「ハワイ行ってくるわね。留守番よろしく」
義母が突然そう言い放った。私は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「あら、お母様。随分と景気がよろしいことで」
「そうなのよ。可愛い息子が親孝行で連れて行ってくれるらしいの」
「へえ。その息子さんって私の夫なんですが、そんな話、聞いてないんですけどね」
「別に嫁ごときに言う必要ある?」
「家計のお金から出るなら、相談があってもいいのでは?」
「あなたと結婚してからお金が余ってるらしいな。そのお金で連れて行ってくれるんだから、いいでしょ」
「私と生活費を切り詰めて貯金してるからです。あと、余ってるんじゃなくて、貯金してるんですよ」
「え、どっこは酔い越しの金は持たないって言うじゃない」
「お母さんも息子さんも埼玉生まれの埼玉育ちですよね」
「え、どいんだから同じよ」
「それで冒頭の話題に戻るんですが、留守番とは一体どういうことでしょうか?」
「そのままの意味に決まってるじゃない?」
「私だけ行けないってことですか?」
「逆になんで行くつもりなのよ」
「いや、結婚したので家族になったのかなと」
「冗談やめてよ。婚姻届に名前書いただけの他人でしょ」
「すごい矛盾パワーワードですね。どうでもいいけど、夫と息子と娘夫婦の5人で行くから邪魔しないでちょうだい」
「お兄さんは行けるんですか?」
「もちろん娘の大事な旦那様だもの」
「私も竜一さんの大事な妻のはずですが、全然違うでしょう」
「結婚半年のあなたと向こう一緒にしないでよ」
「何が違うのかわかりませんし、うちの貯金で旅行するんですよね」
「それが何よ」
「5人分のハワイ旅行に使えば、うちの貯金はあっという間に底をつきます」
「別にいいじゃない。私たちが喜ぶんだから」
「それに夫は私を置いていかないと思います」
「すごい自信ね」
「お互い好きで結婚したんですよ。大事にするって誓ってくれたんです」
「そのことだけど、結婚自体を認めたわけじゃないわよ。はい。息子がどうしても結婚したいって言うから、しぶしぶ許したけど、あんたみたいな派遣社員の凡人とは釣り合わないのよ」
「結婚後半年でそれを言うのはどうかと思いますよ」
「まあ、後継な我が家の一員になりたければ、努力を続けなさい」
「あの、後継って何のことですか?」
「え、竜一から聞いてないの?うちのご先祖様は貴族なのよ」
「そうなんですか」
「その血を受け継いできたのが夫と息子。ってことは、お母さんは後継ではないんですね」
「は?」
「私と同じ嫁だし、凡人じゃないですか。後継な家に嫁いだ時点で私も仲間でしょ。じゃあ私も同じですよね」
「あんたはまだその身分じゃないの?理屈が全くわかりません」
「とにかく嫁としての修行が足りないってこと」
「お母さん、嫁いびりとか今時流行らないのでやめておいた方がいいですよ」
「流行りも何もない。とにかく件については夫と話し合いますので、勝手にしなさい」
数分後、夫の竜一に話した。
「お母さんが私を置いて家族でハワイに行くって、うちのお金使うこと聞いてないんだけど」
「ごめんな。相談はして欲しかった。しかも私だけ置いていくなんて地味に傷つくよ」
「コはオルス番お願いするね」
「え?パパとママとねえね夫婦と5人で行くんだ」
「えっと、ちょっと待ってね。1個ずつ片付けようか。まずパパママって何?あとねえね」
「父と母と姉。それは分かってるけど。そんな呼び方してたっけ?」
「ああ、子供の頃からずっとそうだけど」
「いや、私の前ではずっと父さんと母さんだったよね」
「ああ、それはよそ行き用の呼び方」
「ん?どこ行き?」
「前に会社の先輩に言われたことがあってさ、ママなんて呼んでたら一生結婚できないぞって。なのに、どうして急に呼び方を戻したのかな?」
「リコも家族になったからだよ」
「じゃあなんで私だけ置いて行くの?」
「うーん。ママがそう言うから」
「あなたの気持ちを聞いてるの」
「そりゃ一緒に行きたいに決まってるじゃん」
「でもお姉さんの旦那さんは行くらしいね」
「うん。お兄さんはママのお気に入りなんだ」
「へえ。リコもママやパパから気に入られるよう頑張ったら?」
「あのね、私はあなたと結婚したのよ。結婚式楽しかったね。またやりたいな」
「そういう話じゃなくて、私もお母さんたちと仲良くしたいと思ってる。でも最初から攻撃的なことばかり言われたら、私だって言い返さずにはいられない」
「リコのそういう強くてサバサバしたところ大好きだよ」
「私もあなたの優しいところが好き。でも優しいのと決断力がないのは別の話だから」
「分かった。ハワイに行きたいってことだね」
「正直、のけ者にされてまで行きたくないけど、やっぱりこういう扱いは悲しいよ」
「よし、俺がママと話す」
「本当?」
「もう2度とリコを傷つけるようなことは言わせない」
「誤解してたけど、やっぱり私のことを1番に思ってくれてるんだね」
「もちろんだよ。僕に任せて」
数分後、竜一が義母と話した。
「ママ、りうちゃん、どうしたの?爪が伸びてきた。いつでも帰ってきなさい。ママが切ってあげるから」
「うん。違う。ハワイの件だけど。リコも一緒に連れていいかな?」
「それはダメよ」
「どうして?僕、リコがいないと寂しいよ」
「なんで?ママがいるじゃない」
「でもリコも連れて行くって約束したんだ」
「りうちゃん。これは内緒の話よ」
「何?」
「実はママ、リコさんにひどいことをされてるの」
「え?」
「あの人のせいで首から下はあざだらけなのよ」
「どういうこと?」
「キックやパンチをされてるの?」
「嘘だ。リコはそんなことしない」
「あなたにはしないと思うわ。でも私には違う。たまにうちに顔を出しては怒鳴ったり蹴ったり。まるで凶暴な猿みたいよ」
「そんなリコ見たことないもん」
「パパのアドバイスで診断書も取ってあるわ。ママがこれを持って警察に行けば、リコさんは確実に逮捕されるってパパが言ってた」
「確かにパパはいつも正しいけど、信じられないよ」
「りうちゃんはママのことを好きだよ。そのママが痛い痛いしてもいいの?」
「それは嫌だ」
「でもママを痛めつけてるのはリコさんなのよ。きっと派遣社員だからストレスが溜まってたんだ。もうしないように僕から言っておく」
「それはやめましょう」
「なんで?」
「今回のハワイ旅行に連れて行かないことで、あの人が反省してくれたら、ママは警察には行かない。そして帰国したら弁護士を入れて話す。これ以上ママに危害を加えたら離婚させるって」
「リコがそんな子だったなんて」
「恋愛経験が少ないりうちゃんは、あの人に騙されて結婚しちゃっただけ。でもね、人生は何度でもやり直せるの。ママとパパはいつでもりうちゃんの味方よ」
「分かった。ハワイ旅行楽しみましょう」
数分後、竜一が戻ってきた。
「ママと話してきたよ」
「どうだった?」
「最低だな」
「まあ、そう思う気持ちも分かるけど、謝ってくれたら私も引きずる気はないから」
「最低なのはリコだろう」
「え?」
「ハワイに連れてってもらえないのは仕方ない。1人でじっくり反省しろ」
「何怒ってんの?」
「リコが猿だったなんて」
「何の話してるかさっぱりなんだけど」
「もう2度としないって誓ってくれ」
「何を?」
「ママを殴るなんてあんまりだよ」
「はい。日本で留守番して反省すれば、警察には行かないって言ってくれた」
「捕まるようなことは何もしてないし、猿が引っかかって話が入ってこないんだけど」
「言い訳は見苦しいよ」
「私、本当に何もしてない。お母さんに手をあげるなんて絶対にない」
「じゃあママが嘘をついてるって言うの」
「残念だけど、そうだとしか思えない」
「言っとくけど、ママと僕は親子だよ」
「分かってる。でもリコは他人だ」
「何が言いたいの?」
「どっちを信じるべきかは明白だろ」
「そう。分かった。じゃあ信じたい方を信じて」
「そうする」
「その代わり、ハワイから戻る前に真実に気づいて謝罪してくれなかったら、その時は離婚を前提とした話し合いをしよう」
「なんでそうなるんだよ。リコが反省してくれたら収まる話なのに」
「私、神に誓って絶対に悪いことはしてない。それを信じてくれないなら、もう夫婦じゃいられないから」
「少し1人で頭を冷やした方がいいよ」
「私は至って冷静よ」
「ママとも話したいし、僕はしばらく実家に帰るね」
「夫婦のピンチなのに、話し合おうともしないの?」
「僕、怒ってる人苦手なんだ」
「そう。ハワイから戻ったら反省してることを祈ってる」
「反省するのはどちらか、よく考えて」
翌日、義母から連絡があった。
「来週の火曜日に出発するわ。ハワイ旅行の飛行機は家族だけ予約しました」
「本当に私だけオルス番なんですね」
「他人の分はない。行きたきゃ自腹で行け」
「なるほど。それはありかも」
「はあ。私もファーストクラスで行こうかしら」
「お前には無理でしょ」
「あら、ついにお前呼びですか?距離が近づいてヘドが出るほど嬉しいです」
「文章として成立してないわよ」
「わざとです」
「そういえば、あなたたち喧嘩でもしたの?」
「あら、なぜそう思うんですか?」
「息子がずっとうちにいるんだもの。そう思うのが当然でしょ」
「お母さんがありもしない嘘を彼に吹き込んだせいで、夫婦で言い合いになった結果、実家に帰ったみたいですが、心当たりないんですか?」
「何の話?」
「私が凶暴な猿だってことです」
「やだ。そんなことを思ってたって言うわけないじゃない」
「思ってた時点で十分問題ですけどね」
「まあ、息子が限界を迎えるのも時間の問題だと思ってたわ。家柄も人間としての核も違うんだし、会うわけがないものね」
「すみません。私の方の核が高すぎて」
「は?笑わせないでちょうだい。逆でしょ。あんたはどう見ても下賤じゃないのよ」
「別にどっちでもいいです。ハワイ楽しんでくださいね」
「リコが全部手配してくれたのよ。飛行機からホテルまで全て大変だったでしょうに。すごく頑張ったと思うわ」
「どうせ旅行代理店がやったと思いますけど」
「それも大変なことよ。立派に育ったと思ったら泣けてきちゃう」
「親バカにもほどがあります。旅行の手配すらできない社会人がいますか?」
「うるさい。あなたみたいなドブネズミに奪われてどん底の気分だったけど、これで気が晴れるわ」
「猿とかネズミとか言いたい放題ですが、お母さんを例えるなら食い虫ですね」
「はあ?何よそれ」
「木造家屋を食い荒らす害虫です。乗ってる船が沈んで困るのは自分なのに、内部から食い荒らしてるじゃないですか」
「全く意味がわからないわ」
「でしょうね。気づくのは沈んだ時ですから」
「負け犬の遠吠えにしちゃ分かりづらいわよ。もう少しお勉強したらどう?」
「はい、精進いたします」
「派遣社員ごときに言っても無駄だったわね。じゃあハワイ楽しんでくるわ。アロハ」
数日後、私は父に電話した。
「お父さん、来週の火曜日のハワイの便を取って」
「随分と急だな。ファーストクラスね」
「おお、これまた奮発するな」
「お金は後で振り込む」
「何があったんだ?」
「猿だのネズミだの言われてオルス番なのよ」
「頼む。分かるように言ってくれ」
「長くなるから、一旦実家に帰って説明するわ」
「分かった。便は抑えておく。竜一君と2人分でいいのかな?」
「1人分よ」
「なんで?」
「って事情は後だな。分かったよ」
「お父さんが旅行代理店やっててよかっただろう。将来娘がこうなることを見越して、若い頃に起業しておいてよかったよ」
「嘘つけ。母さんにも連絡しておく。何が食いたい?」
「肉」
「伝えておくよ。気をつけて帰っておいで」
「うん」
ハワイ旅行当日。
「いやあ、今日のハワイですね」
「あらあら、ついにおかしくなった。日本で寂しすぎてハワイのYouTubeでも見てるのね」
「ねえ、ハワイにいます」
「は?行ったじゃないですか」
「私もファーストクラスで行こうかなって」
「あれは単なる強がりでしょ」
「いえ、父に頼んでチケットを手配してもらいました」
「ああ、旅行代理店勤務の父親ね」
「すみません。旅行代理店経営の父なんです。あ、劇場ツーリストって言うんですけど、ご存知です?」
「知らないわけないでしょ。超大手じゃない」
「おかげ様で」
「いや、でも結婚前の顔合わせの時にご職業はって聞いたら、旅行代理店ですとしか言わなかったわよ」
「はい。何も間違ってませんよね」
「ただの社員だと思うじゃない」
「父の職業が結婚に影響することはないので、別にあえて言わなかっただけです」
「関係終わりよ。そのレベルなら我が家とも釣り合うし。今後の付き合い方も変わってくるわ」
「あ、変えていただかなくて結構です」
「なんで?」
「うん。まあまあいいじゃないですか。せっかくのハワイですよ。今はお互い楽しみましょう」
「あなた1人で寂しいんじゃない?せっかくなら合流してもいいわよ」
「結構です。父と母がついてきちゃったので、3人で楽しみます」
「え、3人ともファーストクラス?」
「もちろん」
「ああ、そう。じゃあまた機会があれば」
「どこかで会うことはないと思いますけど」
「どうしてそう思うの?」
「いる場所が随分離れてるみたいなので」
「なんで知ってるのよ」
「お姉さんがSNSで愚痴ってました」
「は?」
「こんなのハワイじゃない。早く帰りたいって」
「なかったら」
「うちの口座には150万あって、それが全部消えてました。それ自体は腹が立ちましたけど、さすがに5人で旅行は厳しいんじゃないですか?」
「そうなの?航空券とホテル代だけで130万使っちゃって、残り20万で現地を回るなんて無理なのよ。ホテルというかコテージみたいなところで雑魚寝してるの」
「それはそれは。海までも遠いし、外食も高いから、結局私が料理するはめになって」
「楽しそうですね」
「とんでもないわ。だからご一緒できないかなって」
「何か奢ってってことですか?」
「そこまでは言わないけど、社長さんなら余裕でしょ」
「すみませんが、今夜のディナーは3人でしか予約してないんです」
「そう。何を食べるの?」
「お肉です」
「もし残したら」
「惨めなこと言わないでください。だって最悪なんだもの。文句は竜一ちゃんへどうぞ」
翌日。
「りうちゃんどこに行ったの?勝手に出ていったらママ心配しちゃうでしょ」
「だってねえねがひどいことばっかり言うんだもん」
「何を言われたの?」
「ホテルがボロいとか、海も見えないとか」
「それはひどいわね。こんなところにあと4日もいたくない。日本で温泉行った方がマシだったって」
「ねえね」
「ママから言っておくわ。お部屋は確かに少し古くて狭くて臭いけど、5人一緒に寝れるなんてこと滅多にないし、楽しいわよ」
「ママもさりげなく文句言ってるじゃん」
「パパもなんか不機嫌だし。ハワイなんて来なきゃよかった」
「そんなこと言わないで。ママは楽しいわよ。食べ物だってこんなに高いと思わなかったんだもん」
「確かにそうね。朝食だけで4000円もするなんて、ママも驚いちゃった。ラーメンでも3000円だよ。5人で食べたら1万5000円なんてありえない」
「円安だから仕方ないってパパが言ってたわ」
「貯金は150万あったんだ。これだけあれば楽しめると思ったんだよ」
「そうね。物価が高いのは政治のせいよ。りうちゃんは悪くない」
「ハワイで使えるお金はあと20万しかない」
「え、ママいくら持ってきた?」
「えっと、実は当座の現金がなくて5万くらい」
「有名なステーキ屋さんを調べたら、5人だとチップとかもかかって17万くらいかかるんだって」
「ハワイにまで来てお肉食べられないの?」
「ママまで僕を責めるの?」
「違う違う。そうだ。今日はスーパーでお肉を買ってきて焼きましょう」
「もうやだよ。リコと一緒に日本にいればよかった」
「それがね、実はリコさんハワイに来てるらしいの」
「え?お父様とお母様と3人で?」
「そうなの?なんで連絡くれないんだろう?」
「私たちの邪魔をしないよう気を使ってくれてるんじゃないかしら」
「なるほど。リコは優しい子なんだよ」
「ところでりうちゃんは、リコさんの実家が旅行代理店を経営なさってるって知ってたの?」
「知らない」
「お父さんが社長ってことを、夫であるりうちゃんにも黙ってたの?」
「うん。これは結婚詐欺よ」
「う、そうなの?騙して結婚したんだから。そうでしょ」
「でもお父さんが社長でもそうじゃなくても、リコのことが好きだったら結婚してたよ」
「そういうことじゃないの。今すぐリコさんと合流しましょう。りうちゃんが頼めば、きっと承知するわ」
「うん。連絡してみる。今夜はお肉が食べられるかも」
「やった」
数分後、竜一から電話があった。
「リコ、ハワイにいるんだって」
「うん」
「僕さ、貯金の150万で楽しめると思ってたんだけど、ホテルもひどいし、物価も高いし、全然お金が足りないんだ」
「え、一緒に遊ぼうよ」
「やだ」
「なんで?お父さんたちも一緒なんだろ」
「うん。じゃあ一緒に遊んだら楽しいよ」
「その遊ぶお金は誰が出すの?」
「それは」
「150万でこのご時世に5人でハワイ旅行できると本気で思った?」
「だって旅行代理店の人は何も教えてくれなかったもん」
「そりゃそうでしょう。代理店は旅費だけもらえればいいんだから。こっちに来てからのお金の心配までしてくれないわよ」
「そうなの?現地での価格帯とか何もリサーチしてないの?」
「だって今まで旅行はパパやママが手配してくれたし、リコと付き合ってからも任せきりだった。自分でやったのは初めてだったんだ」
「そっか。りうちゃんよく頑張ったね。とでも言うと思ったか」
「は?」
「ママ呼びした時点で若干引いたけど、まあ最近じゃ珍しくもないかなと一旦耐えた。でもそこからの連続コンボ、パパママ崇拝はマジで無理」
「何が悪いの?パパもママも人生の大先輩だよ。その人たちの意見を聞いて従うのは間違ってないよね」
「正しい先輩ならね」
「間違ってるって言いたいの?」
「神様を信じてる人に神なんていないよって言ったって無駄でしょ。それと同じで、今のあなたに何を言っても無駄だから、これ以上言うことはない」
「分からないよ。何でも言ってよ」
「そう。じゃあ遠慮なく。マザコンは普通にキモいし。結婚した以上、実家より嫁を優先しろ。旅行に置いていくとか、くだらない嫁いびりに加担するな」
「それはリコが悪いことするから」
「猿かゴリラか知らないけど、私は暴れたり手をあげたりしたことない」
「ママと言ってることが違う」
「むしろ私にやられたと言うなら、お母さんが証明すべきよ」
「ママは嘘なんかつかない」
「じゃあ愛した妻は嘘つきだって言うの?」
「リコも嘘はつかないと思う」
「じゃあどっちが本当?」
「分からない」
「はっきりしない人ね。私は私だけを信じて愛してくれる人と結婚したつもり。そうじゃないなら離婚するわ」
「え?なんで?僕はこんなに離婚が嫌いなのに」
「問題です。ママと私が海で溺れています。浮輪は1つしかありません。さあ、どっちに投げる?」
「ママ」
「はい、終了。離婚確定。お疲れさまでした」
「なんでだよ。ママは金槌なんだ」
「問題ちゃんと読んで。2人が溺れてるって書いたよね」
「あ」
「今後もママを大事に、ママと手を取り合って生きてって。私はあなたたちのマザコン劇場から退場するわ」
「待ってよ。夜ご飯だけでも一緒に行こう」
「私に浮輪もくれないやつと、なんで一緒にご飯食べないといけないわけ?」
「誤解があるから話をしたいんだよ」
「じゃあ割り勘でいい?」
「それは今はちょっと手持ちがないから無理だけど」
「何を期待したのか知らないけど、ハンバーガー1つ奢る気はないから」
「なんでだよ。親の金で旅行してるくせに」
「はい。ファーストクラスの飛行機代もホテルも食事も、全部私が出してますけど。何か?」
「え、そうなの?でもだってリコはただの派遣社員だろ」
「それはごめん。実は違うの」
「は?」
「最初会った時、外資系で働いてるって言ったら、あなたが派遣って聞いてきたから。つい、うんって言っちゃった」
「なんで?」
「過去にも合コンとかで会社名を出すと、大手すぎるせいか相手が引いちゃってたのよね。調べれば年収が2000万超えてることは分かるし、そういうの男性が嫌がるんだって思って」
「2000万、俺の4倍」
「結婚半年で夫婦の口座に150万ある時点でおかしいとは思わなかったの?」
「やりくりが上手なだけかと思ってた」
「毎月30万入金されてる履歴は見なかったわけ?」
「そんなの見ないよ。残高だけ見てラッキーって思ったし」
「結婚する相手に隠し事をしたのは悪かったわ。でもあなたもマザコンを隠してたよね」
「僕はマザコンなんかじゃない。ママが好きなだけだ」
「それを世間はマザコンと呼ぶのよ」
「リコだって僕そのものを好きになったんだろ」
「そうよ。仕事で失敗して落ち込んでる私の背中を朝方までトントンしてくれた時、この人と一緒にいたいなって思った」
「ママが寝る時にしてくれるから」
「それよ。あなたの行動の背景には全てママがいる」
「そんなことない」
「ママに教わったことを実践してるだけだよ」
「元彼は仕事優先の人だったけど、あなたは私を1番に考えて時間も使ってくれた」
「そりゃそうだよ。仕事なんかするよりリコと一緒にいる方が楽しかったもん」
「少し頼りないところはあったけど、こういう人となら温かい家庭を築けると思ったのよ。なのに実際はお母さんの操り人形だったなんて」
「違う。僕は僕の意思でリコを好きになったんだ」
「でもあなたは私よりお母さんを優先してる」
「どっちも大事なんだ」
「分かってる。親を思う気持ちはみんな同じよ。じゃあ離婚なんて言わないでよ」
「ごめんね。私が見抜けなかったのが悪かった。優しいのは優柔不断なだけだし、穏やかなのもママがわがままを聞いてくれたから、怒りという感情がほとんどないだけだった」
「今、ママは関係ないだろう」
「あるよ。あなたのママは私を嫌ってる。というか、あなたの妻になる人を全員嫌うわ」
「なんで?」
「大事なりうちゃんを奪われたくないんじゃない?」
「ママはママ、リコはリコだよ」
「爪が伸びたらお母さんに切ってもらってるんだって」
「うん。でも誰にも言ってないのになんで知ってるの?」
「お姉さんのインスタよ。30過ぎて爪切りと耳かきをママにしてもらってる弟への恨みが書いてあったの」
「もうねえねは嫌いなんだ」
「まずはそれを自分でやること。私と話をしたいなら、そこからよ」
「なんでだよ。爪は自分で切ると危ないんだよ」
「お話は以上です。ママとのハワイ、たっぷり楽しんでね」
数分後、義母が私に電話してきた。
「ちょっと、りうちゃんが泣いてるわ。一体何を言ったのよ」
「離婚します」
「はあ?婚姻届に名前を書いただけの他人は去りますね」
「ちょっと待ってよ。りうちゃんを後継にしなくていいの?」
「何の話ですか?」
「あなたのお父さんの後継者よ。後継は姉妹2人でしょ。うちの後継な血が合わされば、会社もさらに発展するわ」
「ご心配ありがとうございます。しかし既に姉が後継者として父の元で修行中なので、問題ありません」
「女が継ぐのはどうなのかしら」
「そういう平安貴族思考はお捨てになった方がいいかと」
「は?馬鹿にしたわね」
「そもそも後継な血の話なんですが、私、気になってお父さんに聞いてみたんですけど、何の話だっておっしゃってましたよ」
「あ?」
「方の祖父が何とかだったらしく、昔から俺の先祖は貴族だったっていう地元の言い伝えがあったらしくて、おそらく酔った時に行ったかもしれないなとおっしゃってました」
「は?貴族じゃないのですか」
「私、騙されたってこと?」
「それはどうでもいいんです。離婚について報告したかっただけですから」
「あんたみたいな派遣が、これから1人で生きていけるの?」
「その件についても息子さんに説明済みですが、私は外資系コンサルの正社員です」
「何それ?」
「まあ簡単に言うと、年収は竜一の4倍くらいです」
「はあ」
「そのハワイ旅行の資金は、結婚してから貯金として別口座に貯めていたお金です」
「半年でそんな貯金を貯められるなんて」
「今回の旅行も、置いていかれた腹いせにファーストクラスで来ましたけど、当然両親の分も私が全て出していますから」
「素晴らしいわ。はい。これでこそりうちゃんのお嫁さんにふさわしい人よ。今までの非礼を詫びるわ。そして正式にうちの嫁として認めます」
「結構です」
「え?」
「重度のマザコンで交渉不可能と判断しましたし、嫁いびりが趣味の姑と付き合っていける自信もないので、せっかく合格をいただきましたが辞退させていただきます」
「いや、ちょっと待って。マザコンって何よ?人の息子をそんな風に言わないで。息子が母を愛して何が悪いのよ」
「お母さん、この世の全ての人間は母から生まれます。私も両親が大好きです」
「そうでしょ」
「ただ限度ってものがあります。爪切りも耳かきも、30歳超えた男性は自分ですべきだし、ママを良しとする女性は少ないです」
「じゃあ距離を置けば、離婚はしないでくれるの?」
「私、悲しかったんですよ。好きな人と結婚して、その親に他人扱いされたことが。そして私の味方になってくれなかった竜一に、心の底から絶望したんです」
「改めさせるわ。私や実家の力を目の当たりにした瞬間、態度を変えられたことも引っかかっています」
「そんなことないわよ」
「私の考えは変わりません。もうママなんて呼ばせない。爪も切らない。なんなら合わなくてもいいわ。だからりうちゃんが悲しむことはやめてあげて」
「本当に息子を思うなら、私に頭を下げるんじゃなくて、自分たちの何が悪かったのか振り返ることだと思います」
「あんただって子供を産めば分かるわ。いくつになっても我が子は可愛いのよ」
「私だっていつかそうなりますが、私はそうなりたい親になりたいんです」
「今、親の話なんてしてないでしょ」
「離婚ってことになったら、私が恨まれちゃうわ」
「これがあなたの子育ての結果です。全て受け止めてください」
「お願い。りうちゃんの涙を見たくないの」
「涙を拭いて、抱っこでもしてあげてください」
「いやよ。あなたが拭いてあげて。きっと喜ぶわ」
「自分で拭くんだよ」
その後、帰国後、私は弁護士に依頼し、無断で使われた150万の返還請求をしました。竜一は離婚に応じてくれなかったため、調停をすることに。私が義母に暴力を振っていたことを信じて主張してきましたが、認められるはずもなく不調に終わりました。裁判に移行し、義母が私が暴力を振ったという嘘の診断書を提出してきました。それが偽造と分かり、有印私文書偽造・同行使罪で義母は書類送検されることに。裁判官は竜一のマザコンぶりと義母の嫁いびりを厳しく指摘し、離婚が認められたのです。
離婚を成立させるためなら手段を選ばない対応で、私も担当弁護士もため息の連続でした。竜一は実家に戻りましたが、150万の返済で給料のほとんどが消え、生活は困窮しているようです。副業を始めましたが、収入は増えず。義母が持ってくる見合いの話もことごとくうまくいかず、再婚はできていない模様。ストレスからかママへの依存はエスカレートし、自宅から聞こえ漏れる「ママ」という声が近所でも噂になり、「マザコンで戻り息子」という不名誉なあだ名で呼ばれているようです。義父は妻の行動を知りながら止めなかった責任を放棄し、1人で家を出てしまったとか。義姉はSNSでの愚痴が拡散され、「弟の金で行ったくせに文句を言うな」と炎上。顔や住所まで特定され、義兄は逃げるように離婚して出ていったそうです。
私は今まで以上に仕事に集中し、さらなるキャリアアップを果たしました。町を歩いていて、小さい子供が「ママ」と呼ぶ声にびくっとするほどのトラウマは残っていますが、元気でやっています。過去の結婚を後悔はしていません。あの経験があったから今の自分がある。そう思って新たな人生を歩んでいきます。



