「母さん、今年は正月、うちに帰ってあげてもいいよ」——その電話が鳴ったのは、年末の買い出しから戻った直後だった。荷物を玄関に置いたまま、私はしばらく動けなかった。嫁の直美さんは毎年、うちに来るたびに味付けから家の広さまで文句をつける人だったのに、その日は妙に機嫌がよかった。「松坂牛と特大タラバガニはマスト。布団も新品を買っといて」と笑いながら言うので、「やった。まとめて請求書を送ればいいのよ…

「母さん、今年は正月、うちに帰ってあげてもいいよ」——その電話が鳴ったのは、年末の買い出しから戻った直後だった。荷物を玄関に置いたまま、私はしばらく動けなかった。嫁の直美さんは毎年、うちに来るたびに味付けから家の広さまで文句をつける人だったのに、その日は妙に機嫌がよかった。「松坂牛と特大タラバガニはマスト。布団も新品を買っといて」と笑いながら言うので、「やった。まとめて請求書を送ればいいのよ...

「母さん、今年は正月、うちに帰ってあげてもいいよ」
「あ、結構です。言葉遣いも礼儀も知らない上に、味付けから家の面積まで文句言われるんでしょ。嫌です」
「なんてひどい親なの。信じられない」
「今年は直美さんの実家で過ごすんじゃなかったの?」
「うちの両親、正月はハワイに行くんだって。一緒に行けばよかったのに」
「置いて行かれたから暇してるんでしょ?」
「そうね。でも今年は夫と二人で静かに過ごすつもりなの」
「年寄り二人だけじゃ新聞が相手じゃん。若いうちが盛り上げてあげるからさ」
「うちにミラーボールなんてないわよ」
「そんなものいらないし。ふざけないでちゃんともてなしてよね」
「そう言われても急には…」
「とりあえず条件だけ言っとくわ。私、寒いのだけは無理だから暖房ガンガンでよろしく。貸し布団もいいやつ置いといて。あと布団が古いのは不潔だから新品買っといて。それから料理はこだわってね。松坂牛と特大タラバガニはマスト。わかった?」
「…やった。まとめて請求書を送ればいいのよね」
「は?なんでうちが払うのよ」
「だって、それだけ揃えるお金なんてないもの」
「貧乏すぎるでしょ。若くて最先端を生きてる私たちと触れ合えるんだから、そのくらい投資だと思って頑張りなさいよ」
「投資先くらい自分たちで決めたいわ」
「蒼太もたまには親孝行したいって言ってるの。息子の孝行を無駄にする気?」
「まあ、息子が帰りたいって言うなら仕方ないけど、できればやめてほしいわね」
「なんてひどい親なの。夫に言いつけてやる」

数日後、夫の蒼太から電話がかかってきた。
「母さん、直美から聞いたぞ。帰るって言ってるのに、なんで断るんだよ」
「直美さんの要求がひどいからよ」
「直美は実家が金持ちなんだから、少しはあっちのレベルに合わせろよ」
「でも松坂牛に新品の布団なんて、うちにはそんな余裕ないもの」
「出し惜しみすんなよ。将来、俺たちに介護してもらうんだろう。直美に見捨てられても知らねえぞ」
「いつ誰があなたたちに介護を頼んだ?」
「そうやって強がってられるのも今だけだ。いずれ泣きついてくるのは目に見えてるんだからな」
「あなたも結婚して変わったわね。そんなことを言う子じゃなかったのに」
「嫁の機嫌がいいのが一番だって、母さんが言ったんだぞ」
「まあ、確かにそうだけど」
「だったら奮発してくれよ」
「おせちは毎年、お父さんの好きなものだけを私が作ってるから。それでいいでしょ」
「そんな安物で満足するわけないだろう。とにかく直美の機嫌を損ねないでくれ。親なら息子の幸せを一番に考えろよな」
「あなたの幸せって、親に無理をさせることなの?」
「長年暮らしてたんだから、隠し持ってる金くらいあるだろう」
「そんなものがあれば、もっと贅沢してるわ」
「借金でもしてちゃんともてなしてくれ」
「…お父さんと相談してみるわ」

翌日、蒼太がまた電話をかけてきた。
「親父、正月に帰る前に確認したいんだが。和室の金庫ってまだあるよな」
「あるけど、それがどうした?」
「暗証番号教えてくれよ」
「はあ?」
「年始から金の話で揉めたくないから先に言っとくが、生前贈与してほしいんだ」
「勝手なことを言うな」
「俺、知ってんだぜ。母さんに黙って、あの中にへそくりしてたこと」
「だったら何だ。お前には関係ない話だろ」
「どっちみち全部俺が相続するんだから。だったら今のうちに前渡ししても同じじゃないか」
「俺が働いて俺が貯めた金だ。それが目的なら正月は帰ってくるな」
「いやいや、冗談だよ。親の元気な顔が見たいだけ。金庫とか遺産とか金とか、そういうの興味ないから」
「なんだお前は。意味がわからん」
「じゃあ来週、楽しみにしてるよ」

数分後、夫が妻に言った。
「今、蒼太から変な連絡が来たぞ」
「私にも来たわ。嫁の満足する料理を出せって」
「俺には金庫の暗証番号を聞いてきた」
「はあ?なんでそんなこと聞くのよ」
「あいつら、金に困ってるんじゃないか」
「まさか、金目的で帰ってくるってこと?」
「俺はそう思ってる。あの嫁の要求もおかしいだろう。実家が金持ちなら普段からうまいもん食ってるはずだし」
「だからって、うちに来たって隠し財産なんてないわよ。大した貴金属だってないし。金庫って言ったって、飾りみたいに置いてあるだけでしょ」
「いや、それが実はあるんだ」
「何がお金だよ」
「お父様から相続した遺産のこと。あれなら三百万くらいだったじゃない」
「実はその金を投資に回してたんだ」
「あら、そんなことしてたの?」
「それが驚くほど増えてしまったんだよ」
「そんな話、聞いてないわよ」
「あえて言わなかった。お前の夢だったクルーズ旅行を手配して驚かせたかったんだ。サプライズってやつをやってみたかった」
「やだ、うれしい。…でも、なんで今言っちゃうのよ。家中探されたら、通帳や座のパスワードを見つけられるかもしれないでしょう」
「確かに。家以外に隠すと言っても、そんな場所ないわね」
「あ、いや、それがある。銀行の貸金庫だよ」
「ドラマで見たことあるわ。年間一万ちょっとでいいらしい。意外と安いのね」
「ああ、だから今日銀行に行くって言ってたの?」
「そうだ。今日契約してくる」
「あの子たちはどうするつもり?」
「罠を仕掛ける」
「何をする気?大丈夫なの?」
「心配はいらない。ちょっと電気屋にも寄るから遅くなるよ」
「何を買うつもり?」
「まあ、ちょっとな」
「なんだか気が重い年末年始になりそうね」
「心配するな。もし何もしなければ、正月は無事に終わるだけだ」
「確かにそうね」
「ただ、裏切ったらその時は容赦しない」
「わかった。あなたがそう言うなら見守るわ」
「この正月が蒼太との最後になるかもしれないな」
「ゆっくりする予定だったのに。飛んだ正月になりそうね」
「だな。でも、あの嫁の態度には私も我慢の限界だった。本性を炙り出して縁が切れるなら、その方がいいわ」
「まあ、どうなるか見物だな」

正月当日。
「あれ?食事の支度できたけど、どこか出かけたの?」
「お母さん、ごめん。出かけることにしたわ」
「どうしてよ?おせちを開けようと思ったのに。…なんでおせちが二つもあるの?」
「一つは私が作って、一つは夫が買ってくれたの。四人じゃ足りないだろうからって」
「あそこのは食べないの?」
「あれを私が食べる?笑わせないでよ」
「どういう意味?」
「あんな地味なおせち、誰が喜ぶのよ。イライラしたから、両方とも庭にぶちまけといたわ」
「はあ?嘘でしょ?」
「カラスが喜ぶわね。良かったじゃん」
「やだ、本当に捨ててる。なんてことするの?」
「正月に帰ったらババアの手作りおせちとか、地獄すぎるでしょ」
「松坂牛もカニも用意できないんだったら、高級料理店くらい予約しなさいよ。貧乏人はこれだから嫌だわ」
「おせち作りがどれだけ大変だと思ってるのよ」
「知らねえし。そもそも二段重なんてケチすぎない?色味も地味だし、インスタ映えしないわ」
「だからって捨てることないでしょ。作った人の気持ちを考えなさいよ」
「ちゃんと考えた上で捨てた」
「信じられない」
「しかし、おせちまで貧乏とは笑っちゃったわ。高級店なら普通は三段でしょ」
「食べもしないで判断するなんて」
「見ただけで分かるわよ。それより、今から寿司屋に向かってるから」

三十分後、高級寿司屋に到着した。
「やっぱり本物は違うわね。ネタが新鮮で全部美味しい」
「正月に開いてるお店なんかあったの?」
「隣町まで来たらあったけど。パチンコ屋の裏手」
「ああ、あそこか。あそこは有名なんだ。通りで美味しいと思った」
「言ったことはないけど、話には聞いたことがあるわ」
「まあ、母さんには一生縁のない店でしょうけどね」
「そうね。…おせちもそうだけど、雑煮もひどいもんよね」
「あれは私の母のレシピよ」
「ただのごった煮じゃん。家畜の餌でも出てきたかと思って二度見したわ」
「牛みたいに動かないあなたにはぴったりでしょ」
「言うね。…家に食べるものなくてお腹空いたから、特に頼んじゃった」
「わざわざ報告しなくていいから」
「ああ、この寿司代、後で請求するから」
「なんで私が払うのよ」
「お母さんの料理がまずいのが原因でお腹空いてるんだから、当然でしょ」
「屁理屈ばっかり」
「文句ある?」
「あるわ。文句しかないわよ」
「領収書持ってくるんで、お会計お楽しみに」

十分後、蒼太が店に現れた。
「調子に乗るなよ。ガキが」
「え、お父さん」
「お前、何をしてるんだ?」
「何って?美味しい寿司を食べてるだけですよ」
「直美に何を言った?」
「別に、思ってることを言っただけですが」
「おせちを捨てるなんて、何を考えてる?」
「もてなすこともできない自分たちが悪いのを棚に上げて、怒らないでくれます?」
「立派なおせちを用意しておいただろう。冷蔵庫には刺身もあったし、肉も買っておいたんだぞ」
「見ましたけど、松坂じゃないじゃないですか」
「お前に牛の種類なんか分かるのか?」
「幼少期からイチランクの肉で育ったんですよ。分かるに決まってるじゃないですか」
「その割に、あのおせちの価値も分からないんだな」
「二段の地味なおせちのことですか?まだコンビニの方が見栄えが綺麗ですよ」
「お前、何も知らないな」
「何がですか?」
「まあいい。それより今すぐ寿司屋を出ろ」
「はあ?さっき来たばかりなんですけど」
「話があるから帰ってこいと言ってるんだ」
「嫌ですよ。人の食事を邪魔する権利なんてありませんよね」
「じゃあ勝手にしろ。思う存分食え」

十分後。
「大トロ、やばい。三連続で頼んじゃった」
「あなたの胃の内容物に興味はないのよ」
「あんな不味そうなおせちでお腹を満たさなくて本当に良かった」
「直美さん、本当に気づいてないのね」
「なんかお父さんもそんなこと言ってたけど、何なの?」
「木箱のおせちがあったでしょ」
「ああ、ネット通販か何かでしょ」
「あれは料亭『劇場案』のおせち。夫が頼み込んで作ってもらったのよ」
「へえ、そこ聞いたことある。全然予約が取れないって、うちの両親が言ってた気がする」
「毎年十個しか作らないそうよ」
「でも確か、すごく高いお店だよね」
「今年の価格は六十万だって」
「は?嘘でしょ?あんな地味な見た目で」
「科学調味料も着色料も使わないから、自然な色合いになるの」
「でも二段じゃん」
「たくさん重ねればいいってもんじゃないでしょ。本物の職人はそれを知っているわ」
「そんな…」
「直美さん、インスタで金持ち自慢するのが生きがいなのよね」
「別にそういう意味でアップしてるわけじゃないけど」
「あのおせちをアップしていれば、フォロワーにマウント取れたのにね」
「箱残ってるよね。書き集めて綺麗に詰めればそれっぽくなるかも」
「もう処分したわよ」
「嘘。もったいない」
「あなたが捨てたんでしょ」
「六十万もすると知ってたら捨てたりしなかった」
「いくらだろうと食べ物を粗末にしてはいけないの。育ちがいいと散々自慢してきたけど、あなたのご両親は教えてくださらなかったの?」
「そうよ。親が悪いのよ」
「情けない人ね。大人なんだから自業自得でしょ。弁償してもらうから覚悟してなさい」
「無理なんだけど」
「金額を伏せてた自分たちが悪いんじゃん。知らなかったで済む話じゃないわ」
「せっかくの寿司が喉を通らなくなった」
「それは邪魔したわね。どうぞごゆっくり」
「もう帰る。食べる気がしない」
「そういえば、その寿司屋、ぼったくりで有名なのよ」
「は?」
「正月に空いてる高級寿司屋なんて、普通はないわよ」
「確かに変だなとは思ったけど…客が少ないから一人当たりの単価を釣り上げてるのね。今、会計待ちなんだけど」
「あら、楽しみだわ。いくらかしら?」
「嘘。十五万円」
「うわあ、すごい。まさに高級寿司」
「お酒も頼んでないし、ほとんど食べてないのに」
「大トロ三連発で十万行ったんじゃないの?」
「ありえない。…あなたは美味しいって言ってたけど、ネタは外国産の冷凍物ばかりだったわ」
「え?舌が肥えるって、何でも美味しいって意味だったの?」
「いや、あの…美味しくはなかったけど、食べるものがないから仕方なくって…」
「後出しじゃんけんはずるいわよ。ネタが新鮮とか言ってたじゃないの」
「うるさいわね。あんたにマウント取るために、仕方なく嘘ついたのよ」
「そうだったのね。それはごめんなさい。じゃあお会計して、そのままホテルでも行きなさい」
「は?荷物はそっちにあるんですけど」
「出しておくわ。じゃあさようなら」
「ちょっと待って。支払いはどうすればいいの?」
「皿洗いでもしたら?」

数分後、蒼太が実家に電話をかけた。
「父さん、ちょっと助けてほしいんだ」
「もったいぶった寿司屋の会計のことなら断る」
「知ってるなら頼むよ。寿司屋で十五万なんて行くと思わないから、手持ちがないんだ」
「泥棒を助けてやる義理はないな」
「何の話だよ」
「お前ら、家中のものを物色しただろ」
「金庫なら開けてないぞ。暗証番号分からなかったし」
「それ以外のものだよ。俺の小銭入れから貯金がこっそりなくなってた」
「親父、認知症になった方がいいぞ。元々なかったものを俺らのせいにするなんてひどい」
「なるほど。そうやって俺たちをボケ扱いして逃げ切るつもりだったのか」
「違う」
「ああ、そんな小銭程度でいいなら、盗んだものは全部くれてやるよ」
「否定してるのに疑うんだな。最低だよ」
「こっちのセリフだ。お前の嫁が母さんにどれだけひどいことを言って傷つけたかも分からないようなやつは、俺の息子じゃない」
「そうかよ。だったらもう二度と帰らねえよ」
「何を言うか。お前なんて二度と来るな」
「さっき言ったよな。盗んだものはくれてやるって」
「そうだ。絶対だぞ」
「じゃあ、この分厚い封筒ももらっていいんだよな」
「え、金庫に入ってたぞ。暗証番号が分からないと言ってたじゃないか。一体どうやって開けたんだ?」
「暗証番号のメモを引き出しに入れたのは自分だろ。見つけたのか。うちの嫁をなめるなよ。直美がバッグの底に隠してたのを今思い出したんだ」
「待て。それは横領はなしだぜ」
「金の入った封筒を家に置いておくなんて不注意すぎるんだよ。脳の検査した方がいいぜ」
「お前、親を馬鹿にしやがって」
「正月明け早々に受診をお勧めします。じゃあな」

数分後、直美が言った。
「さっきは皿洗いでも白とか散々煽ってくれたけど、後悔してない?」
「別に」
「金庫の中にあった封筒をバッグの奥底に隠してたのを今思い出したの」
「泥棒ですって自白してるけど大丈夫?」
「暗証番号も覚えられなくてメモするのが悪いのよ」
「そうかもしれないわね」
「そういうわけだから会計は余裕なの。ここを出たらもう一件ご飯食べに行ってくるわ」
「お好きにどうぞ」
「こんなにため込んでたなんて卑怯よね」
「そう」
「いかにも貧乏ですって顔してたくせにさ」
「別に溜め込むってほどのものでもないけど、それだけあれば色々使えるから取っておいただけよ」
「お金ってのは使わないと回ってこないのよ。こんなにへそくり貯め込んで、何か欲しいものでもあった?」
「別に。まあ、全部もらうから何にも買えないけど」
「残念でした。また一からお金貯めてね」
「うん。何よ?お金って何?」
「この封筒の中身でしょ?」
「マジでボケてんじゃないの?…もしかして、正月開けたら病院行ってこようかしら」
「それじゃあ会計済ませちゃうから、またね」

十秒後、蒼太が叫んだ。
「おい、ば…ふざけんなよ。なんだよこれ」
「あら、ご機嫌ななめね」
「封筒の中身が紙切れじゃねえかよ」
「そうよ」
「は?知ってたの?」
「確認もせずお金だと思い込んでたのは自分でしょ。この分厚さの封筒が金庫にあれば、誰だってお金だと思うわ」
「そう。私はチラシを長方形に切ってメモ用紙として保管してただけなんだけど」
「だったらなんでわざわざ封筒にして金庫に入れるのよ」
「中身が飛び出したら大変だし、入れるところがなかっただけ」
「騙すなんて最低」
「盗むなんて最低」
「置いておく方が悪いんでしょ」
「確かにそうね。盗まれると分かってて置いてたから、私たちの自業自得だわ」
「は?」
「でも、大事なものは全て銀行の貸金庫に預けてあるから大丈夫だけどね」
「貧乏人が貸金庫?」
「私も知らなかったんだけど、月千円程度らしいの。あなたも借りて、そのメモ帳でも預けたら?」
「ふざけないで」
「小銭に貯金とはいえ、お金よ。被害届は出すから」
「身内を警察に売るの?」
「身内だからこそ、悪いことは悪いと教えてあげないと」
「証拠もないくせに」
「あなたたちが金を盗む瞬間、ばっちりカメラに映ってるけど」
「何それ?」
「最近のカメラってすごく小さいのよ。お父さんが三個くらい買ってきて、家中に設置してたわ」
「家族を監視するなんてあんまりだわ」
「家族のものを盗むなんてあんまりだわ。全部ブーメランで返ってくんな」
「家中の引き出しや戸棚を全部開けてくれたわね。せっかくお掃除したのに、ベタベタ触らないでほしいわ」
「カメラ三台で全部映せるわけないでしょ」
「仕掛けておいた糸が全部落ちてたけど、何それ?」
「開けられたかどうか分かるようにしておいたの。あなたたちがやったことはただの犯罪よ」
「それはちょっと大げさじゃない?」
「おせちは器物損壊、現金の窃盗。ほら、犯罪でしょ」
「分かったわよ。警察にでも何でも言えばいいわ。親に頼んで保釈金出してもらうし」
「寿司代はどうするの?」
「親のカード切るわ」
「二度と連絡すんな」

数分後、直美から義母に電話がかかってきた。
「お母さん、助けてください」
「二度と連絡するなと言ったばかりよね」
「寿司代が払えません。十五万貸してください」
「親のカードは止められてましたでしょうね」
「え…お母様の貴金属やお父様の財布から現金を盗んだんでしょ」
「なんでそれを?」
「先ほど連絡をくださったのよ。そちらに言ってれば同じことをするかもしれないって」
「余計なことを…ハワイに行ったってのも嘘だったのね」
「お父様の会社が倒産したのは知らなかったわ。立て直そうと頑張ってる中、娘の裏切りにあって随分とショックを受けていらしたわよ」
「突然貧乏になる親が悪いでしょ」
「どうしてそんなにお金に困ってるのよ」
「あなたの息子の給料が安いからに決まってんじゃない」
「あなたも働けば?」
「なんで私が。私も若い頃はパートをして家を支えたわ」
「そんなの結婚した意味がない」
「支え合うのが家族だと私は思うけど」
「今までは遊ぶお金は実家がくれてたけど、そうはならなくなったの。生活レベルは落とせないし、物欲はあるし、どうしようもなかったのよ」
「我慢のできないわがまま女ですって自己紹介してるだけよ」
「なんだっていいから早くお金持ってきてよ」
「助ける義理がないわ」
「自分の息子も困ってるのに」
「あんな人間は息子じゃないわね」
「このままじゃやばいのよ。なんか突然黒いスーツの男が三人くらい入ってきて、姉ちゃん金払えないのかって睨んでくるの」
「やっぱりあの噂は本当だったのね」
「何が?なんか知ってんの?」
「ただのぼったくりじゃないって噂があったのよ。裏に怖い人たちがいるらしいって、誰かが言ってたけど、まさか本当だなんてね」
「飲み屋なら分かるけど、寿司屋でこのパターンありなの?」
「厳しい世の中だからね。そういう人たちも手を変え、品を変え、頑張ってるのかも」
「感心してる場合じゃないのよ。このままじゃ変なところで働かされたりするわ」
「働けばいいじゃない」
「可愛い嫁がそんなことになっていいの?」
「うん。可愛い。誰が?」
「なんだかんだで今まで私のこと許してくれたじゃない」
「私は自分の親みたいに甘えられたから、気を使わずに言いたいことを言えたのよ」
「誰も甘えていいなんて言ってないんだけど」
「え?」
「あなたの振る舞いや生きざまには腹を立ててたわ」
「何も言わなかったでしょ」
「同じ土俵に立ちたくないから我慢してただけよ」
「悪かったわよ。ごめんなさい。これでいい?」
「謝り方も知らないのに適当な謝罪しなさんな」
「もういいじゃん」
「そう思ったから、警察を呼んでおいてあげたわ。最後の優しさよ。受け取って」
「どこがよ」
「怖い人たちに連れて行かれるよりましでしょ」
「あ、確かに…いや、でも警察は嫌」
「じゃあ、その人たちと逃げるしかないわね」
「それは絶対に嫌」
「あとは好きな方を選んでちょうだい。私はお父さんとのんびりお正月を過ごすわ」
「迎えに来てくれないの?」
「行かない。もうお酒飲んじゃったし。小銭に貯金はプレゼントするわ」
「あんな一円玉ばかりじゃ寿司代の足にもならない」
「その一円を稼ぐこともしないくせに、偉そうに寿司なんか食ってんじゃないわよ」
「そうだわね。親にあんな口を聞くような子じゃなかった。あんただけのせいにするつもりもないけど、結婚してから変わったのは事実よ」
「育て方が悪かったんでしょう。私のせいにすんな」
「かもしれないわね。ただ、監視カメラの映像で我が子が盗みを働いているのを見る親の気持ちなんて、あんたには分からないでしょうね」
「分かるわけないじゃん。子供いないし」
「それだけが救いね。六親不認が子育てなんてしない方がいいもの」
「は言いすぎでしょ。本当最低なめ」
「あら、ごめん遊ばせ。では、素敵な新年を」
「え、待って。寿司代どうにかしてよ」

翌日、夫が妻に言った。
「クルーズ旅行の予約できたぞ」
「あら、嬉しい」
「まずは日本語対応してくれる国内発着の船にしてみた」
「手始めってどういうこと?」
「今はクルーズ旅行も手の届く価格なんだよ」
「そうなの?数千万するかと思ってた」
「日本をぐるっと回ったって、一人五十万もかからないぞ」
「えー」
「だから一度切りとは言わず、何度か行こう」
「いいの?嬉しいわ」
「今まで苦労かけたな」
「何よ、急に」
「今後は自分のために時間や金を使ってくれ」
「の嫁みたいに贅沢していいの?」
「あれはあんまりだろう。…高級おせちも美味しそうだったけど、私は今まで通り、あなたの好きなものだけを詰めたおせちが食べたいわ」
「作るのは大変だろう。来年も買えばいい」
「六十万もするもの食べたら口が肥えちゃうもの」
「あれ、実は一万円なんだ」
「はあ?」
「嫁をビビらせたくて嘘をついた。すまん」
「あなたって人は…もう、クルーズ旅行の準備でもしよう」
「楽しみだ」

その後、蒼太は会社を解雇になりました。実家に無心をしに来た裏で、会社のお金にまで手を出していた罪がずる式に発覚したのです。直美さんはぼったくり寿司屋での十五万円の借金を抱えたまま離婚して、実家に送り返されました。あんなに自慢していた実家も実は倒産寸前で、彼女のインスタの更新は止まったようです。私たちが仕掛けたメモ帳の封筒を盗もうとした現場の映像は決定的な証拠となりました。親戚の方々もあの動画を見て「あんな奴ら二度と出入りさせるな」と、今では私たちの味方になってくれています。

庭にぶちまけられたおせちは、春節の折に用意した一万円のダミーでした。あの子たちは六十万円の高級品を捨ててしまったと最後まで震えていたようですが、本当の特上おせちは今、私たちの目の前で輝いています。本物を知らない人たちがいなくなったリビングで、夫と二人、静かに味わうおせちと地酒は格別です。ようやく、本当の意味での穏やかな新年が始まりました。

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