「ババアのお前が産んだガキがまともに育つか。」…

「お父さんが私を捨てて、若い学生と再婚したって本当?」 母は一瞬、言葉を失ったように固まった。テーブルの上で湯気を立てるコーヒーが、やけにゆっくりと時間を刻んでいた。 「…なんで、急にそんなこと言うの」 「知り合いから聞いたの。もう25年も前の話でしょ。私、離婚したとしか聞いてなかったから」 「…ごめん。あんまりにも胸くそ悪くて、言えなかったの」 「分かるけど、私ももう26歳だよ。ちゃんと受け止められるから。教えて」 母は深く息を吸い込んだ。窓の外では蝉がうるさく鳴いていた。あの日もこんなふうに暑かったんだろうか。 「…『ババアのお前が産んだガキがまともに育つか』」 「え…?」 「あなたを産んだ直後に、あの人に言われたの。私は41歳の高齢出産で、あなたの父は医者だったから、どんなリスクがあるか分かってたはずなのに」 夫が、産んだばかりの妻に、生まれたばかりの我が子に向かって、そんな言葉を吐くのか。私はただ、母の顔を見つめることしかできなかった。 「でも問題はその次よ。『医学部の学生が妊娠した。その子を大事に育てる』って言われた時は、人生で初めて白目を向いたわ」 医学部の学生? つまり、母が産んだばかりの私の存在を、あの男は「大事に育てるべき子」ではなく、自分が若い女に産ませた子と並べて語ったのか。研修中の医学生を妊娠させたという噂は、病院内でも広まったらしい。あの男は平然としていたそうだ。 「母さんは何か言い返さなかったの?」 「『そうですか』って言ったわ。そして、『覚えてろよ』とだけ言って、離婚届にサインした」 「…かっけえよ」 「で、生物学上の父親はなんて」 「『覚えてられるかよ』って鼻で笑ってたわ」 私は、子供の頃にこの話を聞かされなくて良かったと思った。当時の私なら、ただショックを受けて終わっていただろう。でも、今は違う。25年越しに知った事実は、私の中で確かな怒りに変わっていた。 数日後、私のかかりつけの医師である遠藤先生から連絡があった。彼は、私の父──あの男の医学部時代の同期だったという。昔は三人でよく遊んでいたらしい。「あいつの患者なんだってね」と言う遠藤先生に、私は父と会ってみたいと言った。すると、遠藤先生は遠慮がちに、父が私の母を「人が変わった」と語ったことを教えてくれた。 「神経症になって、毎日怒鳴り散らかしてたんだよ」 再会した病院の面会室で、あの男はしみじみと言った。25年ぶりに見る顔は、私が想像していたよりずっと老けていた。 「それは大変だったね」 「だろう? それに耐え切れずに離婚したってわけだ」 「でも、養育費すら払わないのはおかしくない?」 「俺は払おうとしたんだ。でも、いらないってお母さんが断ったんだぞ」 「…そう。真実が分かって、すっきりしたよ」 「そうか。よかった」 私は、目の前の男が嘘をついているかどうか、確かめることはできなかった。でも、ひとつだけ確かなことがある。彼は、自分が「捨てた」妻と娘ではなく、「耐え切れずに離婚した」男の物語を、自分のために紡いでいる。その傲慢さが、私の中で復讐心へと変わった。 「結婚式来る? 嫌じゃなければだけど」 彼の顔がぱっと明るんだ。「いいのか? 行くよ。是非、行かせてくれ」 数日後、彼から直接電話がかかってきた。「おい、久しぶりだな」 「…誰ですか?」 「俺を忘れるなんて。お前もついにボケたか?」 「まさか…順さん? なんで私の連絡先なんか知ってるの?」 「かずはに遠藤から聞いた。お前が遠藤の患者だって。それで『娘が結婚する』って聞いてな」 「今更、現れてどういうつもり?」 「俺が連絡したわけじゃねえよ。お前から来たんだろ? 俺の見立て通り、普通に働いて平凡に生きてるみたいだな」 「それが何か?」 「そんなにピリピリするなよ。聞いたぞ、結婚するらしいな。俺にも来て欲しいって言ってたぞ」 「なぜあんたが来るのよ。あんたには外で作った子供がいるんでしょ?」 「いるよ。うちの息子は、偉大受かって研修やってる」 「それはご立派なことで」 「結局、お前の遺伝子だったら、こうは行かなかったってことだよ」 その瞬間、私の中で何かがはっきりと音を立てて切れた。 「私は、子供を医者にするために産んだんじゃない」 「強がるなよ。親一人子一人で苦しい生活を送ってきたのは分かる。だから、結婚式の祝儀くらいは出してやろうと思ってる」 「いらない。手も口も金も出さないで」 「お前に断る権利はないだろう。かずは来ていいって言ってくれたんだから」 … Read more

30 August 2026

夫が突然「リストラされた」と泣きついてきた日から、私たちの生活は崩れ始めた。同期5人のうち自分だけが切られたと打ちひしがれる夫に、私は毎日必死で寄り添った。ところがある日、夫の同期から驚愕の真実を聞かされる。「あいつ、自分から辞めたんだよ」嘘をついたのか。しかも彼は私の宅建資格を使って勝手に起業しようとしていて、会社に私の退職届まで送ってきた。「お前は会社を辞めて俺の会社に入るんだよ」って、…

「リストラされた。俺なんてもう生きてる意味がない」 夜のリビングで、夫の琢磨が呟くようにそう言った。私は思わず手に持っていたコップを置いた。 「本当なの?」 「こんな嘘つくかよ」 同期5人のうち、リストラを告げられたのは琢磨だけだった。営業成績だって、残業時間だって、彼が一番だったはずなのに。 「なんで俺なんだよ。あの4人より絶対に遅くまでやってたし、結果も出してたのに」 「理由は聞けなかったの?」 「人事部の判断としか言われなかった」 その日はちょうど、私の宅建(宅地建物取引士)の合格発表の日だった。琢磨は気を使って「おめでとう」と言ってくれた。資格手当てが月に5万円つくことを知って、私は素直に嬉しかった。 「せっかくの合格祝いだし、焼肉でも食べに行こう」 「いや、いい。少し1人になりたい」 「ちゃんと帰ってくるよね」 「ああ、大丈夫。ほっといてくれ」 数日後、琢磨は引き継ぎを終えて会社を去った。残りの日々は有給休暇を消化すると言っていた。私はできる限り気を遣っていたつもりだったが、彼の機嫌はますます悪くなっていった。 一週間後、琢磨は部屋にこもったまま、風呂にも入らず、ほとんど食事もとらなかった。 「少しは部屋から出てきたら?お風呂も入ってないし、ご飯もほとんど食べてないでしょ」 「ほっといてくれ」 「辛いのは分かるけど、体壊したら倒れちゃうよ」 「は?俺が体壊して働けなくなったら価値がないって言いたいのか?」 「飛躍しすぎだよ。誰もそこまで言ってないじゃん」 「お前にリストラされた俺の気持ちなんて分かるか?」 ごめん、と私は謝るしかなかった。しばらく休んで、私は仕事に行くと言ったが、琢磨は「勝手にしろ」とだけ言った。 その週末、私は同期の1人である新藤さんに連絡を取った。琢磨が本当に元気がないこと、何か知らないか聞きたかったのだ。 「ああ、香織ちゃん。結婚式以来だね」 「ええ、あの時の同期4人のショートコント、最高でしたよ」 「やめてよ。あれ俺らの黒歴史なんだから」 「あの、琢磨のことなんですけど……」 「うん。あいつ元気にしてる?」 「結構落ち込んでて、食事もほとんど食べてなくて」 「あ、なんでそんなに落ち込んでんの?」 「それは、あんなことがあれば当然かと……」 「何かあったの?」 私は意を決して言った。 「言いづらいとは思うんですが、琢磨はリストラの対象になるほど、皆様にご迷惑をおかけしたんでしょうか?」 「は?何それ?リストラって何?」 「同期5人のうち、自分だけがリストラを勧告されたって落ち込んでて……」 「いやいやいや、ないないない」 「へ?」 「あいつ、自分からやめたんだよ」 「本当ですか?」 「上司も引き止めたけど、意思が硬かったみたいでさ。送別会もしたし、今でも仲間だと思ってるよ」 なんでそんな嘘をついたんだろう。私は混乱したまま、新藤さんに「このことは夫婦の間で話し合うから、ひとまず聞かなかったことにしてほしい」と頼んだ。 「分かった。俺も気になるから、何か分かり次第報告するよ」 「ありがとうございます」 「逆に何かあれば相談して。会社のことならある程度は調べられるからさ」 その夜、琢磨が突然言った。 「しばらく実家に帰るわ」 「どうして?」 「お前じゃ癒されないから」 「私はどうすれば良かったの?部屋にこもってばかりで話もできないじゃない」 「そうやって俺を責めることしかできねえのかよ」 「そういう自分は、何か私に隠してることはないわけ?」 「は?何のことだよ」 「リストラされたという以外のことを何も聞いてないのよ。どういう経緯で、何があったとか、少しは教えてよ」 「お前に言ったところで理解できるわけないだろ」 … Read more

30 August 2026

「お前が産んだガキがまともに育つか」— 母はそう言われたんだって、私を産んだ直後に。捨てた父は若い学生と再婚して、25年後に突然現れた。そして「俺の遺伝子のおかげだ、感謝しろ」と笑った。私は何も答えず、ただ静かに彼の人生を終わらせる計画を胸にしまった。まだ彼は、私が誰で、何を知っているのか、全く気づいていない。…あの男が式場で見た光景に、顔色を変えて逃げ出すまでは。…

「お父さんが私を捨てて、若い学生と再婚したって本当?」 母が突然、そんなことを聞いてきたのは、もう25年も前の話を蒸し返した時だった。 「なんで急にそんなこと言うの?」 「知り合いから聞いたの。私、離婚したとしか聞いてないわ」 母は言いにくそうに、でも静かに話し始めた。 「ごめんね。あまりにも胸くそ悪くて言えなかったの」 「分かるけど、私ももう26歳だし、ちゃんと聞けるよ」 「そうね…。もう立派な大人だもんね。知りたいの?」 「うん」 「覚悟はいい?」 「そんなに気合いのいる話なのか?」 「そりゃね、いい思い出ではないから」 母は一度深呼吸してから、あの日のことを話し出した。 「『ババアのお前が産んだガキがまともに育つか』って言われたの。あなたを産んだ直後にね」 私は言葉を失った。 母は41歳での高齢出産だった。父は医者だったから、どんなリスクがあるかは分かっていたはずだという。だが、それにしても、産後の妻に言う言葉ではない。 「でも問題はその次よ」 「次?」 「医学部の学生が妊娠したんだって。その子を大事に育てるって言われた時は、人生で初めて白目を向いたわ」 父は研修中の医学生を妊娠させていた。病院内でも結構噂になったらしいが、若い女に浮かれて平然としていたみたいだ。 「お母さんは何か言い返さなかったの?」 「私は黙って『そうですか』って言ったわ」 「それだけ?」 「うん。でも、今でも忘れないわ。『覚えてろよ』とだけ言って、離婚届にサインした」 「かっこいい…」 「で、生物学上の父親は何て言ったの?」 「『覚えてられるかよ』って鼻で笑ってたわ」 それで全てを悟った。私は母に聞いた。 「知り合いって誰に聞いたの?」 「遠藤先生。私のかかりつけのお医者さんなの」 「遠藤先生が知ってるの?」 「さっき言ったお父さんの知り合いが遠藤君よ。お父さんとは医学部の同期でね、よく3人で遊んだりしてたの」 「へえ…そうだったんだ。すごい偶然があるものね」 「でも、勝手に娘に言わないで欲しかったわ」 「私が言ったんだよ。母さんがはっきり言わないから、父は私のことを愛してないから捨てたんだと思うって」 「それは違う。あの人は高齢出産がどうとか色々と理由をつけてたけど、ただ若い女が良かっただけなの」 「今更どっちでもいいけど…クズはクズだね」 「うん」 母は少し笑った。 「でも、クズから天使が生まれたから、プラマイゼロどころかプラスの人生よ」 「お母さん、そのせいであんなに苦労したんだね」 「大変だったけど、楽しかったわ。女手一つで大学まで行かせるなんて、なかなかできないよ」 「そう言ってくれるだけで嬉しいわ」 数日後、母のところに遠藤先生から連絡があったらしい。 「急に連絡取りたいなんて言ってごめんね」 「いやいや、嬉しかったよ。お前の娘さんが俺の患者なんだってな」 「うん。よくしてもらってるの」 遠藤先生は私に会いたいと言った。母は驚いていたが、私は承諾した。少し興味があったのだ。 その日、私は遠藤先生の診察室を訪れた。先生は私を見て、感慨深そうに言った。 「お前、いくつになった?」 「26歳です」 「そうか…大きくなったなあ。今は何やってるんだ?」 「普通に働いてます。もうすぐ結婚するんです」 「おお、そうか。女は若いうちに結婚して子供を産むべきだ」 その時、私は一つの質問をした。 … Read more

30 August 2026

「今度の法事、あのブス嫁も連れてくるの?」義母のその一言で、私はもう嫌な予感がしていた。初めての義実家の法事、挨拶をしようとすれば「人前に出せる顔ですか?」と笑われ、買い出しを命じられ、夜になれば廊下に薄い布団を敷かれて「そこで寝なさい」と言われた。バスタオル1枚で震えながら、私は思った。このまま黙って耐えるのか?翌朝、始発の電車に乗りながら、私は1本の電話をかけていた。「マイク、助けて」義…

「今度の法事、あのブス嫁も連れてくるの?」 母のその言葉に、俺は思わず箸を置いた。 「母さん、いい加減にしてくれ。俺が選んだ人なんだ。そんな風に言わないでくれ」 「だって嫌いなんだもん」 「なみの何がそんなに気に入らないんだ?」 「気が強そう。料理下手そう。昔遊んでそう」 「全部想像じゃん」 「私の勘って当たるのよ。近所でもあそこ離婚するなって夫婦は分かっちゃうし」 「何の自慢にもならないから。なみも母さんと距離があるって気にしてたぞ。話しかけてもそっけないって」 「だってまともに話したらケちょんケちょんに言いたくなっちゃうでしょ。そしたらかずが悲しむと思って」 「その気遣いをなみに向けてくれないかな。母さんが悲しいと俺も悲しいんだよ」 「あなただってずっとピーマン嫌いでしょ。嫌なものはどうしたって嫌じゃない?」 「もう食べられるよ」 「え、そうなの?大人になったのね」 「子供扱いしないでくれ。……歩み寄ってくれてありがとう」 「私もピーマン嫌い克服してみるわ」 「なんかピーマンと同列にしないで欲しいけど」 数日後、法事の当日。 「なみさん、何時頃到着する予定?」 「今母さんの運転で向かってるので、あと1時間くらいだと思います」 「亭主に運転させて、隣で口開けて寝てるの?楽で羨ましいわ」 「起きてますが」 「冗談よ。今日は親族の集まりだし、ゆっくりしてってね」 「母さんのおじい様の13回忌ですよね。何か手伝えることがあれば、私もお手伝いします」 「あら、結構よ。お皿運ぶだけならファミレスのロボットに頼んだ方がまだましだもの。冗談よ。今回は初めての法事参加でしょ。あなたには奥の和室を用意してあるから、そこで映画でも見て時間潰してくれたらいいわ」 「いえ、結婚式以来ですし、親戚の皆様にもご挨拶をさせていただきたいのですが」 「人前に出せる顔ですか?」 「はい。冗談よ」 「母さん、冗談にすれば何でも言っていいと思ってませんか?」 「何が?」 「私は母さんの妻として恥ずかしくない働きをしたいと思っています。親戚付き合いも妻の勤めだと思っていますので」 「まあご立派でびっくりだわ。猿と思ってたらチンパンジーだったくらい驚いちゃった。あれ、冗談」 「とにかく一泊ですが、お世話になります」 数分後、なみのスマホが鳴った。 「マイク、久しぶり」 「なみ久しぶりだね。今沖縄なんだね」 「そう。広島のお好み焼き屋で修行してるんだって?間違ってマヨネーズ画面にかけてごめんね」 「別にいいよ。夫も爆笑してたし」 「かずま、いいやつだね。前に飲んだ時、あの後何件も奢ってくれたんだよ。翌日二日酔いで新幹線乗ったのもいい思い出だよ。また飲みたいね」 「ところでマイク、広島で会った時さ、なんかストレス与えるとかそんな話してなかったっけ?」 「もう追い詰められたら、ブランチみたいなもんさ。今義家に向かってるんだけど、義母から早速先制パンチ食らっててさ」 「ああ、ジャパニーズ義母は本当にそこら中にいるよ。中にはいい人もいると思うけどね。僕の友達も義母に苦しめられたやつたくさんいる。息子が可愛いが故の行動なんだろうけどね。でも、その息子が愛した女だ」 「うちの夫もそう言ってくれてる。いい男捕まえたな」 「ありがとう。で、僕は何をすればいい?」 「今のところ何も起きてないけど、もし今回の件で何かあれば依頼したい。お金ならちゃんと払うから」 「ノー。JSAに関してはお金もらわない」 「え、何の略?」 「地味に。ストレス与えちゃう。で、JSA」 「ああ」 「毎回めんどくさいから名前つけた。周りからの評判は結構悪い」 「分かりやすくていいと思うよ」 「なみ優しいね」 「でもマイクと話せて安心した。今夫に言うと引き返しちゃうかもしれないし、ちょっと愚痴りたかったんだ」 「何かあったら任せろ」 「これで安心して義実家行けそうだよ。何も起こらないかもしれないしね」 … Read more

30 August 2026

学校の授業参観で、まさか彼女に会うなんて思わなかった。「あんたの娘がうちの娘の親友だったなんてね。負け犬さん」って、親友だと思っていた相手が、私の夫を奪った女だった。しかも「あなたの家は貧乏でしょ?うちは年収一千万よ」と笑いながら言ってきた。でも、彼女は知らなかった。夫の浮気がバレて、家庭が崩壊寸前だってことを。あの日のやり取りは、ここでは終わらない。私が何を握っているのか、彼女はまだ気づい…

学校でまさかあんたに会うなんてね。久しぶりじゃない?負け犬さん。 親友の私が挨拶したのに無視するなんてひどいわ。 無視してないわ。挨拶はしたでしょう。授業参観だったし、人の目もあるもの。 いや、それにしてもまさかあんたの娘がうちのゆいの親友だったなんてね。世間って狭いわ。 そうみたい。私も驚いたわ。というか、元親友ね。もう親友とは思っていないから。 あっそ。私ももう思ってないわよ。てか、今日は決着だったわ。なんかこっち見てくる人がいるから誰かと思ったら、私に夫を奪われた負け犬じゃんって思って、笑うのを必死にこらえたわ。 そう。それで何のために連絡してきたの?連絡先は教えていなかったはずなんだけど。 ゆいとあんたの娘は友達だからね。あかりちゃんじゃない?ゆい経由で連絡先を教えてって頼んだの? そう。まあ、友達の母親からそう言われて「嫌です」なんて言う子も少ないでしょうけど。 で、そうやってわざわざ連絡してきたわけだけど、何か用なわけ? いやさあ、ちょっと釘を刺しておこうと思って。 何の話? どうせあんたのことだからシングルだし、貧乏生活大変なんでしょ?うちが羨ましいからって嫌がらせしないでね。 別にそんなことしないわ。 強がらなくていいのよ。夫は弁護士だし、年収一千万あるのは知ってるわよね。元夫なんだから。 ええ、あなたが浮気して駆け落ちしたんだもの。経済能力は知っているわ。あなたみたいな普通の会社員とは違うの。うちはお金あるけど、あんたはそうじゃない。だから警戒しとかないと。 そう。言いたいことはそれだけ? はあ。何よ、その態度。むかつくわね。嘘だと思ってるわけ?言っとくけどね、うちの娘は優秀だし、大学だっていいとこに通うの。あなたの娘はどうせしょぼいところでしょ。かわいそうに。 何か大きな勘違いしてるようだけど、私、再婚してるわよ。 再婚?あんたが、え?だからシングル家庭じゃないの。 はあ。あ、そ。だから貧乏と決めつけないでもらえないかしら。 でも愛のない家庭でかわいそうね。 どういう意味? あんたが再婚って、どう考えてもおかしいじゃん。夫を他の女に取られるようなやつよ。そんなのが再婚できたってことは、どうせ子供ができたから結婚したに決まってるわ。愛のない家庭のくせに。 そう思うなら、それでいいわ。 つまんないの。やっぱりあなたみたいな貧乏人は、子供ができないと結婚できないのよ。うちは違うわよ。愛があって結婚したんだから。あなたとは運の差ね。 そう。つまり自慢話をしに来たわけ。もういいかしら。時間の無駄だもの。あなたのことは許してないし。 今後は近づかないわ。けど、子供たちのことまでは口出ししないで。あの子たちは関係ないんだから。 数時間後。 あかり、私さ、高校卒業したら家出ようと思う。 は?どうしたの?いきなり。うちもうめちゃくちゃなの。正直限界。 何があったの? 父さん借金してるの。弁護士事務所も倒産寸前らしい。 借金?それやばいじゃん。 うん。しかもそれだけじゃなくて、父さんも母さんも浮気してる。 はあ、え、マジ?何それ?地獄じゃん。 離婚調停中なんだけど、どっちが慰謝料払うかで揉めてる。毎日怒鳴り声聞こえるし、子供のことなんて何も考えてない。 ゆい、大丈夫? 大丈夫かな?今は高校卒業したら家出るって決めたら、色々諦めて楽になったけど。 そうなんだ。辛かったら何でも言ってよ。なんならうちに泊まってもいいし。 ありがとう。あかりにしか言えないから。 ゆいのお母さん、いつも忙しそうだよね。 忙しいっていうか、家に帰りたくないんだと思う。浮気相手と会ってるし。 そうなんだ。正直、あの人嫌いだわ。私のことなんて何も考えてないし。今日だって、私が三年生だって普通に忘れてたんだよ。 まあ、高校で授業参観とか恥ずかしいから来なくていいって言ったんだけど。 そっか。確かに最近なんか元気なかったもんね。 あ、ごめん。愚痴っちゃった。 うん、いいよ。家でもストレスかかるってやばいよね。でも、聞くから。 ありがとう。あかりは優しいね。 親友の話くらい聞くって。私たち、親友でしょ。 一時間後。 あのさ、お母さん。さっきのLINE見ちゃったというか、見えちゃったっていうか。リビングで携帯を開きっぱなしにしてたから見えたのね。見るつもりなかったんだけど。ゆいのお母さん、ひどいこと言ってたね。 大丈夫よ。あなたは気にしなくていいの。 いや、それがね、ゆいのお母さん、めちゃくちゃ自慢してたけど、実際はそんなにうまくいってないらしいよ。 どういうこと? … Read more

30 August 2026

陣痛の合間、スマホを開いたら夫から「さっさと産んでください」というLINEが来てた。産んだ直後、病室で告げられたのは「母親になった女に興味ないから離婚で頼む」という言葉。立ち会いどころか病院にすら来なかったのに、彼はもう家を出ていった。数年連れ添い、望んで作った子供なのに、私が妊娠で太っていくのが気持ち悪かったらしい。泣きたくても助産師さんの前で泣けなかった。でも、旦那の母が「私が調べる」と…

産後、まだ病院のベッドで横になっているのに、夫の神兵から届いたLINEの通知の数に、私は目を疑った。 「出産ごとに何時間かかってんだよ。大事な話があるから早く電話出ろ」 「まだですか?さっさと産んでください。産婦人科に行ってから10時間も経ってるぞ。産んだらすぐ連絡しろよ」 2時間後、ようやく返事をした私に、彼は言った。 「遅いんだよ」 「私が何してたか分かってて言ってるんだよね。出産は病気じゃない」 「命がけで産んだんだけど」 「生きてるじゃん。10時間以上かかって何だったのよ。でも生まれたんだろう」 立ち合いどころか、病院にも来てくれなかった。 「それでも父親なの?自覚がなさすぎるでしょう」 「ああ、やっぱりなあ。女は子供を産んだ瞬間に別の人格になるんだって、会社の先輩が言ってた通りだったわ」 私は小さな命を守らなければならない。今までと同じでいいわけがない。 「あなたも少しは父親としての自覚を持ってよ」 「無理だわ」 「何言ってんの?」 「子供産んだところで悪いけど、離婚で頼む」 「何の冗談?私まだ病室から動けなくて、周りに助産師さんたちがいるから電話もできないの」 「別に話が伝わればLINEでいい」 「離婚って何?本気で言ってるの?」 「母親になった女に興味ないんだよ」 「待ってよ。自分が子供欲しいって言ったんでしょ」 「悪いんだけど、途中からなんか気持ち悪くなっちゃって。腹が膨れ上がっていくことに恐怖を覚えたっていうかさ」 「何言ってんのよ。自分だってそうやって生まれてきたんじゃないの?」 「俺は中にいた時のことは覚えてないからな」 「子供が欲しかったんじゃないの?」 「やっぱいいわ」 「買い物をキャンセルするみたいに言わないで。1人の人間としてこの世に生まれてきたんだよ」 「お前が幸せにしてやってくれ。養育費は払わないから」 「無責任すぎる。許せない。調停してでも必ず支払わせるから」 「無駄だって。俺の知り合いでも、結構養育費から逃げてるやつ多いぜ」 「クズの友達はみんなクズなのね」 「お互い分与する財産もないし、俺が浮気したわけでもないし。綺麗さっぱり終わりってことで」 「後悔しないわね」 「しねえよ」 「わかった。じゃあこの子は私が大事に育てます。2度と関わらないでください」 「言われなくても、もう家は出たから。良い子に育てろよ。それだけ限界だったってこと。じゃ、頑張れよ」 3日後、義母の知恵さんから連絡があった。 「そろそろ落ち着いた頃かしら?赤ちゃんに会いに病院に伺ってもいい?」 「お母さん、来ていただくのは構わないんですが、ちょっとメンタルが不安定で」 「産後はそうなるわよね。でも大丈夫よ。ご実家が遠くて不安でしょうけど、私が全力でサポートするから」 「ありがとうございます。でも、もうお母さんに助けていただくことはできません」 「なんでそんな悲しいこと言うの?私が何か気に触ることを言ったならごめんなさい」 「いえ、お母さんのせいじゃないんです。私たち、離婚することになって」 「え、なんで急に?」 「出産直後にスマホを見たら、夫からすごい数のLINEの通知があったんです」 「あの子なりに心配してたのね」 「それが違ったんです。“母親になった女に興味がないから、離婚しよう”って。助産師さんもいる中で、泣くこともできず、この数日頭が回らなくて。そのせいで面会をお断りしてしまってすみません」 「早く行ってくれたらよかったのに。悲しい、情けない、不安。いろんな感情が頭の中でぐるぐるして、整理がつかなかったんです」 「そうよね。ごめんなさい、早く行ってほしいなんて、私のわがままだったわ」 妊娠5ヶ月くらいまでは優しかった。戌の日には一緒に神社にも行ってくれたし、お腹も撫でてくれた。 「いつから変わったの?」 「お腹が目立ち始めた頃でしょうか。家に帰るのが遅くなって、その時は“子供のために残業頑張ってる”って言ってたから信じてたんですけど」 「なんか変ね」 「大きくなっていくお腹を見て、気持ち悪くなったって言われました」 「ありえないでしょ。妊娠したらそうなることなんて、世界中の誰だって知ってる話なんだから」 … Read more

30 August 2026

「お前はもういらない。30年もお前と結婚していてうんざりなんだ」 定年退職したその日、夫は私にそう言い放った。退職金1500万円を手にした途端、私を追い出したのだ。「家で飯を作ってただけの女が何を偉そうに」と。…

「捨て山って知ってるか?昔はそういうこともあったらしいな。お前も今、捨てられそうな山を探してるんだろ?」 夫が笑いながら言った。でも、その目は笑っていなかった。 「何言ってるのよ。離婚となれば財産分与で半分持っていかれるから、私を山に捨てようってわけ?」 「まあな。冗談だよ。でも退職金目当てで今まで結婚生活を続けてきたんだろう?」 「そんなわけないでしょ。家族としてお互いに支え合ってきたつもりよ」 「はあ。お前が何したって言うんだ?家で飯作ってちょっと掃除してただけだろ」 「ちょっと待ってよ。それがどれだけ大変なことだと思ってるの?」 「ほざけ。その程度のことは俺にもできるわ」 「じゃあやってみなさいよ」 「やってやるよ。だから出ていけ」 「お茶が飲みたいって、買い物中の私を呼び戻すような人が何言ってるのよ」 「そのくらいできる。もうお前は必要ない。お前と30年も結婚生活して、もううんざりなんだわ」 私は息を呑んだ。30年。共に歳を重ね、子供を育て、家を守ってきた。その全部を、彼は今、否定した。 「さっき退職金目当てじゃないと言ったな。じゃあ退職金は全額俺のものだ。離婚して出ていけばな」 「本気で言ってるの?」 「もちろんさ。お前が俺の退職金を我が物顔で使うかと思うと、吐き気がするんだよ」 「私だってあなたの仕事を支えてきた自負はあるのよ」 「家で飯作ってへこいてただけの女が何を偉そうに」 「ひどいこと言うのね。自分だって子育てなんか何にも協力しなかったくせに」 「俺の稼ぎであいつらは立派な大人になったんだ」 「それは分かってるわ。でも私が何もしなかったってことはないでしょ」 「お前じゃなくてもよかった。どの女を選んでも、お前くらいの働きはしたよ」 「随分と好き放題言ってくれるじゃない」 「アジはスーパーに頼めば問題なし。ばあさんが消えて最高の老後だな」 「いつもの冗談じゃなさそうね」 「もちろんさ」 「がっかりだわ。あなた、もしかして浮気とかあるわけ?」 「はあ?あなたを相手にする女性がいるわけないでしょ」 「なんだと?俺だって本気を出せば、女の1人や2人は捕まえられるんだぞ」 「へえ、すごいですね」 「お前みたいな無価値な女はもういらん」 「そこまで言うならいいわ。出ていく」 「心配するわけじゃないが、行くところはあるのかよ」 「ないわね。息子夫婦の邪魔だけはしないで」 「分かってるわ。お世話になりました」 ドアを閉めた瞬間、涙は出なかった。ただ、体の芯が冷えていくような感覚だけがあった。 — 3日後。息子のミキヤから電話がかかってきた。 「母さんと連絡がつかないんだけど。旅行か何か?」 「いや、あいつは出ていった」 「は?なんで?」 「老後までじいさんの面倒を見たくないんだとよ。ひどい話だろう。おかげでまともに飯も食えてないよ」 「警察に捜索願いとか出した方が良くない?」 「自分の意思で出ていったんだぞ。失踪したわけでもあるまいし」 「そうだけど、父さんは心配じゃないのか?」 「捨てられたのは俺だぞ。心配するなら父親の方だろう」 「電話の電源が入ってないんだよ。どこかで倒れたりしてないかな?」 「俺のことはどうでもいいのか?」 「父さんとは連絡も取れたし、家にいることが分かってるだろう。でも母さんはどこで何をしてるか分からないんだよ」 「そりゃそうだが、あいつの意思なんだからほっとけ」 「何か言ったの?」 「そんなんじゃない。父さん、退職してから何してるの?少しは動いたり出かけないとだめだよ」 「なんだよ。ボケるとでも言いたいのか」 「なんか今日はやけにつっかかるね」 「お前が母さん母さんと言うからだ。俺にとってはどちらも大事な両親だよ」 … Read more

30 August 2026

「裕子、今すぐにこの家から出ていけ。離婚だ」…

「裕子、今すぐこの家から出ていけ」 突然のLINEだった。私は画面を二度見した。三度見した。離婚?何を言っているんだろう。 「ちょっと待って。勝手に決めないで。どうして私たちが離婚しなきゃいけないの?」 返ってきたのは、私のせいだという非難だった。彼と義母の言いつけに従わないからだと言う。言い返すからだと。私は反論する権利くらいあるはずだと言ったが、彼は「息子として母親の味方をするのは当然だ」と言い放った。 「お前の顔なんてもう見たくない。今すぐ家を出ていけ」 私は話し合いを求めた。でも彼は「これが家族の総意だ」の一点張りだった。千明のことについては、私には任せられないと。母としても妻としても失格だと。 どうやらこれは彼だけの決断ではないらしい。私は義母に直接話をしに行った。 「お母さん、大機から出ていけと言われました」 義母は悪びれもせずに言った。 「あら、そう。あの子もようやく決断してくれたのね。息子に捨てられてざまあみなさい。これで嫁以外の家族で暮らせるわ。幸せ」 私は思わず口にした。息子を利用して私を追い出すのはひどくないですか、と。義母はもちろん否定した。何も言ってない、全部大機が決めたことだと。 「嘘をつかないで。あなたたちが二人でこそこそ出かけているの、知ってるんですよ」 義母はヒステリックに叫んだ。親子で出かけるのは普通だと。でも私は確信していた。ここで離婚を迫っているのが彼一人の意志ではないことを。 「本音を言えば、あんたが最初はいい子だと思ってたわ。でも徐々に言い返すようになってきた。特に千明を盾に使って」 「やっぱり受験のことを怒ってるんですね。あれが決定的だったんでしょ」 義母は黙った。あの中学受験の話。息子の意思を無視して、義母が勝手に塾に行かせようとしたあの出来事。私はそれが間違っていると思ったから止めた。それが、義母の逆鱗に触れたらしい。 「ルールを守れないのなら、さっさと離婚して出ていけ」 「分かりました。ここまでされて同居はさすがに続けられません」 義母は嘲笑うように言った。 「あら、いいの?あんた仕事もしてないし。追い出されたら路頭に迷うこと確定じゃない?頼れる親だってあんたにはいないんだし」 私はその言葉で、もう決意が固まった。義父に連絡を取った。 「お父さん、お仕事中に申し訳ありません。さっき大機から離婚を言い渡されました」 義父は驚いていた。その家は義父が買ったものだと。「あのバカが勝手なことを言うな」と怒っていた。 「どうやらお母さんと二人で決めたみたいです」 義父はため息をついた。「やはり広美も関わっていたか」 「一方的に広美が嫌っていただけだ。裕子さんは何とかしようと頑張ってくれていた。経済的なことか?って思ったけど、千明のことだな?」 「はい。大機は千明を引き取るつもりのようです。私に任せられないと」 「あいつがそんなことを言ってたのか。それは許せない。とにかくまずは話し合った方がいい」 私は義父の申し出を断った。これは私たちの問題だと。しかし、義父は「私も準備しないとな」と呟いていた。その意味を、私はまだ知らなかった。 大機が帰ってきた。私は千明の親権について話し合いたいと言った。 「それはもちろん俺がもらうよ。経済力がある俺が一緒の方が絶対にいいだろう」 「私だって仕事をしてみせる。千明は私が引き取る」 「バカを言うな。お前のような甘いやつが。親ってのは子供に言いつけを守らせるのが役目なんだよ。千明は黙って俺たちが決めた道を進めばいいんだ」 「本当にそう思ってるの?千明はテニスの大会で活躍することを夢見て頑張ってる。それを邪魔するなんて絶対に許さない」 「うるさい。無収入の女が適当なことを言うな。お前さえいなくなったら、俺たち家族は平穏と幸せを得られるんだ」 私は決意した。「こんな家、すぐにでも出ていってやるわ」 その日から私は、新しい家探しと離婚の準備を始めた。そして、千明との話し合いをした。もう隠し立てはしなかった。全部話した。離婚のこと、父と祖母が私を追い出そうとしていること、中学受験の件で祖母が怒っていたこと。千明はもう中学生だ。自分で決める権利がある。 「千明、あなたはどうしたい?」 千明は少し考えて、言った。 「母さんと一緒にいたい」 その言葉が、私のすべての支えになった。 二週間後、家が見つかった。私は義母に連絡した。 「やっと出ていってくれたみたいね」 「ええ、ようやく家が見つかりました。離婚届は私が役所に提出しておきますよ」 「そう。それじゃあお願いね。あんたは一人で寂しく暮らすのね。絶対にうちに近づくんじゃないわよ」 「もちろんです。でもそれはお母さんも同じですからね。千明にも近づかないでくださいね」 「はあ?なんでそんなことをあんたが言うの?」 「だって千明は私と一緒に住むことになりましたから」 「なんですって?」 「あら、気づいてなかったんですか?もうみんな出ていきましたよ。あなたと大機以外はもうその家にはいません」 義母は絶叫した。誘拐だ、警察に通報すると。 「千明の意思は確認してますよ。それに、千明はあなたたちのことを心から嫌ってましたよ」 「え、千明が?」 「そりゃそうでしょう。勝手に中学受験をさせようとしたんですから。あの時から千明はお母さんに対して嫌悪感を抱いてたんです。それに、お母さんは友達の孫が私立中学に入ったって聞いて張り合おうとしただけですよね?お母さんがその話を聞いた時、私も一緒にいましたからね。嬉しそうじゃなくて、ただ悔しそうでした」 義母は言葉を失っていた。私は言った。 … Read more

30 August 2026

「手術が失敗して死ぬなんてことは勘弁してくれよ」—…

突然、胸に激しい痛みが走ったのは、何の前触れもない昼下がりだった。救急車で運ばれ、検査を受けた結果、医師から告げられたのは「急性心筋梗塞」という言葉。そして、明後日にはバイパス手術を受けなければ命に関わると言われた。 病院のベッドの上で、私は最初に長男の裕二に電話をした。彼に「手術を受けることになった」と伝えると、電話の向こうの声は明らかに困惑していた。 「仕事が忙しくて、手術の日は行けない。今だってカツカツで、休んだら生活が成り立たないんだ」 「大人なんだからしっかりしてくれよ。俺だけじゃなくて、勝彦がいるだろう」 「母さんのことまで考える余裕はない。俺は国子のことだって守らないといけないし」 その言葉に、私は返す言葉を失った。手術が失敗すれば、これが最後の会話になるかもしれないのに。それでも、彼の生活が大変なのは分かっているから、これ以上は何も言えなかった。 「分かった。無理しないでね」 電話を切った後、今度は次男の勝彦に連絡をした。すると、彼は全く違う反応だった。 「今から病院に行くから、住所を送ってくれ。仕事は休むって伝えるから大丈夫だよ。俺は有給もたくさん残ってるし、手術の日も必ず行くからね」 その言葉に、私は思わず涙が溢れた。夫を亡くしてから、病院という場所がどれほど怖いか。それを理解してくれているのは、彼だけだった。 「実は裕二にも連絡をしたんだけど、忙しいから来られないって言われちゃって」 「ありえないだろ。俺たちがどれだけ親に世話になったと思ってるんだ。一大事に仕事を優先するなんて」 「やめて。もう私は納得してることだから。私のことなんかで裕二を不幸にしたくないの」 勝彦は納得していない様子だったが、「何か裏があるに決まってる」と言いながらも、病院に来てくれることになった。 その翌日、思いがけない電話がかかってきた。裕二の妻、国子からだった。彼女は普段ほとんど連絡をしてこないのに、今日はなぜか明るい声だった。 「明日からハワイ旅行に行くんで、何かお土産とか欲しいのありませんか? 気が向いたら買ってこようと思ってるんで」 「ハワイ旅行? 仕事じゃないの? 」 「仕事なんてしてたらハワイに行けませんって。変なことを言わないでください」 私はそこで初めて、裕二が嘘をついていたことを知った。彼は「仕事だから」と言って手術の日に来ないと言ったのに、実際はハワイ旅行に行くつもりだったのだ。 「私は裕二から仕事だって言われてたの。手術をするのに、お見舞いに来て欲しいと言ったら仕事だから無理だと断られたのよ」 「へえ、そんなことがあったんですね。でも断って普通だと思いますよ。どうしてわざわざ私たちがお見舞いになんて行かないといけないんですか? お母さんが手術しようが、うちらに関係ないんで」 「そんな言い方、ひどいわ。血のつながりもないんだから当然でしょう? うちの両親が手術するんだったら、当然旅行なんて全部キャンセルしますけど」 「あなただったらしませんよ。そう。分かっていただけて本当に嬉しいです。じゃあお土産はどうしましょうかね? 買ってきてもお母さんがあの世にいるんじゃ渡せないんで、なしでいいですか? 」 その言葉に、私は電話口で言葉を失った。自分の夫の母親が、手術の明後日に命の危機があるというのに、彼女は平気でそんなことが言えるのだ。 電話を切った後、私は裕二に電話をした。 「仕事っていうのは嘘だったのね。さっき国子さんから連絡があったのよ。ハワイに行くって言ってたわ」 「ああ、そうだよ。何か問題でもあるのか? 俺が行かないことがそんなに悪いことか」 「どうして嘘なんてつくのよ」 「ハワイ旅行に行くって言ったら、どうせあんたぐちぐち言ってくるだろう。俺たちがこの日をどれだけ楽しみにしてたか。変なタイミングで病気になんてなりやがって、もっと俺たちのことを考えてくれよな」 「私だってなりたくてなったわけじゃないわよ」 「うるせえなあ。頼むから手術が失敗して死ぬなんてことは勘弁してくれよ。そうなると、いよいよ日本に帰国しないといけなくなるだろう」 「どうしてそんなひどいことを言うの? 私のことは何にも心配してくれないわけ? 」 「俺たちは自分のことだけで精一杯なんだよ。あんたがどうなろうと知ったこっちゃないんだ」 「それがあなたの本音なのね」 「そうだ。俺は父さんには色々と感謝してるが、別にあんたには何の感謝もしてないから。俺たちの生活を支えてくれたのは父さんだよ」 「もういいわ。これ以上何も聞きたくない」 「そうかよ。それじゃあな」 その電話で、私は彼に対する最後の期待を捨てた。 手術は無事に成功した。一ヶ月の入院を経て、私は少しずつ回復していった。そんなある日、裕二から久しぶりに電話がかかってきた。しかし、それは私の回復を喜ぶためのものではなかった。 「仕送りを止めたな」 「そうね。それがどうかしたの? 」 「俺が父さんから毎月もらっていた仕送りをあんたが止めたんだな。塩りは俺と父さんとの間でやってたことだぞ。それをなんで止めたりするんだよ」 「それはもちろん知ってるわ。でもお父さんはもう天国に行っちゃったの」 「だとしても、仕送りは続けるようにって言われたんだろ。俺たちが困ってるなら助けてあげてくれってさ。どうしてそんな父さんの思いを踏みにじるようなことをするんだよ」 … Read more

30 August 2026

電話の向こうで、元夫が明るい声で言った。「明日の結婚式場、予約したよ。1000万、ありがとう。払ってくれたから、ちゃんとした式ができるんだ」 私は耳を疑った。私が1000万も払うわけがない。離婚して5年経った今、突然そんなことを言われて意味が分からない。 「私、あなたにそんな金を払ってないわ」 「父さんが払ってくれるって言ってたぞ」…

「母さん、明日の結婚式場を予約したよ。1000万、ありがとう。払ってくれたおかげで、ちゃんとした式ができる。父さんも感謝してたぞ」 電話の向こうから、かつての夫、拓人の声が聞こえた。私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。 「え? 何の話? 私があなたの結婚式場を払ったの?」 「どうしたんだよ、ボーッとして。俺が感謝してやってるんだから、素直に受け取れよ」 「ちょっと待って。あなた、結婚したの?」 「そうだよ。相手は会社の社長令嬢だ。俺にふさわしいお嬢様だろ?」 拓人が結婚する。離婚してから5年。私は複雑な気持ちを飲み込みながらも、彼に話しかけた。 「もうそんな年になったのね。27歳だろ?」 「ああ。それより母さん、口が達者になったな。一緒に住んでた時は、まともに口も聞いてくれなかったくせに」 「当たり前でしょ。私はあなたの母親じゃないもの」 「ああ、そうだったな。お前は再婚相手で、俺は前の奥さんの子供だから、ややこしいよな」 彼の口調は、どこか馬鹿にしていた。私は何度も彼に「母親になりたい」と思っていた。でも、彼はいつも私を拒絶した。 「そんなに私のことが嫌いだったの?」 「嫌いとかじゃない。ふさわしくないんだよ。俺の母さんは、もっと美人で自慢できる存在だった。お前みたいな地味でつまらないおばさんは、母親じゃない」 その言葉に、私は何も言えなかった。昔から分かっていたことだ。でも、それでも私は諦めずに彼に接してきた。しかし、彼の中では私はただの「他人」だったのだ。 「でも、そうやって結婚式場を払ってくれたんだろ? 感謝してるぞ。母親とは思わないけど、使い勝手のいい存在だとは思ってる」 「その使い勝手のいい存在って、やめてくれない? それに、私はあなたに感謝されるようなことは何もしてないわ」 「何言ってんだよ? 1000万も払ってくれたんだろ?」 「払ってないわよ。他人の結婚式なんて、払うわけないでしょ」 「はあ? でも父さんが、お前が払ってくれるって言ってたぞ」 その言葉に、私は違和感を覚えた。拓人の父、元義父である篤史が、どうしてそんなことを言ったのか。私はすぐに彼に電話をかけることにした。 電話はなかなか通じず、やっとつながったのは10分後だった。 「拓人さん、結婚式の話はどういうこと?」 「おいおい、どうしてお前の方から電話してくるんだよ。こっちは忙しいんだ」 「あなたが1000万を払うって言ったから、私が驚いてるのよ。何それ」 「ああ、そのことか。どうせお前が払ったことにしておけばいいだろ。謝礼は気にしなくて結構だ」 「ふざけないで。私は何も払ってないし、そんなお金があるわけもない。あなた、今のお給料で1000万も払えるの?」 「俺が必死で稼いだんだよ。子供のためと思えば、何でもできるんだ」 「あなたの取り分がそんなにあるわけないでしょ。結婚していた時から、あなたはお金を使い込んでいたじゃない」 「うるさいな。もう5年も前の話だろ。俺は今、どうやって金を作ったか知らないけど、お前は俺の顔を立ててくれればいいんだよ」 「立てるも何も、そんな話はないわ。1000万は大きすぎるし、私がそんな金を出すわけがない」 「お前は本当に空気読めないな。まあいい、俺の方から父さんに説明しておくよ」 「そうして。それで、式には招待されてないの?」 「来るなよ、頼むから。お前が来たら気まずいだけだ」 「行く気はないわ。それに、お父さんは来るんでしょ? 離婚してからずっと連絡をくれなくなったから、嫌われてるんだと思ってたわ」 「そりゃそうだろ。お前みたいなのが家族になったこと、父さんも恥ずかしかったんだよ」 私はそう言われて、胸が痛んだ。篤史さんは、私にとって本当の父親のような存在だったのに。 電話を切ってからも、何かが引っかかっていた。私は篤史さんに直接確かめたいと思った。しかし、彼は私のことを拒絶していて、なかなか連絡を取ることもできなかった。 結局、私は篤史さんの家を訪ねることにした。久しぶりに会った彼の顔は、私を見ても全く嬉しそうではなかった。 「お父さん、どうして拓人さんに私が式代を払ったなんて嘘をついたの?」 「お前、あのバカがそんなことを言ったのか?」 「え?」 「俺はそんなことは一言も言ってない。あいつ、何勝手なことを言ってるんだ」 私は混乱した。どうやら篤史さんは何も知らないようだ。そして、もっと驚くべき事実を知った。 「それよりもお前、知ってるか? 拓人がお前の悪口を俺に吹き込んでいたんだぞ。お前が俺を騙して金を奪おうとしたとか、お前が俺達を裏切ったとか。そんな話ばかりだったんだ」 「そんなこと、あるはずないわ! 私がお父さん達を裏切るなんて!」 … Read more

30 August 2026