですよね」

「違います。本当に反省してます」

「では聞きますが、あなたは今まで一度でも弓に謝りました?」

「それは」

「これから?追い詰められて初めて、これから謝る?遅すぎなのよ。あんたは弓の幸せを奪って笑った。その結果が今なだけ。自業自得よ」

「お願いします。もう二度としません。人生をやり直させてください」

「やり直し?弓の結婚式はやり直せないんだよ。あの日の弓の涙も心の傷も、一生消えない。あなたが今味わってるのは、あなたが弓にしたことのほんの一部。これくらいで甘えるんじゃないわよ。弓は一生に一度の結婚式を奪われたけど、あんたは仕事と家族を失っただけ。まだ軽いくらいだろ」

「そんな、お願いします。許してください」

「ババーなんて、社会じゃお荷物。嫌われたって構いやしない。いいかい、小娘。失うものがない人は強いんだよ。今回はいいお勉強になったわね」

一週間後、私はおばあちゃんに言った。

「おばあちゃん、離婚届を送ったよ。あとは弁護士さんに任せた。慰謝料とハワイの費用を合わせるとかなりの金額になるから、貯金も全部なくなるわ」

「それは良かったわね」

「それにしても、おばあちゃん、色々早すぎない?もう解雇になってたし」

「実はね、信頼できる人に手伝ってもらってたの。必要な書類は全部揃ってたから」

「え、いつから?」

「式の日ね。あんたが泣いてるのを見て、すぐに動いたのよ」

「おばあちゃん」

「ババーを舐めた大将。思い知らせてやったわ」

「そっか。知らないところでおばあちゃんが動いてくれてたんだ。おばあちゃん、ありがとう」

「まあ、ババーの義務だから」

「義務?」

「孫に甘いのはババーの義務と相場が決まってるのさ」

私は笑って、一つだけ言った。

「それじゃあ、甘いついでに私も一つだけ言ってもいい?」

「怒る?」

「何を?」

「おばあちゃん、お母さんに引退したババーとか、成り上がりとか言われてたんでしょ?」

「まあ、ちょっとね」

「なんで我慢してたの?」

「ババーだから、サンドバックくらいになっても平気だと思ってたのよ。変な偏見を持たせるのも良くないし。あんたが幸せなら、それでいいかなって」

「平気じゃないでしょ。おばあちゃん、もう我慢しないで。私、おばあちゃんが傷つくのは嫌だから。サンドバックなんて、もう二度と言わないで」

「ありがとう、弓」

「それに、おばあちゃんが我慢してたこと、全然気づかなくてごめんなさい」

「いいのよ。あんたに心配をかけたくなかったから。でも、バレちゃったわね。あんたはこれから新しい人生を歩むんだから、こんなババーのことなんて気に留めちゃだめよ」

それから数ヶ月後。け太との離婚が成立した。け太は仕事を失い、なかなか再就職先も見つからず、家賃を滞納して住む場所を失った。昔の知り合いのために借金をし、取り立てに追われるも、頼れる人もおらず極貧生活。かつて母親に従順だった彼は、今や誰からも見捨てられ、路頭に迷う日々を送っているそうだ。

そして、みちこもまた夫から離婚された。息子たちからは慰謝料を請求され、財産を全て失った。元々下の生まれだったためか、極貧生活に耐えきれず、心を病んだそうだ。プライドだけで生きてきた女の人生は完全に崩壊し、今は精神病棟で入院しているらしい。

まあ、クズの人生なんて、どうでもいいけれど。

一方、私は離婚を成立させ、今はおばあちゃんの家に住んでいる。おばあちゃんを放っておくと危ないからなんて言って、家のことを手伝い始めた。

でも、おばあちゃんは「もう介護には早い」って言ってるのに、全く頑固で聞きやしない。ババーの家なんだから好きに過ごせばいいものを、一度言ったら聞かない性格は誰に似たのやら。

こんな頑固なばあさんにならないように、孫をしっかり見守るために、おばあちゃんにはまだまだ長生きしてほしいと思う。

今日もおばあちゃんは台所で何かを作ってる。私が手伝おうとすると、いいから座ってなさいって手を振るんだ。その背中は小さくても、私には一番大きく見える。

Thumbnail