認知症の夫を一人で介護する私に、同居する息子の嫁が言った言葉を、私は今でも忘れられません。「施設に入れないなら、その分、毎月10万円をうちに払ってください」。最初はただの生活費のお願いだと思っていた。でも、月々の支払いは12万円に増え、私の梅干しは勝手に捨てられ、SNSでは「うちの姑、介護して10万円くれるんです。まさに神」と笑う声が聞こえてきた。私の存在は、家族の「副業」になっていたのです…
「施設に入れないなら、その分、うちに毎月10万円払ってください。」 まさか、そんな言葉を聞く日が来るとは思ってもいなかった。 私は68歳。今は認知症の夫を一人で介護している。排泄も食事も、会話すらままならない。夜中に何度も起こされ、朝が来る頃には体はボロボロだった。それでも家で最後まで見たいと思った。誰にも迷惑をかけずに。 でも、それが甘かったと言われた。 「こっちは家族として支えてるんです。その分の負担は、ちゃんと分担すべきじゃないですか」 そう告げたのは、長男の嫁のみわさんだった。笑顔で、静かな声で、まるでお金の話じゃないかのように。私は何も言い返せなかった。 この生活は、私が望んだものだったのだろうか。 私は長年、市立図書館で司書として働いていた。読み聞かせの会では、子どもたちの目がキラキラと輝いていた。その姿を見るたびに、私も元気をもらっていた。定年を迎えた今も、町の小さな文庫や読み聞かせボランティアに顔を出している。でも自宅では、全く違う日常がある。 夫は数年前から認知症を患い、私は朝から晩まで一人で介護に明け暮れていた。食事の世話、排泄の介助、夜間の徘徊の対応。全てが私の肩にかかっていた。 そんな中での、息子の嫁からの同居の申し出だった。「家族で支え合いましょう」と言ってくれたみわさんの言葉を、私は信じていた。だが今では、夫の介護以外で家族と顔を合わせることも、ほとんどなくなっていた。 同居を始めたのは、夫の症状が進み始めた頃だった。代々続くこの家を思い切ってリフォームした。私たち夫婦は1階に、息子夫婦は2階に。ただ2階はスペースが限られていたので、小さなキッチンとシャワールームだけになった。せっかく同居してくれるのに、なんだか申し訳ない気持ちになった。 でも「お母さんたちが暮らしやすいように」と、みわさんはバリアフリーの手すりや介護ベッドの手配にも協力してくれた。最初は本当にありがたかった。買い物も変わってくれたし、夕飯のおかずを作ってくれる日もあった。私は感謝の気持ちを込めて、月に一度、食材やお金を渡していた。この小さなキッチンでは満足に料理できないだろうという罪悪感が、私の心にあったのだ。 「こういうの、母がよく作ってました。懐かしいです」 みわさんは微笑んだ。その時の私は、この生活がきっと少しずつ馴染んでいくのだと思っていた。 でも、ある日を境に、少しずつ何かが変わっていった。 きっかけは、私がうっかりゴミの分別を間違えたことだった。 「お母さん、これも燃やせないゴミですよ。今の地区は違うんです」 丁寧な口調。でも、その目は笑っていなかった。申し訳なくて、何度も頭を下げた。 その日からだった。夕飯の声かけがなくなり、2階の扉はいつも閉じられたままになった。私が廊下に出ると、足音が消えることもあった。 「気のせいよ」と自分に言い聞かせながら、毎日をやり過ごしていた。 だけど、もっと決定的だったのは、夫の症状が悪化してからだった。 夜中にトイレに行こうとした夫が、店頭で転倒したことがあった。私は急いで駆け寄り、何とか支えた。その時に起きてきた息子の裕介は、寝ぼけた顔でこう言った。 「もう施設に入れたら?」 その場では答えられなかった。でも数日後、みわさんの方から改めて言われた。 「私たちも仕事と子育てで忙しくて、夜中に騒がれると正直辛いんです」 これはお願いではなく、宣告のように聞こえた。私は反論できなかった。 その後、夫が夜中に動くたびに、私は枕を抱えて和室に引きこもるようになった。音を立てないように、咳一つ我慢しながら。 「ご迷惑にならないように」——それが私の口癖になっていた。 ある日、キッチンに立っていた私の背中に、みわさんの声が突き刺さった。 「お母さん、やっぱり電気ポットは勝手に使わないでもらえますか? 電気代が高くなりますよ」 私は手を止めた。振り返ると、みわさんはスマホをいじりながら顔も上げずに言った。みわさんの生活スペースは、徐々に1階になりつつあった。 「それに、洗濯もうちの洗剤じゃないとちょっと困るんです。タオルの匂い、変わっちゃうから」 声はあくまで柔らかい。でもその内容は、まるで私の存在自体が汚れのようだった。 食器棚の中のものも、いつの間にか場所が変えられていた。私が料理をしようと包丁を取ろうとすると、「あ、それ、うちの包丁なんで」とやんわりと正される。自分の家なのに、自分のものが何ひとつ許されない空気。 夫の介護が終わった夜、私は一人で台所に立ち、味噌汁を作っていた。そこへ2階から降りてきたみわさんが、笑顔で言った。 「そういえば施設の件、ずっとこのままだとうちの生活にも支障があって」 私は黙ったまま、お玉を置いた。しばらく沈黙が流れた後、みわさんはふっと微笑んでこう言った。 「でもお母さんって我慢強いから助かってます。本当、ありがたい存在ですよ」 私は、それが褒め言葉ではないとすぐに気づいた。 翌日、冷蔵庫に入れておいた私の梅干しの瓶が消えていた。代わりに新しい調味料のボトルがずらりと並び、棚も綺麗に整理されていた。 「あ、あれ捨てちゃいました。賞味期限見たら切れてたんで」 みわさんは言った。私が漬けた梅干しは、夫が好んで食べてくれる味だった。言い返せば角が立つ。黙って受け入れるしかない。 そうやって私は、日々家の中で立場を奪われていく感覚を味わっていた。 とどめだったのは、月末のある日だった。台所のテーブルに、ファイルの封筒が置かれていた。中には手書きのメモと、エクセルで印刷された明細があった。 「生活費の分担について」——そこには水道・光熱費、食費、日用品費、全てが細かく記されており、「義父の介護負担が発生しているため、別途10万円を目安にご協力いただけると助かります」と書かれていた。その下には、みわさんの名前と、しっかりと銀行口座番号まで。 私は震える手でそれを握りしめ、静かに席に戻った。誰にも相談できなかった。でも、この時の私はまだ「自分が間違っているのかもしれない」と思い込んでいたのだ。 あれから私は、毎月何も言わずに10万円を振り込んでいた。年金とわずかな貯蓄を崩しながら。通帳を開くたびに残高が確実に減っていくのが分かる。それでも私は黙っていた。家の空気を壊すのが怖かった。夫の介護を放り出すことも、自分の居場所をなくすことも、全てが恐ろしかった。 「お母さん、銀行行かれるなら、ついでに封筒買ってきてもらえます?」 「あと、こっちの掃除機調子悪くて、1回の使ってもいいですか?」 そんな風に、少しずつ「便利な存在」として扱われていく自分がいた。怒りはあった。でも表に出せなかった。 ただ、私は目を凝らしていた。みわさんの言葉、態度、目線、言い回し。何かが引っかかっていた。時折スマホをいじりながら誰かと話す彼女の様子。 「うち同居だけど、ちゃんと家賃もらってるの。うまくやらないと損しちゃうでしょう」 そんなセリフを、小声で電話口で話していたのを偶然耳にした。私はその時も何も言わなかった。でも、脳裏に焼きついた。私の存在が「尊徳」の話になっていることに、薄々気づいていた。 ある夜、みわさんがスマホでライブ配信をしているのを見かけた。声が漏れていた。 … Read more