「競馬で十万負けた。迎えに来い。金がない」…

「競馬で十万負けた。迎えに来い。金がない」...

「競馬で十万負けた。迎えに来い。金がない」

またか。私は仕事の合間の休憩時間に、スマホの画面を見て深いため息をついた。夫からのメッセージはいつもこれだ。

「毎日毎日、仕事もせずにギャンブルばかり。いい加減にしてよ」

「うるせえな。俺は大穴を当てて楽させてやるから」

「夢みたいなこと言わないで。ハルトはもうすぐ中学に入るのよ。制服とかで十万近くはかかるんだから」

「よし、その金をよこせ。俺が五倍にしてやる」

私は返信する気にもならず、スマホを置いた。このやり取りに、本当に疲れ果てていた。

夫は一年前にリストラされた。気の毒だとは思った。でも、そこで腐らずに頑張ってほしかった。彼は仕事を探す代わりに、昼間から酒を飲み、競馬や競艇に通い詰めた。

「お前が悪いんだ。うちの子ってやつが足りないからリストラされたんだよ」

「私のせいにする前に、やることがあるでしょ。仕事探しはしてるの?」

「してるよ」

「どこが。毎日昼間から飲んだくれて、競馬、競艇。私も限界よ」

「だったら出ていけ」

「そうする」

「は? なんでだよ」

「あなたが『出ていけ』って言ったんでしょ。離婚するってこと?」

「それしかないわ。一年耐えたけど、もう無理」

「ハルトには父親が必要だろ」

「まともな父親ならね。今のあなたを見て、ハルトが父親を尊敬すると思う?」

「一年無職だっただけじゃないか。俺はやればできる男なんだ」

「じゃあ、やりなさいよ」

「やってやるよ」

「じゃあ、結果が出たら連絡して」

「待てよ。お前の気持ちはいいのか?」

「ハルトの気持ちは?」

「あの子は関係ないだろ」

「あの子の貯金箱からお金を盗んだくせに、よく言えるわね」

夫はハルトの貯金箱から金を抜いていた。私は気づいて、こっそり戻した。しかしハルトは、自分の貯金が減っていたことを知っていた。

「実の父親が泥棒だなんて、どんな思いをしたか。あの子はすごくショックを受けてたんだから」

「いつか返す予定だったんだよ」

「『いつか』『いつか』って言ってるうちに、時間は過ぎていくのよ」

「じゃあ俺はどうしたらいいんだ?」

「酒とギャンブルをやめて、真面目に働くことね」

「頼むよ。見捨てないでくれ」

私は答えずに、電話を切った。心はもう決まっていた。

数分後、ハルトに話をした。

「急にごめんね。今日からおばあちゃんちに行くから、修学旅行で使ったバッグに服をまとめておいてくれる?」

「うん、分かった」

「後で話そうと思ったんだけど…… お父さんと別々に暮らそうと思ってるの」

「離婚するってこと?」

「うーん、そうなるかな。驚いたよね。ごめん」

「なんでもっと早くしなかったの?」

「え?」

「お父さんが仕事をやめてから、お母さんが笑わなくなったの。すごく嫌だった。離婚すればいいのにって、ずっと思ってたよ」

私は言葉を失った。息子は何もかも見抜いていた。

「子供がそういうことを言うのはよくないかなと思って、黙ってたけど」

「もう中学生だし、友達の親も結構離婚してるし」

「そっか。少しずつ大人になってるんだね」

「おばあちゃんちに住むなら、中学校は別のところになる。春くんも、こっちの友達と離れるのは嫌だろうから、新しく部屋を借りるよ。おばあちゃんちは少しの間だけ」

「いや、引っ越したい」

「どうして?」

「恥ずかしいから」

「どうして? 何があったの?」

「お父さんが友達の親に金を借りてた。『お前の親父やばいな』って言われて、結構恥ずかしかったんだよね」

私は呼吸が止まる思いだった。

「ごめん、お母さん知らなくて」

「『お前が返せよ』って言われたけど、二万円も持ってなかったし。でも、もういい。お父さんが借りたものは、お父さんが返すから」

「分かった。そんな思いをさせてたなんて、何も知らなくてごめんね」

「大丈夫。新しい中学校で、たくさん友達作るから」

「本当に転校していいの? 無理してない?」

「おばあちゃんとおじいちゃんと暮らせるんでしょ。だったら最高じゃん」

「お母さん、ハルトが笑えるように頑張るから」

「僕も勉強頑張るよ。あと、部活はバスケをやってみたいんだけど、いいかな?」

「いいよ。お母さんもずっとバスケ部だったの。かっこいいシューズを買おう」

「楽しみだ」

翌日、私はハルトを連れて家を出た。

「大きい荷物は、後日業者に頼むから」

「もう出てったのか」

夫は呆然とした顔で立っていた。

「離婚届は置いておいたわ。多分、あなたが書いて役所に出すことはないだろうから、弁護士さんに依頼することになると思う」

「おいおい、ひどすぎるだろ」

「ちゃんと対応してね。じゃあ、さようなら」

「待てって。いきなりすぎてついていけねえよ」

「こっちは一年ずっと我慢してたのよ」

「だからって、なんで今日なんだよ」

「ハルトの学校の手続きとかもあるから、急いでるの」

「転校すんのか。せっかく友達もできたのにかわいそうだろ」

「その友達を奪ったのは誰よ? あんた、ハルトの友達の親にお金を借りてたそうね」

「借りてない」

「息を吐くように嘘をつくのね」

「ああ、あれハルトの友達の親だったのか。ごめん。知らなくてさ」

「『ごめん』で済むと思ってるの? あの子は友達から『金返せ』って責められたのよ。ハルトの気持ちを考えてよ」

「分かった。ハルトには謝るし、金もすぐ返す」

「金がない人が、どうやって返すの?」

「仕事が見つかりそうなんだ」

「ああ、そう。頑張って」

「離婚なんて言うなよ。家族だろ」

「家族を裏切って傷つけたのは誰?」

「そんな大げさな話か」

「私だけなら、何をされても耐えられた。でも、ハルトを傷つけることだけは絶対に許さない」

「離婚してどうするんだよ」

「今まで通り働いて、家族を養うわ。あなたがいない分、生活も楽になる。いいことしかない」

「俺は今のままじゃ、家賃が払えないぞ」

「ご実家にでも頼れば?」

「うちの実家が貧乏なの、知ってんだろ」

「そうね。『カエルの子はカエル』だなって思ってる」

「親からの金の無心が嫌で、携帯の番号まで変えて絶縁したんだぞ」

「そちらの親子関係は、そちらで処理して」

「頼むよ。お前がいないと生きていけないんだ」

「じゃあ、生きることを諦めてください」

「それは言いすぎだろ。被害者ぶるな」

私は振り返らずに、家を後にした。

あれから一年。私はアパートを借り、仕事を続け、ハルトと二人で暮らしていた。ハルトは新しい学校に慣れ、バスケ部にも入った。少しずつ、笑顔が戻ってきた。

ある日、部活の帰りにハルトが言った。

「お母さん、おばあちゃんに会った」

「え? おばあちゃんは旅行中でしょ」

「違うの。お父さんの方のおばあちゃん」

私は足を止めた。夫の両親とは、一度も会ったことがなかった。夫は彼らと絶縁していたからだ。

「どこで?」

「家の近くで。『ハルトだね』って言われて、『家はどこ?』ってしつこく聞かれて。無視してたけど、ずっとついてくるから、友達の家に逃げ込んだんだ」

「何かされた?」

「ううん。普通にニコニコして、優しそうだったよ。『お母さんに会いたいだけだと思う』って言ってた」

「なるべくお母さんが送り迎えするから」

「やだよ。友達に笑われる」

「そっか。じゃあ、もし次に会ったら、お母さんの連絡先を教えておいてくれる?」

「分かった」

それから三日後、私は義母からの電話を受けた。

「ようやく連絡が取れたわね」

「なんで居場所が分かったんですか?」

「あなたの実家は分かってたから、近くの中学校で待ち伏せしてたのよ」

「やめてください。ハルトが怖がるでしょ」

「息子にそっくりね。すぐに分かったわ」

「今更、何の用ですか?」

「確かに私たちは疎遠だったし、息子にもお金の件で色々と迷惑をかけたけど、やっぱり家族は一緒にいるべきだと思うのよ」

「一緒にいたらいいんじゃないですか? 今までのことは、夫婦で十分反省したのよ」

「ちゃんと息子に謝って、やり直したいの」

「謝ったらよろしいのでは?」

「それが、タクシーに何度電話しても繋がらないの。それで、あなたの実家の近くまで来たのよ」

「そうですか。で、あなたたちはこっちに引っ越したのね。完成な住宅街で、素敵なところじゃない?」

「はい。非常に快適に幸せに暮らしてます」

「今日から、息子の家で私たちも暮らすことにしたわ」

「は?」

「断るなら、息子と離婚してね。あ、介護もよろしく」

「何をおっしゃってるか分かりませんけど、息子さんに会いたいなら、ここにはいませんよ」

「あら、タクシーは出張か何か? 相変わらず忙しくしてるのね」

「彼の家は河川敷ですよ」

「え? ああ、川沿いに家を建てたのね」

「そんな立派なものではなく、ビニールハウスです」

「は? なんでうちの息子がそんなことに?」

「離婚してから、そうなったみたいですね」

「嘘でしょ? 離婚? あなたが浮気したの?」

「なんでそうなるんですか」

「じゃあ、借金? 母親のくせに、それはないわよ」

「あなたたちと一緒にしないでください」

「何よ、その言い方」

「両親揃って息子に金の無心をして。あの人がどれだけ苦しんでたか、知ってますか?」

「子が親を助けるのは当然でしょ。育ててもらった恩は返すべきだわ」

「この子の幸せを願うのが親じゃないんですか?」

「願ってるわよ」

「会社にまで金の無心に行ってたのが影響したのかは知りませんけど、あの人は二年前にリストラに遭いました。一年は私が支えました。でも、ハルトの貯金に手をつけたり、子供の友達の親にお金を借りたりしたことがきっかけで、離婚したんです」

「あの子を捨てたの? かわいそうに」

「ハルトを傷つけるのは、誰であっても許しません」

「そんなこと言って、河川敷ってどこの?」

「知りませんよ。手紙で『河川敷で暮らしてる。助けてくれ』って送ってきただけですから」

「助けてあげなさいよ」

「私とタクシーは、もうすでに他人です。養育費だって一銭ももらっていません。助けるどころか、関わりたくもないんです」

「ひどい女ね」

「何とでも言ってください。で、あなたは実家でぬくぬく暮らしてるってわけ?」

「いえ、アパートを借りてちゃんと自立してます」

「収入と出費はいくら? あと部屋の間取りも教えて」

「なんでそんなことを教えないといけないんですか?」

「私と夫を養う余裕があるかどうか、聞いてるのよ」

「私に養う義務があると、本気で思ってますか?」

「私はハルトの祖母よ」

「だから何ですか?」

「孫と一緒に暮らす権利があるわ」

「ないです」

「じゃあ、私たちはどうすればいいの?」

「何をそんなに焦ってるんですか?」

「家賃が払えなくて、追い出されたの」

「頑張って働いてください。では、失礼します」

一週間後、私は夫の消息を知った。義母からではなく、警察官の友人からだった。

「タクシーを見つけたわ。河川敷なんてとんでもない。立派なマンションに住んでたのよ」

「え? なんで?」

「しかも隣町。あなたの家から車で三十分くらいの場所よ」

「ちゃんと仕事を見つけたんですね」

「なんか、素敵な女性に出会ったらしくて。その人のお世話になってるらしいわ」

「情けない。でも、良かったじゃないですか。余裕ができたら養育費を払うようお伝えください」

「何を言ってるの? 払うのはあなたよ。ハルトはこちらで引き取るわ」

「ふざけないでください。うちの大事な息子です」

「後を継ぐほどの家でもないでしょう」

「は? なんてことを言うのよ」

「ギャンブルで借金を抱えるような祖父母と父親に育てられて、まともに育つわけがないと言ってるんです。私たちはここからやり直すの。レイコさんのおかげで、第二の人生をスタートするんだから」

「そのレイコさんって方がどんな方か存じ上げませんが、あなたたちに手を差し伸べるとしたら、よほどの全財産家か、何か裏があるとしか思えませんけどね」

「人が幸せだからって、嫉妬してるの?」

「いいえ、私たちは幸せです。ああ、そう。ハルトがいなくなっても、そう言えるかしらね」

「ハルトがそちらに行くことはありません。勝手に連れ去れば、あなた方は犯罪者になります」

「ハルトの意思だったら? どうする?」

「そんなことあるわけないじゃないですか」

「今の生活なら、欲しいものは何だって買い与えられるし、どんな私立の高校や大学でも行かせてあげられるの」

「それは親である私の仕事です」

「まあ、そう思ってればいいわ。じゃあね」

それから数日後、ハルトがスマホを見せてきた。

「お母さん、お父さんからLINEが来た」

「なんで? あいつ、あなたの連絡先を知らないはずでしょ」

「『友達に一万円渡して聞いた』って」

「なんてことをしてるのよ」

「あと、『月に三十万円くれるくらい儲かってる』って」

「嘘でしょ? 何の仕事をしてるって?」

「『営業みたいなもの』って言ってた」

「ありえない。そんなうまい話があるわけがないわ」

「僕もそう思って、どんな仕事か聞いてみたんだけど、分からなかった」

「子供が余計なことをしなくていいの。あの人たちに連れ戻されたらどうするのよ」

「誘われたけど、僕はお母さんから離れないよ」

「分かってるでしょ?」

「うん。でも心配なの。もし裁判でも起こされて、あっちに資金があるなら、お母さん負けちゃうかもしれない。調べたら、十五歳になったら親を選べるんだって」

「そうなの?」

「あと二年後には、僕がお母さんを選ぶから」

「何言ってるの? 一秒足りとも、あっちには行かせないわ」

「うん。僕も行きたくないよ。次、連絡があっても無視する」

数日後、ハルトが学校の帰りに姿を消した。私はパニックになった。すると夫から電話が来た。

「ハルトなら俺と寿司食ってるから、心配すんな」

「ちょっと、勝手なことしないでよ!」

「学校帰りに声をかけたら、ホイホイついてきた。よっぽど腹が減ってたのか、がっついてるぞ。ちゃんと食べさせてんのか」

「失礼なこと言わないで。あなた、河川敷で暮らしてたんじゃないの?」

「ああ、そんな時代もあったな。二週間くらいだけど」

「何がどうなって、そんなに余裕ができたのよ」

「とある女に出会ったんだ。レイコさんって人」

「彼女が仕事を紹介してくれてさ。金で困ってた時代が嘘みたいに潤ってる」

「どうせ怪しい仕事で稼いだ金でしょ」

「合法に決まってんだろ。じゃなかったら、とっくに刑務所入ってるわ」

「お願いだから、ハルトに関わらないで」

「あいつが自分の意思で来たんだ。場所を教えてくれれば、今すぐ迎えに行くわ」

「心配すんな。ちゃんと家まで送り届けるから」

「やめて。家なんか知られたくない」

「だったら、タクシーに乗せるよ。俺は今更お前とよりを戻そうなんて思ってない。好きな女もいるしな」

「勝手に幸せになればいいじゃない。なんで今更関わろうとするのよ」

「……反省してるんだ。あの頃の俺は、本当に荒れてたし、クズだった。お前らには悪いことしたと思ってる」

「気持ちだけ受け取っておくわ」

「金に困ってないか? ハルトにいくらか持たせてやろうか?」

「いらない。ちゃんと働いてるから、ほっといて」

「そっか。分かったよ。でも、ハルトが俺を選んだ時は従ってくれよ」

「そんなこと、あの子が言うわけがない。すぐに迎えに行くから、場所を教えて」

「はいはい。分かったよ」

翌日の朝、ハルトは熱を出した。三十七度五分。インフルエンザではなさそうだったが、学校は休ませることにした。

「お母さん、仕事行くけど、一人で寝てられる?」

「うん。熱が上がってきたら、すぐに連絡して」

「分かった。お父さんからの連絡は無視するのよ」

「はい」

一時間後、ハルトから電話が来た。

「お母さん、ごめん。熱が上がってきた。三十九度超えてた」

「大変! インフルかもね。おばあちゃんには帰ってもらおう。すぐに帰るから待ってて」

「仕事なのに、ごめん」

「何言ってるの。……ねえ、どこか行ったりしてない?」

「うーん…… お父さんに呼び出されて、銀行に行った」

「は?」

「『お前の口座を作るんだ』って言われて。『お母さんはお父さんからのお金を絶対に受け取らないと思うから、僕がもらえば生活が楽になるかな』と思って」

「何言ってるのよ! お母さんちゃんと給料もらってるし、二人で生きていく分には困ってないの」

「だって、お母さん新しい洋服買ってないでしょ」

「……そんなこと、気にしてくれてたの?」

「うん」

「その話は、治ってからね。すぐに戻るわ」

ハルトは一週間の入院を余儀なくされた。肺炎になりかけていた。私は夫に怒りをぶつけた。

「あんたのせいで、ハルトは一週間入院してたわ」

「なんで俺のせいなんだよ」

「熱があるのに連れ出したでしょ」

「あの時は微熱だったぞ」

「四十度近くまで上がって、肺炎になりかけたのよ」

「それは悪かったよ。良くなったのか」

「今日、退院したわ」

「そっか。じゃあ、快気祝いに焼肉でも行くか」

「ふざけないで。ちょっと金を持ったくらいで、父親ぶらないでよ」

「別にいいだろう」

私はふと違和感を覚えた。

「どうしてこんなに羽振りがいいの? 急すぎるのよ」

「俺だって、それなりに努力したけどな」

「友達に相談してみたの。『元旦那が金を持ってるのが変だ』って」

「お前はアホか」

「その前に、一つ聞いていい? ハルトのために作った通帳はどこ?」

「それは俺が預かってる」

「どうしてよ? ハルトにお金を振り込むんでしょ? あの子が引き出せないなら意味がないじゃない」

「父親として、使い道を管理する義務があるからな。あいつにはカードがそのうち届くから、心配すんな」

「友達が言ってたわ。『犯罪に使うための口座じゃないか』って」

「は?」

「何、驚いてるの?」

「いや、突拍子もないこと言うなと思ってさ」

「私は口座を解約しようと思って、銀行に行ったの。そしたら二百万円入ってましたけど、どうされますかって聞かれて驚いたんだけど」

「それはハルトの教育資金だよ」

「じゃあ、ありがたく頂いていいのね」

「それはちょっと待とうか。色々と税金のこととかもあるし、一旦整理するわ」

「意味の分からない言い訳をしないで。何の取引に使われたか知らないけど、怪しいことにハルトを巻き込むなんて、どうかしてる」

「違うんだって」

「まだ言い訳するの? 私とハルトはこの一年、二人で助け合って生きてきた。あの子だって、なかなか友達ができなくて苦しんだ時期もあったけど、今はやっと楽しい毎日を送れるようになったのよ」

「だったら良かったじゃないか」

「あんたのせいで、ハルトは小学校の友達を失った。親が借りたお金のせいでからかわれて、どれだけ辛かったと思ってるの?」

「あれは悪かったと思ってるし、もう返したじゃんか」

「そういう問題じゃない。ようやく忘れかけたことを、あんたが思い出させた。だから体調を崩したのよ」

「ただの風邪だろう。何もかも俺のせいにするなよ」

「あなただって、自分がリストラされたのは『うちの子が足りなかったから』って、私を責めたよね」

「そうだろ」

「だったら、私の化粧のりが悪いのも、雨ばっかりで洗濯物が乾かないのも、温暖化も円安も、全部あんたのせいよ」

「おいおい、それはあんまりだろ」

「まあ、私の友達があんたの周りをすでに調べてくれてるから、その結果次第では、もう会うこともないと思うけど」

「お前の友達ごときに、何を調べられるんだよ」

「言い忘れてたけど、彼女は警察官よ。最近この辺りで、お年寄りを狙った犯罪が増えてるそうなの。あなたが絡んでないことを祈るわ」

「待ってくれ。手元に二百万ある。これで一緒に逃げてくれないか?」

「たったそれだけのお金でどうする気? あんたとそっくりなギャンブル好きのご両親の面倒も見ていかないといけないんでしょ?」

「あんなじじばばより、お前たちの方が大事だ」

「あなた、勘違いしてない?」

「何をだ?」

「ハルトがあなたの呼び出しに応じたり、LINEの返信をしていたのは、全部私のためだったのよ」

「嘘だ。俺を父親として認めたんだ」

「お金で自分たちを苦しめた男が、どうしてお金を持ってるのか。あの子なりに探ろうとしていただけよ」

「そんな……」

「警察の友達が言ってたけど、あなたたちは組織の下っ端。今頃、上の連中は海外にでも逃げてるはずだって」

「頼む。お前のところでかくまってくれ」

「心配しなくても、色付きの檻の中に入れてあげるわ」

「やだよ。それに出てきた後は、どうすりゃいいんだ?」

「今度こそ、河川敷にでも住んだら?」

「うるせえ。リストラされた時、俺は終わったと思った。俺がどんな気持ちだったか、分からないだろう」

「分かるから、私は一年間何も言わずに支えたんでしょ」

「ハルトが生まれてからずっと、私は幸せだった。あなたがハルトを抱っこしてる姿を後ろから見るのが、幸せだった。だから、仕事を失ったくらいで嫌いになるわけがないでしょ」

「なのにあなたは、たった一ヶ月でハローワークに通うのをやめた」

「四十過ぎて無職なんて、誰も雇ってくれない」

「就職活動もしない人を雇う会社なんてない」

「プライドを傷つけられて、自信を失ってたんだよ」

「それが理由で、ギャンブルにハマったの?」

「お前やハルトの視線が痛かった。家から出る口実なら、何でも良かったんだ」

「お金まで減らしてくることはないでしょ」

「気がついたらハマってて、一発当てれば家族を楽にできると思った」

「朝飯前にも程があるわ」

「でも、離婚してレイコと出会って、俺は救われたと思ったんだ」

「詐欺グループに出会ってラッキーって? 最初は知らなかったんだよ。『営業の仕事です』って言われて、お年寄りに電話して金融商品を勧めるだけだって」

「さすがに途中で気づいたでしょ」

「気づいたよ。でも、もう引き返せなかった。金が入って、ハルトに寿司を食わせてやって、『お父さんすごいね』って言われて、舞い上がってたんだ」

「それで、息子を犯罪に巻き込んだの? あの口座が詐欺の振り込み先に使われることを知ってたくせに」

「すまん。俺は…… 俺はただ、ハルトにかっこいい父親の姿を見て欲しかっただけなんだ」

「詐欺でお年寄りを騙すのが、かっこいいの? そんな汚い金で身を張ったって、何にもならないわ」

「分かってるよ。ハルトには悪いことをしたと思ってる。せめて金だけでも、楽させてやりたかったんだ」

「嘘ばっかり。最近も稼いだお金は、ギャンブルに使ってたでしょ?」

「いや、使ってないけど」

「ハルトが言ってたわ。寿司屋に行った時、車の中に競馬新聞が入ってたって」

「あれは落とし物を拾っただけで」

「また嘘をつくのね。結局あなたは、何も変わってなかった。息子のためって言いながら、全部自分のためだったのよ」

「違う」

「ハルトを傷つけた挙げ句、犯罪の片棒を担がせようとした罪を、一生かけて償いなさい」

「頼む、助けてくれ」

「一つだけ聞かせて」

「なんだよ」

「本当にハルトを愛してたの?」

「当たり前だろ。俺の息子だぞ」

「なら、二度とその汚い顔を見せないで。それが、あなたが息子に与えられる最後の愛よ」

数日後、私は義父母から電話を受けた。

「助けて。タクシーが逮捕されたのよ。私たち、住む場所もお金もないの」

「知ってますよ」

「ハルトの祖父母なのよ。少しは情けをかけなさいよ」

「情け? 自分の孫を犯罪に利用しようとした人たちにかける情けなんて、一ミリもありません」

「通帳の一つや二つ、どうってことないでしょ」

「ほら、やっぱり知ってたんですね。私、通帳なんて一言も言ってませんけど」

「それは、多分そうかなと思って」

「一瞬でも裕福な暮らしができて、良かったじゃないですか。その分、今後の生活の落差もすごそうですけど」

「そうなのよ。もう貧乏暮らしは嫌」

「息子さんが出てくるまで、長生きしてください」

「そんなこと言わずに助けて。寝る場所だけでもお願い」

「ああ、それなら一つだけあるかも」

「本当? 嬉しいわ。ありがとう」

「河川敷、どうぞ」

数ヶ月後、ハルトがバスケの試合から帰ってきた。

「お母さん、今日の試合、スリーポイント決めたよ」

「すっごい! 約束通り、今夜は焼肉を食べに行こう」

「やった!」

「お母さん、僕、お父さんがいなくても幸せだから。友達もできたし、バスケも楽しいよ」

「ハルト、大人になったら旅行に連れて行ってあげるね」

「うん、楽しみにしてる。僕は今日の焼肉が楽しみだけど」

「お母さんも、ハルトに負けないくらい食べちゃうもんね」

「太るよ。健康でいてほしいから言ってるの」

「うん。これからも二人でずっと笑っていられるよ。健康で頑張る。ダイエットもね」

「焼肉の前に、それを言うな」

タクシーは特殊詐欺グループの一員として逮捕された。ハルト名義の口座は、詐欺の振り込み先に利用される寸前だったという。息子に金を残したかったと供述していたようだが、実際は自分のギャンブル代に消えていた。

実刑判決が下り、彼は今、刑務所の中で規則正しい生活を送っている。刑務作業という仕事をようやく得て、今頃喜んでいるのではないだろうか。

一方、タクシーの逮捕と同時に、レイコという女性は姿を消した。高級マンションを追い出された義父母は、さすがに河川敷には住めず、日雇いで働きながら安い宿を転々としているという。

私は警察官の友人の協力で、ハルト名義の汚れたお金をすべて被害者へ返還し、ハルトの潔白も証明した。中学生になったハルトは、バスケ部のエースで、将来は社長になってお母さんを支えると、嬉しいことを言ってくれている。

辛かった日々も、笑顔に溢れた日々に変わるんだ。今、私はそう実感している。

すぐにサイズアウトしてしまうバッシュを買うために、仕事をバリバリ頑張らないと。

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